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料理長の優しさ

 艶やかな真っ白い髪を三角巾をする様に花柄のスカーフで纏めて結ぶ。


 長旅のせいで髪が老婆の様にくすんでいたのだが、精霊の泉のお陰で髪に艶が戻った。むしろ、屋敷でケアをされていた頃よりも美しく輝いて見える。

 コンプレックスの塊だったこの髪を生まれて初めて自慢に思った。纏めた髪をサラリと撫でて後ろに流すとトランクケースから『下巻』を取り出す。


 今日は初めて焼く以外の調理をするのだ。

 パラパラとページをめくり、三つ眼鳥のガラで作るスープのレシピが載っているページを探す。


「えーっと……あった! やっぱり鶏ガラのスープと同じ作り方だわ。お料理の本と基本は一緒みたいね。よしっ!」


 パタンと本を閉じて気合を入れ意気揚々と腕まくりをする。まずは湯を沸かさなくてはならない。

 洗った寸胴鍋に水をはり竃に置くと、幼獣が集めてくれた枯れ枝で火を起こす。やはり外と違って風がないぶん竃は火を起こしやすい。


 鍋の湯が沸騰する間に、岩塩の床下から取り出した三つ眼鳥のガラを洗い関節に沿って軽くナイフを振り落とす。パコンと軽い音を立て太い骨が軽々と断ち切れる。

 その様子に魔物を解体しても切れ味の変わらないナイフで怪我をしないよう気を引き締めた。


「あんなに魔物を切ったのに刃こぼれ一つしていないのよね……これ、何で作られたナイフなのかしら?」


 グラグラと沸騰したお湯の中に三つ眼鳥のガラを入れ湯通しすると、また水で洗って血合いを取っていく。この工程を怠ると臭みがスープに残るらしい。


「よいっしょ! あちちっ」


 寸胴鍋のお湯を捨てると洗い場に、もくもくと湯気が上がる。


「ふふ、匂いにつられて来たの? でも、まだまだ出来上がるのは先よ」


「クゥナァ〜」


 鼻を鳴らして足元に擦り寄る気の早い幼獣に笑いかけた。


 新たに寸胴鍋に水をはり湯通しをした三つ眼鳥のガラと月桂樹の葉、それとタイムも入れて煮込んでいく。

 タニンの実を収穫している時、たまたま大きな月桂樹を見つけたのだ。葉に手が届かずバルカンが登って小枝ごと取ってくれたので、残りの使わない分は逆さに吊るして干している。

 タイムは草が生い茂り荒れ放題の庭園ですぐに目に入ったものを千切ってきたのだ。本当は他にもスープに入れると美味しい香味野菜やハーブがないか見たかったが、苦味と渋みに戦う幼獣が可哀想だったので早々に引き上げた。

 その為とてもシンプルだが、純粋に三つ眼鳥の味を楽しむには丁度良いスープになるかもしれない。そうこうしていると、スープの上に茶色い泡が浮いてきた。


「この泡がきっと灰汁ね」


 木のおたまで少しずつ茶色い泡をすくっていく。

 最初は灰汁だけでなくスープまで一緒に取ってしまったがコツを掴んで手早く灰汁だけ綺麗にすくい上げる事ができるようになった。

 腰に手を当てササッと灰汁を取る姿は、宛ら屋敷の料理長の様だ。


 しかしスープを作るのに、こんなに手間暇がかかるとは思いもしなかった。水の張った重たい大きな寸胴鍋を何度も抱えたし、せっかく沸かしたお湯も一度ガラを湯通ししただけなのに捨てるのだ。

