美しい獣
月が顔を出し、すっかり辺りが暗くなった頃、パチパチと焚き火の火花が夜空に舞った。
火光虫が仲間がいると勘違いしたのか、ランプの中で活発に動き回り発光している。
そろそろ火光虫も離してあげた方が良いだろうか?
夜の灯りの問題はあるが、あまり狭い場所にずっと留めておくのも可哀想だし弱るかもしれない。少し悩んで、そっとランプの蓋を開けた。
「ありがとう。あなたのお陰で、暗い場所でも怖くなかったわ」
ふわりと優しい光を放ちながら、火光虫が火花にじゃれつく様に飛んでいく。この森で初めて出会った灯が離れて行くのは寂しいが、楽しそうに飛び回るその様子に離して良かったと温かな光に目を細めた。
「ぷぴぷぴ〜、ぷぴぷぴ〜」
膝の上から、幼獣の規則正しい寝息が聞こえる。小さな鼻から鼻提灯が、大きくなったり小さくなったり膨らみ萎む様子にくすりと笑った。
空を見上げれば、溜息が出るほど美しい満天の星が広がっている。毎夜、何処かしらで華々しく開かれる夜会の明かりが眩しい王都では、絶対に見られない景色だ。
どんなに高価な宝石よりも美しい。キラキラ輝く星空に思わず手を伸ばすと、指先にふわりと火光虫が止まった。
「あら、戻ってきちゃったの? ふふっ、じゃあまた一緒に居てくれるかしら? 」
ブンッと羽を一つ鳴らす火光虫に笑いかける。
「あなたが寝てる間に、とっても美味しい果実が手に入ったの。一緒に食べない? きっと気に入ると思うわ」
完熟した赤い果実を、トランクケースから取り出すと、ナイフで一欠片切り取った。指から滴る甘い果汁に、ブンブンと嬉しそうに火光虫飛び回り手元を照らす。
「はい。召し上がれ」
ランプの中に入れていた布に、切った果実を乗せると、勢い良く火光虫がランプに飛び込んだ。プルプルと羽を揺らし果汁を啜るその様子を見ながら、手に持っていた残りの果実に噛り付いた。
干したままの乾いたワンピースが風ではためき、ゆらゆら揺れる。食べかけの丸い果実を手に持ちワンピースを眺めていると、不意に既視感を覚えた。
何かを忘れている様な……何だったかしら。
「あっ!」
開いたままのトランクケースから、一つ果実が転がり落ちたのを見て、ある事を思い出し声をあげた。
いきなり大きな声を出したせいで、膝の上で眠っていた幼獣の鼻提灯がパチンッと弾け、驚いた様に飛び起きた。
「驚かせてごめんね。何でもないの」
寝ぼけながら、キョロキョロと辺りを警戒する幼獣に、謝りながら小さな背中をポンポンと優しく叩く。
くわぁ、と欠伸を一つした幼獣が、安心した様に膝の上で丸まった。 その様子にホッと息を吐いて、大きな声をあげた原因を思い出す。
そう言えば私、馬車から逃げる時、手に持っていたジャガイモを、咄嗟にポケットに入れてしまっていたわ。
農家さんには悪い事をしてしまったわね……。
でも、お洗濯した時にはそんな物何処にもなかったし、逃げる途中に落としたのかしら?
