初めての魔力
青年に触れる指先一本一本に、ジンと熱が流れ込み、身体中に感じた事のない感覚がぐるぐると駆け巡る。
怒涛のように押し寄せる熱い何かが、頭の先から足の先まであっという間に通り抜けた。どうすれば良いのか分からず、やり過ごす様に目を瞑りただひたすらその感覚を追ってゆく。
最初は驚き不安に思った得体の知れないそれも、目を瞑れば不思議と自分にとって害の無いものだと感じ取れた。
激しく力強いその熱はどこか心地良い。
私の心が怯えず受け入れると、その暴れ狂う熱は次第に落ち着きを取り戻し、身体に馴染みゆっくりと流れてゆく。
身体の隅々まで巡った後、その熱は柔らかな余韻だけを残し、ふっと蝋燭の火を吹き消す様に静かに消えていった。
「クゥ〜、クゥナァ〜」
ペルーンのどこか不安そうな高い鳴き声がすぐ近くに聞こえる。膝に小さく柔らかな肉球がペタリと触れたのが分かった。
ゆっくり瞼を開けると、心配そうにこちらを覗き込む聖獣達の顔がすぐ近くに飛び込んでくる。
『メリッサ、大丈夫か!?』
「クゥナァ!?」
「……ええ……大丈夫よ」
瞬きを繰り返し青年から手を離す。すると、横たわる彼の胸が大きく膨らみ、ゆっくりと息が吐き出された。
消えそうな浅い呼吸から深い呼吸に変わり、人形の様に生気のない青年の白い頬に血色が戻る。
「今の……何だったのかしら?」
ぼんやりと最初に熱が伝わった掌に視線を落としてぽつりと呟く。
『こやつの魔力がお前の身体に流れたのだ』
「まりょく?……えっ、魔力!? 」
初めて体感するあの熱が魔力だと知り、目を見開き驚いた。どんなに欲しくても手に入らなかった魔力が、他人のものだが一瞬でも自分の身体の中で感じ取る事ができたのだ。
じんわりと温かな余韻の残る掌を惜しむようにギュッと握った。
「魔力って熱いのね……まさか感じる事ができるなんて、夢のようだわ」
いつもと何ら変わりない自分の掌に、消えていった熱の心地良さを思い出し名残惜しく思った。
「でもどうして魔力が流れてきたのかしら? こんな事初めてよ」
『それは、この腕輪が壊れたからだろう。まじないがかかっておる。魔力を無理やり封じられ吸い取られていたようだ。まぁ、普通の人間は縛が取れても他人に魔力が向くことはないが……』
バルカンが床に転がる壊れた腕輪を前脚でつつき目を細める。
只のアクセサリーではなく、魔道具だった様で、腕輪の内側にはびっしりと呪文が施されていた。
「魔力封じの魔道具なんて罪人につける物だわ。でも確か、魔法を使えない様に封じるだけで、魔力を吸い取るなんて聞いた事がないし……」
きっと、青年の腕に出来た引っ掻き傷は、この腕輪を必死に外そうとしてついた傷なのだろう。
魔力切れの辛さは魔法が使えない自分には分からない。けれど、皮膚が抉れどす黒い痣ができる程もがいた様子は、青年の苦しさを生々しく物語っていた。
その悲痛な様子に胸が痛い。
かなり高価な物だと、一目見ただけで分かる腕輪を壊してしまった時は焦った。だが、今は穏やかに眠る青年の横顔を見て結果的に彼を救えて良かったと安堵する。
危険な人物で腕輪を嵌められた可能性があるのではと頭をよぎるが、第一そんな危険な人物なら、風達が態々バルカンをせっつき私を彼の元へ導いたりはしないだろう。
きっと、風達なりの考えがあるのかもしれない。
『それよりメリッサ、本当にこやつの魔力を受けて身体は大丈夫なのか?』
「ええ! 何だかぽかぽかして調子が良いくらいよ!」
『ほぅ……なるほどな。そう言う事か』
バルカンが私と青年を見比べて一人納得をする。そんなバルカンの様子に首を傾けた。
「どうしたの?」
『いや、なんでもない』
「なんで笑うの?」
『そのうち分かる。それより早く腕の手当てをしてやれ』
「あっ、そうだったわ!」
見た感じシンプルなシャツとスラックスを着ているが、仕立てが良く上質な物だとすぐに分かる。
もしかすると、どこかの貴族か裕福な商家の人間なのかもしれない。腕輪も魔力を封じるための魔道具にしては装飾が施されており立派だ。
罪人に魔力封じを施すならば、態々こんなに繊細な装飾はしないだろう。
色々と気にはなるが、まずは手当てを優先しようと汚れた青年のシャツを何とか脱がしにかかる。
力の入らない人間を動かすのは思っていたより大変で、シャツを脱がすのに手間取った。
土と血に汚れ破れたシャツは後で洗濯して修復しようと軽く畳んで床に置いた。洗いやすくなった腕の傷に水をかけ丁寧に拭いて行く。
「さてと、洗浄はこれくらいにして薬草を潰して傷口に塗りましょうか。ペルーン薬草を……まぁっ! あなたも泥んこね」
「クナァーン」
「あらあら、ふふっ後で綺麗に洗ってあげるわ」
ペルーンの頬についた土汚れを指で優しく払うと、安心したように金色の瞳を閉じてゆらゆらと尻尾を揺らす。
『なんだこれは!? おい、チビ! お前の足跡だらけではないかっ!』
いつの間にか寝室からいなくなっていた、バルカンの怒鳴り声がリビングから聞こえる。ぎくりと尻尾を揺らしたペルーンが、そろりと上目遣いでこちらを伺うように見つめてきた。
確かに顔だけでなくペルーンの足元も土で汚れており、私の膝には可愛らしい肉球の跡がついている。
床に目を向けると、小さな可愛らしい足跡が点々と続いていた。
これ以上床を汚さないように、ペルーンを抱き上げ足跡を辿って行くと、寝室から玄関までしっかりと道ができている。
『まったく! 何度言ったら分かるんだ! 家に入る時は土を落として入れ!』
寝室から顔を出した私の腕の中におさまるペルーンに気づいたバルカンが、鬣を逆立てギロリと視線を向けた。その視線から隠れる様にペルーンが私の胸に顔を押し付ける。
「まぁ、まぁ、バルカン。あまり叱らないであげて。今回は私を心配して慌てて駆けつけてくれたのよね?」
「クナゥ」
気まずげに顔を隠すペルーンを覗き込めば、甘えるように小さく鳴いた。
『まったく、メリッサはチビを甘やかしてばかりだな』
バルカンが鼻をふんと鳴らし、床に落ちた土を尻尾で器用にはいていく。
「ふふ、バルカンありがとう。ペルーンはここから出てはダメよ? 彼の手当てが終わったらすぐに洗ってあげるから」
「クゥナ!」
折角掃除をしてくれているバルカンの為にも、床を汚してしまわない様に、水を捨てた桶の中にペルーンを下ろした。
前脚を桶の縁にかけ、元気に返事をしたペルーンに笑いかけると、薬草を洗ってすり潰し青年の眠る寝室へ向かったのだった。






