楽しいディナー
あれほど苦戦した毛皮の処理も慣れてきたのか手を止めず撫でる様に削っていく。手の疲労感や周りの事など気づかないほど意識は毛皮に集中していた。
幼獣が何度も私と鍋の近くを行ったり来たりと往復していたらしいが、それさえも気づかないほどだ。最後のひと削りが終わり、内側の皮の表面が滑らかで真っ白になった。
「できた! ねぇ、見て? 今度は穴を開けずに綺麗にできたわ!」
私の側で寝転ぶバルカンに毛皮を広げて見せると、片目を開きクンクンと鼻をひくつかせた。
『良かったな。それより鍋の方は大丈夫なのか? そろそろ……』
バルカンがのそりと起き上がりキッチンに目を向けた瞬間、鍋からスープが噴きこぼれる音が聞こえてきた。
「クナァーゥッ!」
「あっ! いけない、すっかり忘れていたわ!」
幼獣が叫んで私を呼ぶ声に、持っていた毛皮を放り投げ慌ててキッチンに向かう。リビングまでふんわりと良い香りがしていたが、キッチンに入ると食欲のそそる強い香りに空腹を感じた。
寸胴鍋の中を覗くと薄い琥珀色のスープに艶々と脂が浮いている。竃の火は先程の噴きこぼれで弱火になったが、火は消えておらず安心した。この後、口裂け兎の内臓と一匹分肉を焼く予定なのだ。
『良い香りだな。大丈夫だったか?』
「ええ、少し噴きこぼれただけみたい。あとはお塩で味を調えたらスープは完成よ!」
手を洗いながらそう答えると、お待ちかねのスープの完成に幼獣がぴょんぴょん飛び跳ねた。
「クナゥ! クナゥ!」
「ふふふ」
料理初心者なので味付けをするのに目分量など分からない。味が濃くなるのだけは避けたいので、岩塩を削って様子を見ながら少しずつ足していく事にした。
小皿にスープを少量すくい味見をすると、少し塩気は足りないが、ふんわりとハーブの香りが鼻を抜け凝縮された三つ眼鳥の旨味が口の中に広がった。
「美味しい……! けど、もうちょっとだけお塩を足そうかしら」
二つまみほどパラリと塩を足し味見をすると、街の食堂で出せるほど美味しくなった。まさか初めからここまで上手くできるとは思っていなかったので感動する。
もしかして私、お料理の才能があるのかしら!
あまりの美味しさに頬に手を当てうっとりと浸る。そんな私の足に、幼獣が前脚を乗せ自分も欲しいとおねだりをした。
「ふふふ、味見だからちょっとだけよ?」
小皿に少しスープをすくい、ふぅふぅと息を吹きかける。冷ましたそれを幼獣の前に置くと、待ってましたと言わんばかりに飛びついた。
「美味しかった? ふふ、後でもっといっぱい食べさせてあげるから、もう少し待っててね」
空の皿を名残惜しそうに見つめ、一滴残らず舐めとった幼獣を撫でる。
「クゥナァ〜ン!」
幼獣が後で沢山食べられると聞いて嬉しそうに尻尾を振った。
「バルカンも味見する?」
『いや、それより早く肉を焼け。味見だけでは満足できん』
「ふふ、そうね。早く焼いてご飯にしましょう!」
風呂上がりに果実を食べたが、まともに食事をしたのは朝食だけで既に外は陽が落ちている。毛皮の処理に集中しすぎて気づかなかったが、壁付のランプなど家中のありとあらゆるランプに明りが灯っていた。
見覚えのある優しい灯りにランプの中を覗くと、火光虫が中に入って蝋燭の代わりになってくれている。
「あら? いつの間に火光虫が……でも1匹だけじゃないわ。全部のランプに灯りが……?」
『お前が持っていたランプの中の火光虫が仲間を呼んだのだ。あれは普通の火光虫と違って知能があるからな』
