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幼獣のトラウマと宝の実

 岩塩の床下で冷やしておいた赤い果実に齧り付く。風呂上がりの乾いた喉に、冷んやりと溢れ出す甘酸っぱい果汁がなんとも心地良い。

 潤いが身体の隅々まで染み渡る様だ。


 椅子に座る私の足元で、バルカンと幼獣が同じ様に赤い果実に舌鼓を打っている。


『メリッサよ。風呂上がりの冷えた果実は格別だな』


「ええ、本当に生き返る様だわ。まだ沢山実っていたから今度収穫しに行きましょう!」



 露天風呂とは本当に凄いものだ。



 風呂から上がってバルカンにワンピースをひと吹きで乾かしてもらった後、彼の口から初めて私の名前を呼んでもらえた。



『メリッサ、我の事も幼獣と同じ様にもっと気安く振る舞え。別に一々畏まらなくて良い』


「まぁ! うふふっ、はい」


 この言葉を聞いた時、露天風呂に肩を並べて入った者同士、皆総じて仲良くなると本に書いてあったのを思い出した。バルカンと距離が縮んだ事が嬉しくて美しさに磨きがかかった鬣に顔を埋めた。

 気安く振る舞えと言われたが、いきなり抱きついたのは流石に不味かったかと我にかえる。そろりと離れようとすれば、バルカンが私の身体に頭を擦り寄せてきたので遠慮なく指通りの良い鬣をもふもふさせてもらったのだ。




「はぁ〜、美味しかった。このままゆっくりしていたいけど、まだやる事が沢山あるから寛いでる暇はないわね」


 みんなで仲良く冷えた果実を堪能した後、まずはキッチンとトイレの水瓶に水を汲むことにする。

 バルカンに手伝ってもらいながら何度か往復をしていると、幼獣が唸り声をあげてこてんと転がった。


『グゥナァァ、ペッ! ペッ!』


 渋い顔をして口に入れた物を吐き出している。


「どうしたの!? 大丈夫!?」


「グゥ〜……」


「あら? これ……もしかするとタニンの実じゃないかしら!?」


 毒のあるものを口に入れてしまったのかと心配したが、幼獣の吐き出した実は毒の心配がないタニンの実だった。上を見上げれば木の枝に茶色く小さな実がびっしり鈴なりにできて垂れ下がっている。

 タニンの実はほのかにナッツの様な甘い香りがする。幼獣も匂いに釣られて口に入れてしまったのだろう。

 うっかり口にすれば、小動物でさえ避けて通るほど苦く渋い味に悶絶する羽目になる。だが動物には嫌われる実でも人間にとっては貴重な実だ。

 何故ならこの渋みで動物の皮を鞣すための、上質な鞣し液が作れるからだ。他に鞣し液は木の皮でも作れるが、それで皮を鞣すには濃度の薄い液から濃い液へ段階を踏んで漬けていかなくてはならない。

 しかも、漬けては取り出し叩き伸ばしては乾かすを、何度も繰り返し数ヶ月かけて鞣す。

 最終的に乾かして内側の硬くなった皮をヤスリで削り柔らかくして、仕上げに動物から取れた油を塗るのだ。簡単に手に入る樹木から作ると、一枚の皮を品質良く鞣すのにかなりの時間と労力がかかり人件費がかさむ。

 一方このタニンの実は、同じ鞣し液に三日ほど漬け込み軽く揉むだけで後は何もせず乾かすだけだ。内側の皮にヤスリをせずとも柔らかく、仕上げの油を塗るだけで良い。

 時間も労力もかけず簡単にできるのに手触りも艶も樹木の皮で作るより格段に美しい仕上がりになる。


 革製品を取り扱う商売をしている人間からしたら、喉から手が出るほど欲しい実だろう。だけど、タニンの実は動物に食い荒らされる事がない代わりに、育ちにくいのか見つけるのが困難なのだとか。

 そのため、なかなか手に入らない実なので高値で取引されているそうだ。


 口裂け兎の皮鞣しは時間はかかるが栗かミモザの樹木の皮で鞣すしかないと思っていたので、このタイミングで発見できた事がかなり嬉しい。

 舌を出して涙目で見上げてくる幼獣には悪いが、滅多にお目にかかる事の出来ない植物に感動した。


「これ、とても貴重な実なのよ! 見つけてくれてありがとう。口の中が渋いでしょう? 帰ったらミントキャンディーをあげるわ」


『我もまだミントキャンディーとやらを貰ってないぞ! ふん、こやつはすぐ手当たり次第に物を口に入れたがる。毒がないのが分かるぶん尚更油断して何でも口にするのだ』


「ええ、バルカンにも後であげるわね。それより聖獣って毒も嗅ぎ分けられるの? 凄い!」


『我らにとってそんなこと造作もない。ただ、こやつは未熟なのだ。毒がなくとも不味いものは見分けがまだつかん様だな』


 相当渋いのか幼獣が前脚で自分の舌を何度も触ってはジタバタしている。出来るだけ早く地面に落ちているタニンの実を拾い集め急いで家に帰った。



「ほら、口を開けて。飲み込んじゃダメよ? ゆっくり舐めるの」


 ミントキャンディーをナイフの柄で砕き小さくなったカケラを幼獣の舌の上に乗せてやる。口を開いて待つバルカンにはそのまま一粒放り込んだ。


「クゥナァ〜」


 清涼感のある爽やかな甘みに幾分口の中の渋みが和らいだのか、幼獣の険しかった表情がふにゃりと緩んだ。


『うむ。なかなか美味いな。蜜の木の粒に薬草を足した様な味だ』


「蜜の木?」


『ああ、樹液が甘く昆虫型の魔物が夜な夜な吸いに行く樹木があるのだ。朝になると魔物が吸ったその樹木の根下に溢れた樹液が固まって、丁度このミントキャンディーと同じ様な粒ができるのだ』


「蜜の木……樹液が甘いって事はメイプルかしら?」


『明日の朝、取りに行くか?』


「ええ! 是非!」


「クナァ〜、ナァ〜」


 次の飴を催促する幼獣に砕いた残りの飴を少しずつ口に入れてあげた。明日の約束にウキウキしながら拾い集めたタニンの実を石で叩いて水を張ったバケツに入れて行く。

 これで水が茶色くなったら鞣し液の出来上がりだ。だがまずは風呂の残り湯で洗った毛皮から余分な脂肪や肉をナイフでそがなくてはならない。

 鞣し液が出来るまで時間があるので、今のうちに毛皮の処理をしようかと思ったが、それよりも先に食事の用意をする事にした。

 今日は三つ眼鳥のガラでスープを作るのだ。じっくり煮込むのに時間がかかる様なので、煮込んでいる間に毛皮の処理をした方が良いだろう。


「グヌゥ……」


「ぷっ、ふふ!」


 バケツの中の潰して水に浸したタニンの実に嫌そうな顔をする幼獣をみて吹き出した。今までに見たことのない何とも言えない顔で、笑っては可哀想だが少し不細工でとても可愛い。

 甘い香りで誘惑され、かなり強烈なトラウマを植え付けられたようだ。あの味を思い出したのかバケツを避ける様に少し離れた所で警戒している。

 倒して中身をこぼすと幼獣が騒ぎそうなので、倒さない様に壁際に置いておく事にした。笑いをこらえタニンの実で真っ黒になった指先をシャボンの実で洗い流したのだった。

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