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母オリヴィアの惨痛 一

メリッサの母親のお話になります。

 薄暗い部屋中、顔色の悪い女がベッドに腰掛け荒い呼吸を繰り返す。

 労働を感じさせない白い手を、筋が浮き出るほど握りしめ、綺麗に整えられた爪が柔らかな掌に食い込んでいる。

 血が滲んでもその掌は力が抜けず、感情が高ぶったようにわなわなと震えていた。


 青空が広がり清々しい風が吹く外とは対照的に、部屋の中は分厚いカーテンが引かれ、息苦しさを感じるほど暗く淀んでいる。

 一筋の光さえ入れまいと隙間なく閉じられたそれは、まるで何かから身を隠す様に外との繫がりを遮断していた。

 女が苦しそうに目を逸らしたその先に、割れた花瓶と白百合の花が散らばっている。

 今朝飾られたばかりの白い花が、行方をくらませた娘を連想させ花瓶ごと壁に投げつけたのだ。




「白い花なんて飾らないでちょうだいっ!」


 呼び出しのベルでやってきた、若い侍女に喉がつぶれるほど激しく怒鳴りつけた。

 侍女はそのあまりの剣幕に息を飲み、これ以上主人を刺激しないよう、視線を合わせず無残に散った花を急いで片付け始める。


 神経質に尖った不安定な心が、見るものすべてに何とも言いようのない不安と苛立ちを覚え、その侍女の態度でさえ目につくのだ。

 胸に巣食うぐちゃぐちゃとした複雑な感情が暴れだし、それを吐き出す様に怒りに変えて侍女に当たり散らす。

 喉が痛むほど叫んでも胸の内は静まらず、しゃがんで花を拾う侍女を乱れた髪の隙から睨みつける。

 その時、目の端に映った壁のシミが、誰かの涙に見えて小さく唇を震わせた。

 花瓶を投げつけた際、中の水が散り、ただそれが壁に流れただけの跡なのは分かっている。

 だが、何故かその跡が、遠い昔に見た幼い灰色の瞳から零れた雫を思い出すのだ。

 胸に突き刺さる様な痛みを感じ、名もつかぬ感情が再び姿を変えて、怒りとは違う何処か悲しみを伴う不安定な感情に苛まれた。

 ゆらゆらと視界が歪み、頬に冷たい水気を感じる。次から次へと流れ始めた涙に、自分がどうして泣いているのか理解できなかった。

 血の滲む掌に落ちた涙を、ぼんやりと眺めていると、カチャカチャと陶器のぶつかる音が何処からか聞こえてくる。

 花を片付けた侍女が、床に散らばる花瓶の破片を箒で掻き集めているのだ。静かな部屋に高い音が鳴り、やけに耳に響いた。

 まるでクスクスと自分を嗤う声に聞こえ、冷えたつま先から這い上がる恐怖と不快感に両手で強く耳を塞いだ。


 静かな部屋に閉じこもっていても、自分を嘲る幻聴が聞こえてくる。鳥のさえずりも私を嗤う声に聞こえ、窓を開ける事さえ禁じているのだ。

 感情の均衡がとれず自分でも抑える事ができない。日に何度もヒステリーをおこし、周りに当たり喚き散らす毎日だ。

 眠りにつけば、その度、沢山の視線に蔑み嗤われ続ける悪夢に魘される。次第に眠るのも怖くなり、目の下には深い隈ができてしまった。


 あの子が行方知れずになってから、社交の場に一度も顔を出していない。けれど、どんな事を言われているかなんて容易に想像がついた。

 些細な事でも嗅ぎつけ、時には自分達の好きな味付けに調理し骨の髄までしゃぶるのが、綺麗に着飾ったハイエナ達の正体なのだから。


 今度こそ、二度と社交の場に顔を出す事なんてできない。自分を着飾り心の鎧を纏うために新調したドレスも袖を通す事はないだろう。

 あの視線を想像しただけで、息が上手く吸えずコルセットを着けていないはずの腹が締め付けられ、胃液が上がってくる。

 伯爵夫人としての務めなど、もう私にはできやしないのだ。



 貴族でありながら、魔力のない子供を産んだ私は、出産当初周りから不貞を行ったのだと謂れのない疑いをかけられた。

 貴族同士の間に魔力の低い子供が生まれるなんてありえない。父親は平民なのではないか。

 そんな他人から不信と好奇に満ちた視線をいくつも向けられたのだ。

 世間では夫が外に愛人を作り子供を産ませる話が多く、中には妻が過ちを犯す場合もある。

 けれど、夫が不貞の子を作っても目を瞑られる割に、それが妻の場合になると途端に皆厳しい目を向けるのだ。

 実の両親でさえ信じてくれず、私を恥知らずと罵倒し離縁だけはされるなと、実家に帰る事を禁じた。


 私はこれまで、貴族として清く慎みを持ち生きてきた。バトレイ家に嫁いだ後も、恥じる行いなど一度もしていない。

 親族や赤の他人に謂れのない不貞を疑われ、いつまでも社交の場に顔を出さずベッドにふさぎ込む私に、夫は唯一信じていると言ってくれたのだ。

 私はその言葉に救われ、これまで以上に彼に尽くし伯爵夫人としての義務を果たそうと、人々の視線に怯えながらも、もう一度社交の場に出る決意をした。