 何度も洗ったり灰汁を根気よく取ったり、ただ材料を鍋に入れて煮込むだけではない。とても繊細で丁寧な仕事が必要だった。

 お料理本で作り方は知っていたが、所詮知識だけで実際に作るとなると想像以上に大変だ。煮えたぎる鍋や竃の近くにずっと立って仕事をするのは暑いし疲れる。

 屋敷にいた時は、毎食美味しいスープが用意され他にも手の込んだ料理が並んでいた。当たり前の様に食していたが厨房では忙しなく皆動き回っていたのだろう。

 澄ました顔で料理を給仕する執事や侍女達からは厨房の慌ただしさなど微塵も感じさせなかった。


 私がショックを受けて食事が喉を通らなかった時、部屋に具の入っていない黄金色のスープが運ばれてきた事があった。あの時の私は半分も飲めず残してしまったけど、野菜や肉の旨味が溶け込んだ優しい味だったのを覚えている。

 今なら、あのスープがどれだけ手の込んだものなのか分かる気がした。きっと、この目の前のスープと比べ物にならないくらい時間をかけて作られていたのだろう。

 料理長にはとても申し訳ない事をしてしまった。


 思い返してみれば両親に酷く当たられた日や特別落ち込んだ日には、サクサクの甘酸っぱいアップルパイやレモンカードたっぷりのタルトがデザートに出てきた。

 どちらも私の好物だったがリクエストしたり、ましてや誰かにその事を話した覚えがない。だが毎回さり気無く振舞われた甘くて美味しいスイーツに、慰められその日の終わりを、少しだけ明るい気持ちにさせてくれた。

 今思えばあれは料理長なりの慰めだったのかもしれない。屋敷の中は自分の居場所がないと思っていたけど、彼の様に心を配ってくれる人もいた事を、遠く離れた魔物の森で初めて気がついたのだ。

 今更気づき本当に周りが見えていなかった自分につくづく馬鹿だと呆れた。あの無口そうな力こぶの凄い料理長を思い出し、じんわりと胸に温かな気持ちが込み上げ目尻に涙が浮かんだ。


「クゥナァ〜」


「大丈夫、これは悲しい涙じゃないわ。嬉しい事に気づいたの!」


 私の足に尻尾を絡ませて心配そうに見上げる幼獣に目尻の涙を拭いて笑いかけた。


 

 あ……!

 私、厨房でビネガーを使って異臭騒ぎを起こしてしまったのだったわ。

 あの後、厨房は大丈夫だったのかしら?

 あぁ、本当に料理長には申し訳ない事ばかりしてるわ……。



 真夜中の大冒険に料理長の聖域を荒らした事を思い出し反省しながら鍋の中をかき混ぜる。一通り灰汁を取ったので後はじっくり時間をかけて煮込んでいくだけだ。


「まだ出汁がしっかり取れるまで時間がかかるし、今のうちに口裂け兎の毛皮の余分な肉と脂を処理しようかしら」


 リビングで竃の様子が見える場所に椅子を置いて、洗った口裂け兎の毛皮を広げる。


「う〜ん、意外と脂が残ってるわね……あっ!」


 ナイフで少しずつ毛皮に残っている脂や肉を削いでいくのだが、力加減が難しくビリッと穴を開けてしまった。


「あぁ〜、やっちゃった……」


「クゥナ?」


 毛皮を持ち上げ破れた箇所を見ていると、穴の向こう側に首を傾け不思議そうにこちらを見ている幼獣と目が合った。

 この切れ味の良すぎるナイフだと毛皮が穴だらけになってしまうので、料理長に迷惑をかけてサビ抜きをした小さいナイフを使う事にした。こちらの方が握りやすく切れ味も普通なので削りやすい。

 ただ、それでも何度か穴を開けてしまい大小様々な穴が出来上がってしまった。この毛皮の脂を削ぐ作業は思っていたより大変だ。

 まだあと一枚残っていると思うとげんなりした。疲労感のある手を揉みながら溜息をつく。


「ん〜っ! よし、もうひと頑張りしましょうか!」


 凝り固まった肩を伸ばして気合いを入れると、もう一枚の毛皮に手を伸ばしたのだった。

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