冷や汗と感動のバター
三つ眼鳥の焼けた皮の表面から、透明な肉汁が滴りじゅうじゅうと音を立てる。脂が下の炎に落ちる度、大きく燃え上がってはパチパチと火の粉が舞った。
その火の粉に混ざって、火光虫が戯れる様に辺りを飛び回る。いつの間にか陽が傾き、夕焼けが空を赤く染めていた。
「そろそろひっくり返した方が良さそうね。バルカン、そっちの枝を持ってくれる?」
『ああ、良いか回すぞ?』
「ええ、せーのっ!」
くるりと焼き目を返す様に両端の枝を回すと、こんがりときつね色に焼けた皮目が上に向く。その食欲をそそる色と香ばしい香りに、思わずごくりと喉を鳴らした。
「良い色ね……とっても美味しそう……」
『ああ、早く食べたいな……』
「クゥナァ……」
隣から、じゅるりじゅるりと涎を啜る音が聞こえる。聖獣達の口の中は見なくても分かるほど大洪水の様だ。
「そろそろ口裂け兎のスープもできる頃かしら?」
三つ眼鳥を焼いている竃とは別に、石を積み上げ火を起こし隣で口裂け兎のスープを作っている。昨日使わなかった口裂け兎をぶつ切りにして、水を入れた寸胴鍋でブイヨンになる様、じっくりと煮込んでいるのだ。
鍋の蓋を開けると白い湯気と共にふわりとローリエの香りが広がった。鍋の中を覗き込むと、スープの表面に薄っすらと脂の玉が浮いて光っている。
木のスプーンですくって味見をすると、三つ眼鳥のスープと違って、口裂け兎のスープは甘みを強く感じた。味は違うが、どちらの魔物も旨味がしっかりと出る様だ。
「美味しい! 良い味が出てるわ。このままでも十分だけど、今日はとっておいた首長羊のミルクを入れてミルクスープにするわね!」
スープ用に残しておいた首長羊の乳を、口裂け兎のスープへ加えていく。お料理の本でみた、ブイヨンと牛乳の割合的に今手元にある首長羊の乳は少し少ないかもしれない。
「ちょっとスープを多く作りすぎたかしら……? まぁ、仕方ないわね」
とぷとぷと首長羊の乳を鍋に入れ、鍋底が焦げない様に何度もかき混ぜ温める。
仕上げに岩塩を削り入れ味見をすると、生クリームの様に濃厚な乳が、口裂け兎の旨味が詰まったスープと混ざり、程良くコクのあるミルクスープになった。
まぐれで入れた乳の量が丁度良かったようだ。もし牛乳と同じレシピで作っていたら、胃にもたれるスープになっていたかもしれない。
今回の分量をしっかり覚えておこうと、後で日記に書き込む事にする。
「 美味しい! ミルクの量も丁度良かったわ。口裂け兎と首長羊のミルクの相性がとても良いのね」
『ほお、そうか! 早く食べたい! 美味そうな匂いがする』
「クナァーン!」
「ふふ、もう少し待って。 スープはできたから今度はペルーンの好きなレバーをソテーするわ。今日はバターがあるから昨日よりも美味しくできると思うの!」
「クゥナッ!」
『バターを使うのか! 』
「ええ! ふふっ」
目を輝かさせ尻尾を勢い良く振り始めた聖獣達が可愛くて、思わず笑みがこぼれた。バターがどんな味なのかずっと気になっていたようだ。
ミルクスープの入った寸胴鍋を火から下ろして、フライパンを石の竃に置くと、気合を入れるように下がってきた腕の袖をグイッと上げ直した。
昨日の口裂け兎のレバーソテーは、油がなくて焦げ付いてしまったが、今日はバターがあるので焦がさず火を通す事ができそうだ。そして何より、初めて作った首長羊のバターがどんな味なのか、私もずっと気になっていた。
熱したフライパンにバターをひと匙加えると、じゅわりと薄黄色の塊が溶けていく。その香ばしくまろやかな香りに、聖獣達が鼻をヒクヒクと動かしフライパンを覗き込んだ。
「あまり近づくと油が跳ねるかもしれないわ。ほら、危ないからもう少し離れてちょうだい……もぉ〜、バルカン油が散っても知らないわよ?」
フライパンを離してもクンクンと鼻を鳴らし、顔を寄せてついてくる聖獣達に注意する。ペルーンは大人しくお座りをしたが、それでも覗き続けるバルカンに呆れた。
なるべく油が跳ねないように、そっとフライパンに三つ眼鳥のレバーと心臓、そして砂肝を入れる。洗った内臓の水気を拭き取るのが甘かったせいか、熱くなったバターと水が反応して、ジャッと油が弾ける様に跳ねた。
「キャア! ……だ、大丈夫だった!? 顔に散ったんじゃ……バルカン?」
フライパンに顔を寄せていたバルカンが目を見開き固まっている。
『……うっ』
「やっぱり散ったのね!? 早く冷やさなきゃ!」
『うっ』
「ちょっと待ってて、すぐお水をっ」
『う、』
「ああ、どうしよう! そうだ、火傷に効く薬草もっ」
『うまいっ!』
「……え?」
『なんだこれは! バターはこんなに美味いのか!』
焦る私をよそ目に、自分の顔をべろりと舐めたバルカンが、興奮しながらバターの美味さに感動している。その姿に、水の入ったバケツを持ち上げた腕を止めホッと息を吐いた。
よく考えれば火属性のバルカンなら、熱々の油が散っても大した事ではないのだろう。初めての美味しさに浸るバルカンの大きな体に、ペルーンがよじ登りバターの散った鬣を自分も舐めたいと頑張っている。
そのなんとも気の抜ける光景に、冷や汗を拭い未だどくどくと鳴る胸をさすりながら、今度は長い息を吐いてフライパンを揺すった。
じゅうじゅうと軽い音を立てる内臓が、バターのお陰でフライパンに貼り付くことなく転がる。朝摘んだローズマリーとタイムを千切って一緒に炒めると、バターの香りに混ざってより一層食欲をそそる香りが広がった。
バターとハーブの香りに癒されながら、次からはもっと水気をしっかり取ろうと、心に固く誓い岩塩を振って味見をした。
「あち、ん〜っ! おいひいっ」
熱い砂肝を口に入れ、はふはふと湯気を口から出しながら味見をする。サクサクとした食感に、濃厚なバターとハーブの香りが鼻から抜けて、久しぶりに塩以外のこってりした味わいに感動した。
『あっ! ずるいぞメリッサ!』
「クナッ!」
「ふふ、味見よ! さぁ、もう出来たわ。お皿に盛り付けましょう……ぷっあははは!」
私の言葉に素早く自分の皿を咥えて、行儀よく待つ聖獣達が、あまりにも可愛くて吹き出したのだった。