もしあれば、帝国まで逃げ切るために日持ちする大事な食料だ。森で落としたとは限らないが、もしかすると近くにあるかもしれない。
夜が明けたら近くを探す事に決め、果実に再び噛り付いた。
いつの間に寝ていたのか、ペロペロと顔中を幼獣に容赦なく舐められ起こされる。幼獣の涎でぐっしょりした顔を冷たい川の水で洗った。
「ふぅ〜」
陽の光に反射しキラキラと流れる川に、時折魚がパシャリと跳ねて水飛沫を上げる。川のせせらぎや風に吹かれてサワサワと木々が揺れる音。
爽やかな朝の目覚めに、大きく息を吸い込み伸びをした。
消えていた火を起こすため、小枝を探しがてら昨日腰を抜かした場所に、ジャガイモが落ちていないか駄目もとで見てみる事にする。
幼獣に手伝ってもらいながら小枝を集め、やはり見つからないジャガイモに、そんな都合良く見つかる訳がないと溜息をついた。引き返そうと幼獣に声をかけるが、何かに夢中で此方に気づかない。
何をしているのかと覗き込めば、ベージュ色をした玉を転がす様にじゃれついている。
「あっ! ジャガイモ!」
きょとんと見上げる幼獣から、少し傷の入ったジャガイモを取り上げる。
「ねぇ、これもう一つ落ちてなかった?」
「クナァーッ!」
こっちにあったと、ひと鳴きすると駆け出す幼獣に走ってついて行く。ゴツゴツとした川辺の石に紛れてジャガイモが落ちていた。
「お手柄よ! すごいわ! これ、探していたの!」
わしゃわしゃと撫でた後、喜びのあまり抱き上げ高い高いをする様に幼獣を持ち上げた。
「クナァナァ〜ッ!」
されるがままに、ぷらんぷらんと足を垂らした幼獣が、嬉しそうに鳴くので、楽しくなって更にはしゃいだ。
まだ三つ眼鳥の肉がたんまり残っているので、ジャガイモは大切にトランクケースにしまった。幼獣の玩具を奪ってしまったので、カモフラージュで持って来ていた手芸用品の中から、毛糸をひと玉取り出した。
「ごめんね。ジャガイモはあげられないけど、あなたにはもっと良い物があるわ。はいっ、どーぞ!」
カラフルな丸い毛糸を幼獣の目の前に置いてやると、クンクンと匂いをかぐ。そろりと前足で毛糸を突き、嬉しそうに転がし追い掛けながら、じゃれつく様子に気に入った様で安心した。
愛らしく微笑ましいその光景に、ずっと見ていられそうだ。ニコニコと幼獣を一通り眺めて、朝食の準備に取り掛かる事にした。
火を起こすのは、昨日でコツを掴んだので苦戦する事なく直ぐに着けられる様になった。昨日は疲れて全て焼けなかったが、持ち歩くのに生肉だと腐ってしまう為、焼いて保管した方が良さそうだ。
魔力があれば一々、食材を保存するのに悩まなくても良いのだが、そんなものは無いので考えるだけ無駄だ。何から焼こうかとバナの葉に包んだ肉を広げていると、大きな咆哮が茂みの向こう側から聞こえ、一斉に鳥たちが飛び立った。
「クゥ〜ナ〜!」
余りの恐ろしさに固まっていると、幼獣がその鳴き声に共鳴する。
まさか、この子のお母さんかお父さんかしら……。
どうしよう、私が連れ回した様なものだわ。
絶対カンカンに怒ってるっ!
冷や汗がつらりと流れ、青白い顔をした私に構う事なく、側で鳴き続ける幼獣に目眩がした。
ガサリカサリと音を立て近づく音に、ビクビクしていると、聞き覚えのある言葉が耳に入った。
『まったく、これだからチビは役に立たん! 使いに出せば帰ってこんし、また何処ぞで道草でもしていたのだろう! 彼奴も彼奴だ! 森に入ったならさっさと我に顔を見せにくれば良い物を! 』
魔物の森に、あるはずのない人間の言葉が聞こえてくる。それもかなりご立腹の様だ。
ガサリッ!
『オイッ! いつまで我を待たせる気だっ!』
茂みから姿を現したのは、金色の身体に赤く燃える様な立派な鬣をした一匹の美しい獣だった。姿形はサーカスで一度見た事のあるライオンに似ている。
だが、それよりも更に大きな身体と毛色から神々しさが滲み出ていた。その見た目にも驚くが、何と言っても人間の言葉を喋っているのだ。
驚愕し目を見開く私に、ひたと輝きを放つ朱色の瞳を此方に向けた獣が動きを止めた。
『むっ? 誰だお前は。ガジルの魔力を感じるが、彼奴はどこだ』
「クゥナァ〜ン!」
『こらチビ! お前は何処で油を売っていた! 彼奴を連れて来いと言ったであろうっ!』
ぷりぷりと怒る美しい獣の尻尾に、幼獣が悪びれた様子も見せずじゃれついている。獣の言うガジルとは誰か知らないが、魔物の森に住む知恵を持つ魔獣とは、この目の前の美しい獣の事では無いだろうか。
力の抜けた身体で、ぺたんと地面にへたり込み、魔獣達の騒がしい様子を、ただただ呆けて見つめたのだった。