虹色の使者
こんもりと新鮮な悲鳴根の山ができた頃、肩に背負ったままの荷物がずり落ち、新たに丘海月を掴もうとしていた手をそっと離した。
悲鳴根の収穫に、個体によって違う叫びや笑い方の特徴を楽しむ余裕さえ生まれて、いつの間にか悲鳴根の山ができるほど収穫してしまったのだ。
「あぁ……そうだった。荷物が多いのだったわ。つい夢中になって採りすぎちゃった。バルカンが戻ってくるまで休憩しましょうか」
「クナァン」
「バケツの中はいっぱいだし……どうしようかしら。何か入れ物があれば運びやすいのだけど」
悲鳴根の山を目の前に、どうやって運ぶか頭を悩ませていると、乾燥しかけのゴモの蔦が目に入り良い事を思いついた。
「そうだ! 籠の作り方を知っているのだったわ!」
「クナァ?」
手を叩いて腰掛けていた石から勢い良く立ち上がる。ペルーンが毛繕いをしていた顔を上げ、ゴモの蔦をガサゴソと引っ張る私に、不思議そうな視線を向けた。
「ふふ、ゴモの蔦で籠を作るの! えっと……まずは何本必要だったかしら」
以前、各地の民芸品の事が書かれた本に、ゴモの蔦を使用した籠の作り方が載ってたのを読んだ事がある。少し編み物に似ていて楽しそうだと、興味深く作り方を読んだのだ。
あの頃は、平民が稼ぎにする民芸品を自分で作る機会など、この先絶対にないだろうと思いながら読んでいた。
片っ端から読んでいった本の中には、貴族として必要な本も沢山あったが、平民の生活に少なからず憧れを抱いていた私は、貴族社会では何の意味もなさない本をよく手に取っていたのだ。
まさかそれが役に立つ日が来ようとは思いもよらなかった。
この森に入ってから、何度もその知識に助けられ、今ではこの生活のために読んでいた気さえしてくる。
肝心の籠はどうやって作るのか、古い記憶を唸りながら思い出す。柔らかすぎず固すぎない、しなやかな張りのある乾燥しかけのゴモの蔦をナイフで切り落とした。
大きめの籠を作るため軸になる長い蔦を6本と、それを一緒に組み合わせ編み込んでいく蔦を収穫する。
「さてと、やってみましょうか」
石に腰掛け一口水筒の水を飲むと、手を擦り合わせてゴモの蔦を手に取った。
「えーっと、確かここに通して……あら? 反対だったかしら……あ、こうだわ」
ああだこうだと、ゴモの蔦を編んで行く。毛糸よりも断然固い素材を曲げながら編むのは力が要るが、歪ながらも段々と形が出来ていくのが楽しい。
途中、編み込む蔦が無くなり、新たに茂みからゴモの蔦を引っ張る。その際、ひらりと一匹の美しい蝶が飛んできた。
ひらりひらりとその蝶が舞う度に、虹色の鱗粉をまいている。
「まぁ!……なんて美しいの……イーリスなんて初めて見るわ」
滅多に見る事のできないその美しい姿から、見たものは幸せになると言われている。虹色の鱗粉をまいて吉兆の知らせを運ぶ使者として、イーリスは有名な蝶々だ。
特に恋愛をテーマにした演劇によく登場し、クライマックスではイーリスが舞う美しい演出が、夢見る乙女達の心をぐっと掴んでいる。
実際に結婚式で、イーリスの鱗粉を真似た虹色の光を魔法で作り、花嫁と花婿の上へ沢山の幸せが降り注ぐ様にと願いを込めて振りかけるのだ。
魔法ではなく、本物のあまりの美しさに手を止めて、近くの花にとまる姿をうっとりと眺めた。蜜を吸う蝶にペルーンが近づき、まん丸い瞳を輝かせながらじっと見つめている。
ペルーンと一緒に間近で暫くイーリスを眺めていたのだが、悠長にしているとバルカンが帰ってきてしまうので、作りかけの籠に手を伸ばした。
イーリスが私の頭上に、虹色の鱗粉を撒きながらふわりと飛んでいる。それをペルーンが追いかけ、虹色と金色が、じゃれる様に遊ぶ姿を視界に感じながら、仕上げの持ち手を作り籠を完成させた。
ガタガタの歪なそれは、初めてにしては上手くできたのではないだろうかと、満足気に頷き顔を上げた。
「ねぇ、ペルーン見て! 中々味のある籠ができたと思わない?」
いつもなら可愛らしい鳴き声を上げ、駆けてくるのだが、その小さな姿が見当たらない。先程まで側でイーリスと遊んでいた筈なのに、しんと静まり返ったその場には私一人だけが取り残されていた。
「ペルーン? ……もしかして、イーリスを追いかけてはぐれてしまったのかしら」
大きな声でペルーンを呼ぼうと息を吸い込むが、声を出す前に、手で口を押さえゆっくりと息を吐いた。
ここは魔物の森なのだ。いくら魔物除けの薬草を身につけていたとしても効かない魔物も居るはずで、下手に騒げば魔物を呼び寄せてしまうかもしれない。
最近はバルカン達と常に一緒にいた為、いきなり攻撃してくる魔物と遭遇しておらず忘れていた。ひやりと指先が冷たくなり、不安で首から下げたお守りの魔石を掴んだ。
「大丈夫、大丈夫」
初めてこの森に足を踏み入れた時の様に、何度も呪文を唱え、ふらりと消えていった聖獣達の事を考えた。
幼く好奇心旺盛ではあるが、ペルーンは強く頭の良い子だ。自分より大きな魔物に遭遇してもきっと大丈夫だろう。
それに、バルカンもそろそろ戻ってくる筈だ。
赤いお守りを握る手がじんわりと暖かくなり、ゆっくりと握りしめていた手を開いた。大丈夫だと不安な気持ちを落ち着かせ、できたばかりの籠に悲鳴根を入れていく。
バルカン達が戻ったら、すぐに動ける様にとリモールを包んだスカーフを背負い、串を肩にかける。バケツと悲鳴根の入った籠を足元に置くと、縮こまる様に石に腰掛けた。
「大丈夫、大丈夫、だい……っ!」
茂みの奥からガサリと聞こえ、小さく呟いていた口を閉じ、息を詰めて茂みを見つめた。じっと身体を固めて様子を伺うが、奥の方でカサカサと聞こえるだけで近づいてくる気配がない。
もしかすると、ペルーンがイーリスと遊んでいるのかもしれないと、淡い期待を胸にそっと立ち上がった。
金色の小さな姿が居て欲しいと願いながら、ゆっくりと音を立てずに茂みに近づく。
大丈夫、大丈夫よ。
吉兆の知らせだってあったじゃない。
心の中で何度も呪文を唱え、虹色に輝くイーリスを思い出す。震える息を止め、そっと葉の隙間から片目を閉じて茂みの奥を覗き込んだ。
「っ!?」
見え難い視界を走らせ、音の正体を見つけた瞬間、目を見開き恐怖と絶望で奥歯がガタガタと震える。
無情にも虹色の使者が運んできたのは、吉兆ではなく、凶兆の知らせだったのだ。
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