妖精の泉
初めて食べた美味しい串焼きに満足して、伸びをしながら立ち上がる。トランクケースからストールを取り出し頭に頭巾を巻く様に、ギュッと縛って気合いを入れた。
「よしっ! お腹も膨れた事だし、お掃除を始めましょうか!」
意気揚々と家に入り、油ぎれして開きにくい窓を勢い良く開け放った。今まで室内に篭っていた空気が外へ流れるかわりに、風が部屋に入った瞬間ブワリと積もっていた埃が舞った。
「うっ、ゴホゴホッ……やっぱり凄い埃ね。口にハンカチを巻かなくちゃ」
「ハクチッ! ハクチッ!」
一緒についてきた幼獣が、舞った埃を吸ってしまい、くしゃみをした反動で転がった。急いで抱き上げ外に連れ出すと、埃のついた身体を払ってやる。
鼻水を垂らす小さな鼻を拭いてやり、床が綺麗になるまでは外にいてもらう事にした。それでも、何か手伝いたいのか、着いて来ようとする幼獣に、得意な枯れ枝集めをお願いすると、嬉しそうに駆けていった。
小さな後ろ姿を見送ると、ハンカチで口の周りを覆い、掃除道具がないか部屋の中を探索した。玄関に入ってすぐには、リビングが広がっており石造りの暖炉がある。
それと、増築された小さな部屋には木で作られた簡素なベッドがあった。
きっと、ここがベッドルームね。
お布団の布が所々虫食いで穴があいているわ。
それに、リビングにあった椅子のクッションも……。
やっぱりバルカンの言ってた維持魔法が途中で切れてしまったのかしら?
取り敢えず、布団やクッションの布類は全て外の木にゴモの蔓を張って干す事にした。パンパンと棒を使って叩くと埃がボフリと出てくる。
やはり干すだけでは使えないので、明日陽の高いうちに洗濯をしようと決めた。
リビングの奥にはキッチンと、離れた所に扉のついた部屋がある。まずは、キッチンを覗いてみると霞んだ銅製の寸胴鍋が石造りの竃に乗っている。
壁には同じ素材のフライパンやヘラなどの調理器具が引っ掛けられており、その近くには、木製の戸棚にケトルや空き瓶、それと木で作られた食器やカトラリーが収められている。
その横には、年季の入った大きな鉄鍋が置いてあり、あまりの重さに持ち上げようと思っても、床から一瞬持ち上げるのが精一杯だった。
洗い場は、タイルのように敷き詰められた石組みで、底には排水口らしき場所に栓がしてある。洗い場のすぐ隣の台には、蛇口のついた大きな酒樽がドシンと置いてあった。
この酒樽に水を入れ、蛇口をひねると水を流しながら洗い物ができるようにしてあるのだろう。近くに大きな古い水瓶があるので、元々はそれに水を入れていたのかもしれない。
きっと、この酒樽も荷馬車ごと酒を盗んだ盗賊の置き土産だろう。もしそうなら、ガジルは相当な量の酒を飲んだ事になるが、大丈夫だったのだろうか?
キッチンとリビングの間にあったダイニングテーブルから、椅子を引っ張り出して、蓋のしてある酒樽の中を覗き込む。案の定、中は空っぽだが蓋をしてあったお陰で埃は積もっていなかった。
ただ、この樽の中に川から水を毎日汲む事になる。そうなると、足場の悪い道を何往復もしなければならないと思うと気が重い。
ただ、鍋があるので、三つ眼鳥のガラでスープが作れる。捨てなくて良かったと、水の事で沈んでいた気持ちが浮上した。
椅子を元の場所に戻そうとひきずった時、ガクンと何かに引っかかって止まる。どうやら椅子の脚が一本床に突き刺さってしまったようだ。
「えっ! やだ、床に穴があいちゃったわ!」
焦って穴から椅子を引き抜こうとすると、パカリと一緒に床の一部が外れた。
「!?」
床を壊したかと焦ったが、床の外れた場所を見ると見覚えのある薄ピンク色が見えた。持っていた椅子を離して床下を覗き込むと、薄ピンク色の岩塩に囲われた四角い穴ができている。
手をそっと中に入れると冷んやりしており、塩の洞窟と同じくらいの温度が保たれている。もしかすると、食料を保存する為の床下収納かもしれない。
