飢えを救った英雄と穀物
青々とした若葉が絨毯の様に辺り一面に広がっている。
広く見通しの良い草原に真っ二つに割れ黒焦げになった大木が静かに佇んでいた。幹の根元からは新たな芽を出し、その生命力に自然の強さを感じる。
「素敵なところね。なんだかとっても清々しいわ」
風が吹くたび涼しげな音を鳴らして、緑の絨毯が波打ち光を反射する。その波を追いかける様に幼獣が走り出した。
無邪気に緑の絨毯を踏みながら、小さな体に光をパチパチと纏わせ転げ回る。若葉が幼獣の発する小さな雷に共鳴し、ピンと立ち上がり活き活きと揺れた。
不思議な光景にしゃがんでその葉をよく観察する。すっと細く伸びる葉の形状は小麦の様に稲科の若葉にそっくりだった。
だが小麦にはない真ん中に一本の金色の線が入っている。
「これ……」
『どうした?』
「ねぇ、バルカン。この植物は前から生えていたの?」
『いや、少し前はこの一帯にいろんな草花が生えていたがチビが生まれた落雷の時に一緒に燃えたな』
「じゃあ、雷が落ちた後にこの植物が生えてきたのね」
『そう言えばそうだな。気付いた時には既に生え揃っていた。この葉がどうかしたのか?』
「ええ……もしかするとペルンじゃないかしら。私も絵でしか見た事がないのだけど……絵本やお伽話に雷の妖精が育てた穀物のお話があるの」
『ああ、もしかして黄金色の稲穂を実らせるやつか? 沼地だった頃に雷の妖精が気まぐれに育てていたな。度々沼の蛙を気絶させていたが……言われてみればその若葉はこれとそっくりだ。あれは中々美味いぞ』
「やっぱり! お伽話で出てくるペルンだわ! す、すごい……本当にあったのね! 」
架空の植物だと思っていたペルンがいま目の前にある。感動して震える手でそっと金色の線の入った若葉を撫でた。
バルカン達に出会いお伽話は強ち間違いではない事に気づかされたが、まさかあの話が本当だったとは。
沼地や乾燥地帯でも育ち、土の妖精がそっぽを向いた土地でも、雷の妖精が気まぐれに落とす落雷から実るペルンは人々の飢えを救ったとお伽話に記されている。
ある時は水不足で作物の育たない夏に、そしてある時は寒くて食料の取れない冬にいつの間にか出現する不思議で美しく美味しいペルン。
黄金色に輝く稲穂の籾殻を落とすと、中から飴色の粒が現れ、人々はそれを釜で炊いたり粉にし丸めて窯で焼いて食したそうだ。そして大事に残しておいたペルンの種を今度は人々の手ずから田畑を耕し蒔いた。
育った若葉には金色の線は入っておらず、稲穂は妖精の育てたペルンの様に輝く事はなかった。だが、変わりに今で言う麦と言う穀物が生まれたのだ。
これは、カッチェス王国周辺の国のお伽話だが、東の国周辺のお伽話ではペルンの名前も別の名前で記され、麦ではなく米が生まれたと記されている。
その国の環境によって話の内容が少しずつ変わっているが、雷の妖精が飢えの危機を救ったお伽話は世界各国共通で、今もどこの国でも豊穣祭でペルンの代わりに現地で食べられている穀物を代用して祝っている。
ちなみに、私が暮らしていたカッチェス王国やその周辺国は麦で代用しているが、東の国周辺国では米で代用しているらしい。
「このペルンで飢えていた人々を救ったとして雷の妖精はお伽話に英雄として描かれているわ。土の妖精と雷の妖精は豊穣の神の使いって言われて毎年豊穣祭が開かれるのよ」
『あのチビがか? 雷の妖精は悪戯に雷を落として植物の成長を早く促すせいで土の妖精によく叱られていたほど適当な奴だぞ。我を差し置いて崇められるとは!』
「ふふ、火の妖精も鍛冶や料理の神の使いとして崇められているわよ。新しい剣を打つ時やキッチンに料理人が初めて入る日には火の妖精に供物を捧げて挨拶をするのですって」
