青年の悪夢
ここは一体どこなのか、繰り返される出来事に、最初は分かっていたはずなのに今では自分でも良く分からない。
目の前が真っ赤に染まり、突然大きな爆音が響く。ガラスの破片が飛び散り、誰かの悲鳴が聞こえた。
いつもより目線が低く、誰かに守られる様にすっぽりと覆いかぶされた。
血溜まりの中、俺の身体に覆い被さる人物を見上げれば、美しい菫色の髪をした見知らぬ女性が優しく微笑んだ。
青白い頬が今にも儚く散ってしまいそうで、不安に駆られ自然と涙が溢れ出す。彼女が、血に濡れた手で俺の頬を撫で何かを囁いている。
何を言っているのか、彼女の声だけが聞こえず、頬がぬるりと生暖かい感触に包まれた。
その手を掴む前に、ずるりと力なく落ちて行く。短い腕を必死に広げて支えるが、力が足りず崩れる様に一緒に血溜まりの中に倒れこんだ。
目の前の女性の瞳から、ゆっくりと光が消えていく。悲しくて恐ろしくて、喉が引き攣るほど声を上げ泣き叫んだ。
今度は目の前に、小さな黒髪の少年が蹲り必死に耳を塞いで、大人達から突き刺さる恐怖や好奇の混ざった視線に震えている。
あの女性は誰だったのか、この目の前で蹲る顔の見えない子供は誰なのだろうか。
自分の知らない記憶に戸惑い、生々しく鮮明に映る目の前の出来事に胸が苦しくなる。
どくどくと心臓が早くなり、身体の中で熱が爆発しそうで、胸を掻き毟りたくなった。
そんな時は決まって、掌にじんわりと自分ではない穏やかな体温を感じ、優しく頭を撫でられる。
いつの間にか目の前の子供が消えて、身体の中で暴れる熱が緩やかに静まって行く。
抱きしめられている様な、慈愛に満ちた優しい熱に全身を包み込まれた。
その心地良さに、ホッと息を吐いて身をまかせるのだ。
お次は知っている記憶だと、ころころ変わる場面に、うんざりしながら目の前の魔物を睨みつけた。
巨大蠍が尻尾を高く振り上げ地面を叩く。地響きが起きるほど強い振動を送りながら威嚇をしてくる。
魔力を腕輪に吸い取られ、重たい身体を無理やり動かし、襲いくる鋭い毒針を躱す様に転がった。
体勢を整え腰に手を当てるも、いつも下げている剣がない事を思い出し、最悪の状況に舌打ちをする。
とにかく魔法が使えず丸腰のままでは分が悪い。ここは逃げる他ないと駆け出すが、魔物は何本も生えた脚を動かしカサカサと物凄い速さで追いかけてくる。
「はぁ、はぁ、はぁっ」
太い木の棒を拾い上げ応戦しても、鋭く頑丈なハサミでバキリと簡単に砕かれた。
魔法が使えずとも、まともな武器さえあれば何とかなるのにと、苛立ち視線を走らせる。
すると、両手で抱えるほどの石を見つけ、考えるよりも先にそれを抱えて素早く樹木に飛び乗った。
既の所で、鋭い毒針が顔の直ぐそばを横切り頬に風が当たる。
しつこい魔物が攻撃を仕掛けてくる前に、その大きな頭へ飛び乗り、石を振りかぶる様に硬い甲羅に叩きつけた。
ミシリと小さなひびが入ると、カッカッと甲羅から耳障りな音を出して、巨大な魔物が暴れ狂う。
「し、つ、こ、い、ん、だ、よ! お前はっ!」
振り落とそうとする魔物の頭を足で挟み、何度もひび割れた場所に石を叩きつけた。
「あとっ……もう少し……ぐっ!?」
甲羅の亀裂がどんどん広がり、あともう一歩だと大きく腕を振り上げた。
その瞬間、鋭い毒針のついた尻尾が反り返り、無防備になった脇腹にザクリと突き刺さる。痛みに奥歯を噛み締めながら、最後の力を振り絞ると、強く石を振り下ろした。
ぐしゃりと硬い甲羅が叩き潰れ、紫色の血が吹き出す。どくどくと流れ出る血に、痙攣を起こした魔物がドシンと横たわる。
魔物の上から、ずるりと滑り落ちる様に地面に降りると、腹に手を当てた。
「……っ、くそ……油断した。……これは流石にまずいな」
破れたシャツから変色し始める傷口が見えて、眉間に皺を寄せる。
やっとの思いでとどめを刺したが、魔力を腕輪に吸い取られ、その上毒の回る身体ではそう長くは保たないだろう。
額に脂汗が滲み、腹に走る激痛に目を瞑り歯をくいしばった。
冷える身体に、魔力が底を尽きるのが直ぐそばまで来ている事を、ひしひしと感じながら、抗う様に腕輪を外そうと必死にもがく。
びくともしない腕輪を睨みつけ、既に痣と引っ掻き傷だらけで血の滲む腕に爪を立てる。
「くっ……はずれろっ……」
血に濡れた爪が腕輪を滑り、ガリリと勢い余って肉を抉り新たな傷を腕に作った。
その頑張りも虚しく、上手く息が吸えずに、限界を訴える身体が崩れ落ちる様に倒れこんだ。
全身の熱が奪われ視界が徐々に霞んで行く。冷たくて深い海の底に沈んでいく様な感覚が全身を搦めとる。
もう指一本さえ動かす事ができない。そんな時、すぐ近くでカサリと葉の揺れる音が聞こえた。
あの茂みから魔物が現れれば、今度こそ食い殺されてしまうだろう。
諦めと悔しさが綯い交ぜに、重たい瞼がゆっくりと閉じて行く。
そんな中、暗くなる視界の先に現れたのは、恐ろしく醜い魔物ではなく、神々しい獣を従えた真っ白な少女だった。
その透き通るほど美しい姿に、ついに天界から迎えが来たかと意識を手放す。
何処か遠くで、カシャンと解放の音が聞こえた気がした。
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