これなら、冷蔵庫の代わりになるし生肉も全て塩漬けせずに済みそうだ。急いでトランクケースに入れているバナの葉で包んだ三つ眼鳥のガラと、赤い果実を岩塩で出来た食料保存庫に入れる。
椅子で穴を開けてしまったと勘違いした場所は、どうやら指を引っ掛けて、床板を外す為のものだった様だ。他にも床下収納がないかと床の穴を探すと、近くにもう一つ同じ物があった。
ただ、中は岩塩ではなく木で出来ており、スペースもこちらの方が広い。温度は室内より低いが、最初に見つけた床下収納よりは高かった。
きっと、瓶詰めや塩漬けをした加工品や、常温だと傷みやすいけど、あまり冷えすぎると良くない物を保管する場所なのかもしれない。
一通りキッチンを見た後は、少し離れた所にある一番端の扉を開いた。小部屋の中央に、椅子の様な壺が床に埋まっているのが目に入る。
そばには、木製の棚に蓋のついた小さな箱があり、中に少し厚みのある、茶色い不恰好な紙が入っていた。
「この紙、きっと手作りね。所々葉っぱの繊維が見えるわ」
小部屋の端には手洗い用なのか、水瓶と柄杓がある。壺の蓋をあけると、座っても落ちない様に便座のような物が付いているので、きっとトイレなのだろう。
屋敷のトイレとは少し違うが何となく似ている。だけど、魔道具でもなさそうだし、どうやって水を流すのかと中を覗き込むと、壺の底には穴が空いていた。
どうやら、水瓶の水を壺に流して、中の排泄物を穴から下へ流す様だ。
ここでも毎日、水を水瓶に汲んでおかなければならないが、手を洗う時の水も一緒に処理できるので、水が無駄にならず、節約できるのは嬉しい。
ただ、使い方は分かったのだが、 キッチンの洗い場もこのトイレの穴の奥も、結局流した後はどうなっているのか分からない。こんな森の中に下水など、通っていないはずだ。
覗きこんでも穴の中は真っ暗でよく見えなかった。だが、驚くべき事に、微かに水が流れる様な音が聞こえてくる。
慌ててトイレから出ると、すぐさま家の裏手に回り込む。その途中、荒れ果てた菜園を見つけ立ち止まった。
草むらに隠れて、ただの雑草が茂っているだけだと思っていたので、気づかなかった。きっとガジルが去った後、収穫されずに育った野菜が地に落ち、その種から芽が出るを繰り返されていたのだろう。
手入れがされず雑草に埋もれた、図鑑で見たことのある野菜の苗がチラホラと見える。
「これトマトの苗だわ。自然にここまで育ったなんて! 後で収穫できる野菜がないか見てみなくちゃ! 」
もしすぐに食べられる野菜ができていたら、絶対スープの具にしようとウキウキしながら、まずは家の裏だと足を進めた。菜園の雑草に足を取られながら、家の横を通り抜けると、水音がかすかに聞こえる。ザクザクと草を踏んで進むと、水音が大きくなった。
何処から聞こえるのか、周りを見回しても川もなければ泉もない。どういう事だと足を踏み出そうとした所で、後ろからグイッとワンピースの首元を引っ張られた。
「うっ!?」
『足元を良く見て歩け。落っこちるぞ』
尻餅をつきそうになる私を、バルカンが鼻先で押し留め注意する。
「ごほごほ……す、すみません」
咄嗟にバルカンの鬣に掴まりながら身体を起こすと、足元に目を向けた。自分の立っている所と変わりなく草が生い茂っているが、チョロチョロとダイレクトに水音が聞こえる。
しゃがんで草を掻き分けると、石で組まれた溝が現れ、そこを水が流れていた。
「こんな所に! 危なかった……ありがとう」
バルカンに振り返り、掴んで乱れてしまった鬣を手ですく様に撫でた。撫でてから、幼獣と同じ扱いをしてしまった事に気付いたが、バルカンは気持ち良さそうに目を閉じていた。
本人も無意識なのか、ゴロゴロと喉を鳴らしている。もし、彼が我に返って気安く触った事に気づかれると、誇り高き聖獣は怒り出すかもしれない。
意識してぎこちなくなりそうな手を、バルカンが気づく前にそっと離した。意外と単純な事は分かったが、まだ彼の事がいまいち掴めないので、どう接していいのか分からない。