『む、風達は我にそんな事一言も言わなかったぞ。お前達なぜ言わなかったのだ! ふん、さては我が祀られて悔しかったのだろう?』
「今では妖精は架空の存在だと思われているから、昔からの習わしや、おまじないとしてする人やお祭り感覚で参加する人が多いのよ。私だって妖精はお伽話だとずっと思っていたし豊穣祭もただのお祭りの一つだと思っていたもの」
『これだから人間は愚かなのだ! すぐに忘れよって! 我らの有り難みをちゃんとわかっておらんな!』
「ええ、そうね……。今この豊かな生活ができるのは妖精達のお陰なのに申し訳ないし自分が情けないわ」
バルカンのその言葉にしょんぼりと肩を落とした。人間はすぐに有り難みを忘れてしまう愚かな生き物なのだ。
昔はあったはずの信心が無くなり、今は形だけが残ったのかもしれない。何も理解せず只のまじないや、楽しい祭りだとしか思っていなかった自分が恥ずかしかった。
『ゴホンッ! ならば我に届かなかった供物をメリッサお前が供えろ。我はクラッカーを所望する!』
「ふふ……ええ!きっとペルンがあればクラッカーも作ることができるわ! ありがとう。バルカン」
『美味いのを作れよ』
「頑張るわ」
下を向いた私にバルカンが態とらしく咳払いをして優しい提案をしてくれる。きっとペルンがあればなんとかしてクラッカーを作る事ができそうだ。
この広い緑の絨毯が穂をつけると思うと、かなり収穫は大変そうだ。それに粉にするにはどうすれば良いか考えなくてはならない。
だが、ペルンの見たこともない美しい光景を目の当たりにでき、尚且つ食することができる喜びにこの先待ち構える苦労よりも楽しみの方が大きい。
広い緑の絨毯を眺め黄金色に輝く稲穂を想像していると、幼獣が嬉しそうにこちらに向かってかけてくる。
「クナァンッ!」
飛びついてきた幼獣を受け止めると、興奮した様に私の顔を舐め何度も鳴き声をあげる。
「ふふっ、くすぐったいわ! どうしたの?」
「クナァン! クナァン!」
『メリッサが自分の名前を呼んだと喜んでいるぞ』
「え? 名前?」
「クゥナァ!」
ぐりぐりと頭を私の頬に押し付けてくる幼獣の名前を呼んだ覚えがない。それに未だに幼獣の良い名前が思いつかず悩んでいる最中だったので、何のことか分からずきょとんとしてしまう。
バルカンと話をしていたのはお伽話の穀物の事しか話していない、そう思いある事に気づいた。
「もしかして、ペルン!?」
「クナァーン、クナァーン!」
「ペルーン?」
「クゥナッ!」
「あなた、ペルーンって言うの?」
「クゥナァ〜!」
「まぁ! ふふふ、そうなのね! ペルーン!」
小さな体を天にかざす様に持ち上げ、名前を呼びながらくるくる回る。名前を呼ばれたペルーンは嬉しそうに、尻尾をブンブンと振りながら返事をした。
お伽話のペルンは雷の妖精の名前から取った物だったらしい。そしてもしかすると、そのモデルになった妖精はこの子かもしれない。
驚くべき事実だが今は無邪気に鳴くこの子の名前が分かって嬉しい。それと名前をつけなくて良かったと小さな体に頬ずりをした。
「もう! バルカンもペルーンの名前を知っていたなら教えてくれても良かったのに!」
『言ってなかったか?』
「ずっとチビって言っていたじゃない」
『そうだったか? それよりバターとやらを早く作るぞ』
「あっ! そうね。 忘れてた!」
「クナァン」
ペルーンを下ろしてバケツの中を漁る。お伽話に出てきた人々の飢えを救った英雄が、尻尾を振ってバケツの中を興味深そうに覗いた。
その可愛い姿にくすりと笑い、スカーフで巻いた首長羊の乳が入った瓶を取り出したのだった。