やはりあの火光虫は私の言葉が分かっていたのだ。バルカンの話を詳しく聞いていると、更に驚くべき事実に目を剥いた。
なんとバルカンが産声を上げて散らした火花から産まれたのがあの火光虫らしい。聖獣とはまた違う様でバルカンの眷属になるのか、けれど常に一緒に居るわけではないそうだ。
いつも何処かへ好きに飛び回る火光虫に、バルカンも久しぶりに再会したのだとか。
「まさかバルカンの産声から生まれたなんて驚いたわ! 森に入って初めて出会ったのがあの子なの。それからずっと助けてもらっていたわ」
『ああ、そうらしいな。珍しく近くに気配を感じると思ったら、まさかメリッサの提げていたランプの中で眠っていたとは……我もこやつが起きて初めて気づいたのだ』
驚いているとバルカンの鬣の中から小さな光が現れ、ふわりと私の目の前に飛んできた。どうやら噂の火光虫のようだ。
いつの間にランプからバルカンの鬣の中に入ったのか分からないが、手を差し出すと指の先にとまった。
「お友達を連れてきてくれてありがとう! あなた達のお陰でお家の中が明るいわ。後でみんなに甘い果汁をご馳走するわね!」
部屋中オレンジ色の優しい灯りに包まれて温かで落ち着く空間になっている。嬉しそうに指先からふわりと飛び立った火光虫が、くるりと回ってバルカンの鼻の上にとまった。
『こら、そこに止まるな! むず痒いわ!』
「ふふふ、仲が良いのね」
バルカンと火光虫のやり取りに笑っていると、幼獣がこちらに目もくれず、ひたすら鍋の前でお座りをして待ち続ける姿が目に入った。そろそろ幼獣の周りに涎の海ができそうなので口ではなく手を動かす事にする。
「そ、それじゃあ私は早く毛皮を片付けてお肉を焼こうかしら!」
リビングに放りっぱなしの毛皮を色の出た鞣し液に漬け込み浮いてこないように石を乗せた。手とナイフを洗って口裂け兎の肉と内臓を岩塩の床下から取り出す。
まずは、皮を剥ぎ内臓を処理しただけの口裂け兎に、ナイフを入れてモモ肉や背中の肉などを分けていく。三つ眼鳥と形は違うが、関節や骨にそって切るだけなのでそれ程時間はかからない。
それに肉が残ってもそのままスープにできるので気にせず大胆に切り分けた。骨はしっかりバナの葉に包んで岩塩の床下に収める。
明日のスープは口裂け兎のガラで出汁を取るのだ。
内臓もそれぞれ食べやすい大きさに切って血を洗うと、肉と一緒にタイムと少量の岩塩を揉み込みフライパンで焼く事にした。
竃に小枝を足して火力を上げてフライパンを熱していく。油がないので焦げ付かないか少し心配だ。
まずは火の通りにくい骨つきのモモ肉と胸肉を熱したフライパンに敷き詰め焼いていく。
ジュウジュウと肉の焼ける音と香ばしい香りに腹の虫が鳴る。口裂け兎自身の油が滲み出てフライパンに貼り付く事なくひっくり返す事ができた。
両面を焼いても中に火が通っているのか心配なので、フライパンのまま竃の中に直接入れてじっくりグリルする。屋敷の厨房には魔道具のオーブンがあったが、平民は竃の中に直接入れてパンを焼いたりするらしい。
口裂け兎の肉をグリルしている間に、スープの中に入っている三つ眼鳥のガラを取り出す。よく見ると肉が沢山ついていて勿体無いので、骨から身をほぐしてスープの具にした。
一回り小さいフライパンに臭み取りをした内臓を入れて炒めていく。油分が少ないせいで、やはりフライパンに貼り付き少し焦がしてしまった。
やっぱり油は必要だわ。
折角の新鮮な内臓が焦げてしまう。