ただ、手触りの良い大きなもふもふは最高に気持ちが良かった。バルカンのリラックスした顔を見て、あわよくば気を使わずに撫でさせてもらえる関係になりたいと思った。
誇り高き聖獣に対して、あの大きなもふもふに抱きついたら絶対気持ち良いなどと、邪な考えが頭をよぎる。
パシャッと水が跳ねた音に、罰当たりな想像から我に帰り頭を振った。足元によく目を凝らすと、溝は家の下まで続いており、どうやら手前のキッチンと奥のトイレのすぐ下を通っている様だ。
「これ、キッチンとトイレの下を流れてるのね。凄いわ……森にこんな物があるなんて。この溝の行き着く先はどこなのかしら?」
『この先は、川に繋がっている。だが、この家を使う前に、まずは森の掃除屋を二、三匹捕まえて溝に入れねばならん』
「森の掃除屋?」
『ああ、大ナメクジだ。大きいと言っても、お前の拳三つ分の大きさだ。あの魔物は何でも食べる。特に他の魔物が食べ残し腐らせた物や、ヘドロまで全てを食べて消化し腹の中で浄化した物を排泄するのだ。そのお陰で森は綺麗なままを保たれる』
拳三つ分のナメクジを想像して、ぶるりと背筋が粟立った。だが、バルカンの話では、大ナメクジが浄化してくれるお陰で、森は綺麗だし食べ散らかした物が腐敗して要らぬ病原菌を蔓延させる事もないそうだ。
そしてなにより、家の下を通る溝に大ナメクジを入れておけば、炊事場から流した残飯やトイレの排泄物を食べて浄化してくれるお陰で、天然の濾過装置となって臭いも出ないし清潔に保たれるのだとか。
バルカンが大ナメクジに一目置くだけのことはある。それなら、絶対に大ナメクジを確保せねばならない。
「その大ナメクジは、攻撃してきたりしないのですか?」
『あの魔物は比較的穏やかだ。生きているものには急に噛みつくような事もなければ、毒を撒き散らす事もないから安心しろ』
その言葉に、それなら安全に捕まえられるとホッと息を吐いた。だが、拳三つ程の大ナメクジだと思うと鳥肌の立つ自分に捕まえられるか心配になってくる。
見た瞬間、悲鳴をあげて逃げ出しそうだ。
鳥肌の立つ腕を擦りながらも、水源はどうなっているのか気になって、水の流れに逆らう様に溝の草を掻き分けながら辿って行った。
少し離れた所に階段の様な石畳みがあり、その上から水が流れてきている。そこには、湧き水が出ているようで、大きな岩で囲われた水源を見つけた。
この泉に溜まった水が、溢れ石畳みに落ち、溝を辿って家の方へ流れていたのだ。
岩に生える苔が水の玉を作り、陽の光を反射してキラキラと光っている。泉の底はどこまでも透き通り、ゆるゆると水が湧く度に、水面に波紋ができて幻想的だ。
両手で湧き水を救うと、とても冷たい。いつの間にか隣に来ていたバルカンが、水を美味しそうに飲んでいる。
その姿に、手にすくった水を一口飲むと、川の水よりも遥かに美味しくスッと身体に入っていった。
「美味しい」
『ここは、水の妖精が生まれ、そして還った場所だからな。夜になると火光虫が沢山舞って綺麗だぞ』
「水の妖精が……とても綺麗な場所ですね。じゃあ、今夜ランプの火光虫をここに放してあげようかしら。その時を楽しみに、まずはお掃除がんばらなくちゃ!」
『言い忘れたが、キッチンの洗い場も、栓を抜けば使った水がこの溝に落ちる様になっている。ただ、気をつけねばならんのは、大量の塩を直接流してはいけない事だ』
「どうしてですか?」
『掃除屋は塩に弱い。死にはしないが、奴が塩を食べてしまうと縮んだ挙句、腹を壊して数週間は使い物にならんのだ。少量なら良いが、大量の塩を洗い流さぬよう気をつけろ』
「わかりました」
バルカンの言葉に神妙に頷いた。
『それでは、まずは家の掃除の前に掃除屋を捕まえに行くぞ。ついて来い』
「えっ!? こ、心の準備がっ!」
『早くしろ、日が暮れて掃除どころではないぞ』
「ま、待って! せめて何かつまむ物と入れ物を用意させてください!」
青ざめる私を置いて、無情にもスタスタと歩いて行こうとするバルカンに縋って引き止めたのだった。