 産後初めて参加した夜会で、直接的に問われる事はなかったが、そこかしこで聞こえる無神経で悪意に満ちた囁きと視線は、私の心を無残に傷つけた。

 結局、その日は決意も虚しく途中で退席し、あまりのショックに何日もベッドから起き上がる事ができなかったほどだ。


 最初は、まさか誰もあの子が一かけらの魔力も持っていないなど思ってもみなかった。

 けれど、魔力属性の検査を何度も繰り返したすえ、まったく魔力を持っていない身体だと発覚したのだ。

 いくら魔力の低い平民同士でも、魔力を持たない子供が生まれた例は一度もない。

 そのため、今回魔力のない子供が生まれたのは、両親の魔力量は関係なく原因は不明だと診断をうけたのだ。

 詳細の書かれた紙面の、原因不明の文字が重く心が沈む。けれど、それと同時に少しだけ、不貞の子だと言う世間の決めつけは薄れるのではないかと、淡い期待を抱いた。

 だが、その期待を裏切る様に、不貞の他に、今度は母体に異常があっただの、妊娠中に何か悪い事をしただのと好き勝手に噂されたのだ。

 実家の両親からは、魔力なしの子を産む家系だと思われると爵位を継いだ兄に迷惑がかかるため、曖昧に濁す様にと釘を刺された。

 結局、私の名誉は回復せず、噂話が大好物な飢えたハイエナ達に、更にトッピングを追加した、御馳走と言う名の話題を提供する羽目になったのだ。


 仲の良かった友人は、不貞の疑惑に踊らされ軽蔑して離れて行く者や、陰で私を嗤う者もいた。

 それでも残った数少ない友人は、まるで私を腫れ物の様に扱い、どちらにしろ息苦しく今までの様にお茶を楽しめる間柄ではなくなってしまったのだ。


 人と違う事であの子が好奇の目に晒される度、どうして皆と同じ様に産んであげられなかったのだと何度も自分を責めた。

 原因が不明のせいで、気持ちに折り合いがつかず、皆が噂する通り自分の身体に欠陥があるのではないかと病院を何件も通い検査を受けたのだ。

 けれど、どの病院でも何一つ異常は見つからず、今度は妊娠中に行った自分の行動を思い返した。

 あの時、小説の続きが気になって夜更かしをした事が原因なのか。

 星が見たくてほんの少し夜風にあたった事がいけなかったのか。

 悪阻が酷く同じ物ばかりを食べ続けたせいなのか。

 気分転換に演劇を見に、馬車に揺られたのがまずかったのか。

 挙げればきりのない些細な行動すべてを結び付け自分の行いを何度も悔いた。


「どうしてメリッサのかみは、おかあさまとおそろいじゃないの?」


 あの子が悲しそうに、自分の兄と同様に父か母のどちらかと同じ髪色が良かったと、どうして同じではないのかと尋ねられた事がある。

 我が子から発せられた突然の質問に、言葉に詰まった。

 こんな日がいつか来ると、ある程度用意していた答えも、実際に問われると咄嗟に出てこない。

 まだ自分でさえ、我が子に魔力がない事を受け入れる事ができていないのだ。胸を押しつぶされる程の痛みに、喉奥がぎゅっと締まり目頭が熱くなる。

 泣きそうになる顔を誤魔化す様に、小さな身体を抱きしめた。


「きっと大きくなったらお揃いになるわ。大丈夫、大丈夫よ」


 震えそうになる声を必死に抑え、白く柔らかな髪をなでた。

 あの子が人と違う事で悲しみを覚える度、大丈夫だと繰り返す。いつしかそれは、あの子を安心させる為のお(まじな)いになった。

 その大丈夫の言葉は、気休めでなく最初は本当に希望があったのだ。

 成長と共に少なかった魔力が増える事もあれば、稀に後天的に属性が変わる事だってある。

 そのため、あの子の今はない魔力も後天的に現れる可能性があるかもしれないと、検査機関から告げられたのだ。

 私はその希望を信じ、社交界で嗤われようが、時には夫の目を盗み一夜の遊びに誘ってくる不埒な輩を受け流す屈辱にも耐えてきた。

 あの子とのお(まじな)いを何度も唱え、俯きそうになる顔をぐっと堪えて気丈に振舞い続けたのだ。

 けれど、あの子の誕生日を迎える度、変わらぬ検査結果に大きすぎる期待は落胆と絶望を呼び、嬉しそうにプレゼントの包みを開ける無邪気な姿を眺めながら私の心は荒んでいった。

 そんな時、何より一番近くで私を見ていたはずの夫まで、ずっと不貞の疑念を抱き魔力のない子を産んだ恥さらしな嫁だと蔑んでいた事を知ったのだ。

いつもご感想嬉しく拝見しております。

ありがとうございます。

皆様にお返事を返す事ができておらず大変心苦しいのですが、

ここ最近忙しく小説を書く事が精一杯なので返信が滞っています。

大変申し訳ないのですが、忙しさが落ち着いた後に頂いた新しいご感想につきましては、

返信をさせて頂きたいと思います。

改めまして、ご感想ありがとうございます。


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