とある侍女の後悔
お嬢様が亡くなった。
正確には行方不明だが、冒険者でさえ立ち入らない恐ろしい魔物の森を囲む柵に、お嬢様が着ていたワンピースの切れ端が引っかかっていたそうだ。
周辺の街や民家にもお嬢様の目撃情報はなく、恐らく魔物の森に入ったのではないかと言われている。
もしそうなら、今頃お嬢様は魔物に食い殺されているらしい……。
お嬢様が行方不明になった当初、ロズワーナ伯爵から花嫁が見つからない場合、逃げた違約金と旦那様の新事業に出資した資金を全額返却せよと怒りの便りが届いた。
屋敷の中は騒然とし、いつも冷静な執事でさえ顔色が悪い。旦那様は真っ赤な顔で怒りのあまり手紙を破り捨て、奥様は指先まで青白く染め卒倒された。
もし、お嬢様が見つからなければ、マルバリー公爵家から婚約破棄の際に受け取った多額の慰謝料は、全てロズワーナ伯爵へ流れる。
それだけならまだしも、お嬢様がまだ嫁入り前にもかかわらず、旦那様も奥様も我が家は安泰だと身の丈に合わぬ贅を尽くし散財していたのだ。
屋敷に溢れる贅沢品を質に入れればお金になるが、やはりそれだと体裁が悪い。お金に困っていると周りに知られてしまうと、折角立ち上げたばかりの新事業に影響してしまう。
それでなくてもお嬢様が見つからなかった場合、ロズワーナ伯爵から受け取った投資資金を返却せねばならないのだ。
その為、いまバトレイ伯爵家は金策に忙しい。頼みの綱のお嬢様を探すにも、国に捜索を依頼すればお嬢様が自ら逃げた事が明るみになってしまう。
そんな事になってしまえば、噂話が何よりも好きな貴族達の格好のネタになる。それは避けたい旦那様は、個人で雇った者達に硬く口留めをし捜索の依頼をした。
けれど、一日二日で見つかるわけもなく、捜索をするのにそれなりにお金がかかる。
貴族の令嬢が一人、外に放り出され無事で済むはずがない。暴漢に襲われ命を落としている可能性もあるのだ。
そろそろ捜索費用を出すのが苦しくなってきた頃、街で目撃情報が上がらないのは魔物の森に入ったからなのではと報告があった。
遺体を見つけた訳ではないが、もうこれ以上、生きているか分からないお嬢様を探す余裕はない。
現実的に考えて、捜索は打ち切った方が良いと判断する旦那様に、奥様は何としてでもお嬢様を見つけロズワーナ伯爵に嫁がせると反対した。
けれど魔物の森に入って捜索をしてくれるそんな酔狂な者はいない。もしいたとしても、命がけの捜索になるため前金として目を剥く高さの報酬を提示されたのだ。
そのため最後は、マルバリー公爵家からたんまり受け取った慰謝料を泣く泣く手放す事に奥様も納得した。
そして旦那様は、奥様の実家に頭を下げ新事業を軌道に乗せるための援助を申し込んだのだ。
そんな事情もあり、お嬢様が魔物の森に入った形跡を発見した時、すぐさま捜索を打ち切った。
ロズワーナ伯爵も花嫁に逃げられたなどと外聞の悪い事は隠したい。旦那様から慰謝料を受け取り他の貴族に怪しまれる前に処理する事を納得したのだ。
表向きはお輿入れの際に不慮の事故に遭ったと死亡届を提出し、つい先日それが受理された。
本当にお嬢様が死んでいるのか誰にも分からない。けれど、魔物の森の入り口で発見されたワンピースの切れ端には、乾いて変色した血の跡がべっとりと付着していたらしい。
最初は魔物に襲われ森の中に引きずり込まれたと言われていたが、街の者達は魔物が森から出てこない事を知っている。
ましてや、お嬢様が街に寄った際、屈強な男達に監視され思いつめた表情をしていたのを食堂の亭主や街の者達は見ていたのだ。
この街でも傲慢で好色家だと有名なロズワーナ伯爵家の紋章が入った馬車に乗る白髪の少女に、あれが噂の無色の令嬢だと、あるものは同情の目を、あるものは好奇の目を向けた。
そしてその夜、令嬢を監視していた男達が慌てふためき白髪の若い娘を見なかったかと街の者に聞いて回ったのだ。
その時、誰もがあの少女が逃げ出したのだと確信した。
そして、魔物の森の入り口で発見されたワンピースの切れ端に、街の人々は思いつめた彼女の様子を思い出し、自ら死を選んだのではないかと口々に噂したのだ。
表向きは事故死となっているが、人の口に戸は立てられず、噂を耳にした吟遊詩人が哀れな令嬢の歌をうたう。
ある一人の令嬢が、麗しの婚約者に捨てられた。
次なる嫁ぎ先は傲慢で醜悪な好色家、彼女は失意のあまり自ら魔物の餌にと命を絶った哀れな少女。
名前は伏せられているが皆聞かずとも誰の事だかすぐに分かった。今や社交界ではこの話で持ち切りらしい。
この噂がロズワーナ伯爵の耳に入ってしまう事を考えただけで恐ろしく、旦那様は頭を抱えている。
体裁を守るためお金をかけて個人で捜索隊を雇ったにもかかわらず、結局は事の真相がばれてしまい無駄なお金と恥を上塗りしただけだ。
娘のしでかした事を怒りながら、金策に走る旦那様は少しでも人件費削減のため、古くから仕える使用人と賃金の安い使用人だけを残しそれ以外の者には暇を出した。
かく言う私も、平民でたまたま魔力量が多く他の使用人よりいくらか安い賃金で働かされていたので、暇を出されずまだこの屋敷で働いている。
けれど、暇を出された者は紹介状をもらい新たな場所で働けるのでそちらの方が断然良い。
この状況で自分から暇を申し出れば紹介状はもらえず、いくら魔力量が多くてもそんな状態で次の勤め先を探そうとしても訳ありだと思われる。
そんな人間に部屋を借りられる程の賃金がもらえる仕事先は見つけにくいし、住み込みの仕事は信用が大事なのだ。
自分から暇を告げた者達の様に、私も何かコネがあれば良いのだが……。
生憎、孤児院育ちの私にはそんなものはない。この屋敷に住み込みで働けるようになったのも、たまたま偶然が重なり運よく就職できただけなのだから。
この屋敷の未来はどう見たって明るいものではないだろう。ましてや、お嬢様の事を考えると辛くて仕方がなかった。
今日もまた、奥様の寝室から呼び出しのベルが鳴り響く。ヒステリーを起こし、日に何度も呼び出しては当たり散らす金切り声に、やはりこの先不安しか感じない。
私と一緒にお嬢様にお仕えしていた一人は自らこの屋敷を去り、もう一人は暇を出された。
それぞれ新しい仕事先があり、この地獄から抜け出せて羨ましい。
けれど、きっとこれも全て今までの罰が当たったのだ。
奥様が壁に投げつけて壊れた花瓶の破片を拾い集める。
ベッドから喚き散らす奥様の声に頭痛がして、つい花瓶の破片で指を切ってしまった。
指先に浮かぶ、ぷっくりとした赤い雫が高価な絨毯に落ちない様に、じくじくと痛む指を握りしめ唇を噛み締める。
お嬢様はもっと痛く苦しかったはずだ。
どんなに辛く恐ろしかったか。
もう見ることのできない、最後に交わした彼女の少し寂しそうな、けれど朗らかな笑顔を思い出し胸が苦しくなった。