ソテーする時は必ずバターや油がいるってお料理の本に書いてあったもの。
脂の多い魔物か油の取れる植物を探さなくてはいけないわね。
三枚のお皿にソテーした内臓をそれぞれ盛り付けた所で、竃からフライパンを取り出す。肉にこんがりときつね色の焼き色がつき美味しそうだ。
ぷすりとナイフの先を突き刺すと、透明な肉汁が溢れてきた。この肉汁が濁っているとまだ生焼けで、透明だと中まで火が通っている証拠なのだとか。
「よし! 肉汁も透明だし多分お肉も焼けてるみたいね」
内臓のソテーを乗せたお皿に肉を盛り付け、テーブルに運ぶ。幼獣とバルカンがそわそわと落ち着きなくテーブルの近くに集まった。
竃の火を消しスープを注ぐのだがバルカンのスープは木で作られた大きなサラダボウルに注いだ。
「さぁ、出来たわよ! 食べましょう」
「クゥナァン!」
『なかなか美味そうだ』
幼獣とバルカンがフガフガと鼻息で肉を冷ましている。
「やっぱり二人とも猫舌なの?」
『誰が猫だ! そんな軟弱なものと一緒にするな。それに我は火属性ぞ。熱い物など平気だが多少冷まして食べた方が味が良く分かって美味いとガジルに言われたのだ』
「そうなのね……」
確かに露天風呂の時、真っ赤に染まる熱い石を平気で咥えていたのを思い出す。一方で幼獣は待ちきれなかったのかレバーを口にして熱さに転げ回っている。
見かねて水の入った皿を目の前に置いてやると、舌を冷やす様にペロペロと舐めた。
この子は完璧に猫舌なのね……。
幼獣のレバーに息を吹きかけ冷ましてやると美味しそうにはぐはぐと小さな生えかけの牙で食べている。その姿を見て私も食事をとることにした。
スープを一口こくりと飲むと、久しぶりの温かい汁物にホッと息を吐く。身体の内側から温まる美味しさだ。
幼獣達には焦げていない所を取り分けたが、レバーと心臓、そして腎臓を使ったソテーは少し焦がしてしまった。だが、内臓自体は臭みがなくて食べやすく、それぞれ食感が異なるので食べていて飽きがこない。
次に焼く時はなんとか油を確保したいところだ。
口裂け兎の肉は淡白で鶏肉に近い食感だが肉の甘みが強い。最後に少し野生的な香りが鼻を抜けるがタイムが良い仕事をしている。
「口裂け兎ってこんな味なのね! ローストも良いけど煮込み料理にも合いそうだわ」
『ガジルは丸焼きかシチューにしていたぞ。それよりメリッサ、スープのおかわりをくれ!』
「はーい! ふふ、気に入ってもらえたようね」
『ふん、まぁシンプルだが悪くない。初めてにしては上出来だ!』
初めて挑戦したスープを褒めてもらえて嬉しくてニコニコしながらバルカンにおかわりを差し出した。先程から静かな幼獣に目を向けると夢中でスープを飲んでいる。
二匹の嬉しい反応に次作る時も手を抜かずもっと美味しくなる様に頑張ろうと心に誓う。
「お肉のおかわりはいかが?」
『ああ、もらおう!』
「クゥナ!」
「あなたはレバーが良いのかしら?」
「ナァ〜ウ!」
「はい、どうぞ。 ああ、慌てて食べるとまた舌を火傷するわよ!」
バルカンの皿には口裂け兎のローストを、幼獣の皿にはレバーのソテーをそれぞれ乗せて、少し騒がしく和気あいあいと食卓を囲む。
こんなに楽しくて明るいディナーは初めてだ。
笑いながら気づかず一番焦げてしまったレバーを食べる。
口の中いっぱいに苦味が広がったが、みんなで囲んで食べる食事は、それさえも美味しく感じたのだった。
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