ディランの後悔
メリッサと最後に言葉を交わしたあの日、今まで見せた事のない彼女の晴れやかな笑顔が頭から離れない。
サラの太陽の様な笑顔の前では、薄い雲に覆われた朧月の様なメリッサは、僕の目には霞んで見えた。それなのに、彼女の最後の笑顔が頭から離れないのだ。
儚くも、真っ直ぐ前を向いた彼女は、月の光に照らされた百合の花の様に凛としていた。
彼女が、ロズワーナ伯爵の元へ嫁ぐと聞いて、居ても立っても居られなかった。あの男は以前から彼女を夜会で見る度にいやらしい目を向けていたのだ。
僕達は、たまたま家同士お互いに利益のある関係だった為、珍しくも魔力のない彼女と婚約する事になった。普通なら魔力が弱いだけでも、なかなか良い縁談に恵まれないのに、公爵家と婚約できた彼女は、かなり運が良かったのだろう。
だが、その僕との婚約を解消された彼女が、次に婚約を結ぶ相手が、どういう人物になるかは想像するのも容易い事だった。なのに、僕はその事を心の端で分かっていながら見て見ぬ振りをしたのだ。
あのベンチで彼女に突き放された時、謝って自分の罪悪感を減らしたいだけなのだと気づかされた。
そして、彼女もそんな僕の醜い感情に気づいていたのだ。笑って感謝の気持ちを伝えてくれた彼女は、最後まで僕を許してはくれなかった。
サラと初めて会った時、最初は本当にただ光魔法が珍しく友人の様に思っていた。だけど、彼女と話す度、彼女が無邪気に僕の腕を掴む度に、彼女の明るい笑顔に惹かれていった。
そうして次第に、メリッサとのお茶会が煩わしくなってきたのだ。静かにポツポツと話すメリッサよりも、サラの弾ける様な笑い声を聞いていたかった。
いや、それは建前で本当は魔力を持たないメリッサよりも、光魔法の使えるサラが眩しく感じたのだ。
結局、お茶会を何度もキャンセルし、ベンチに座る彼女が笑い者にされている時も、目を逸らし続けた。
何も言わず堪える彼女に、不誠実にも向き合わず婚約破棄の紙を一枚、バトレイ伯爵家へ送りつけただけで、彼女との婚約を終わらせた。
メリッサが突然、学園から去った数日後、彼女の訃報が学園中に流れた。ロズワーナ伯爵の領地へ行く途中、魔物の森へ入り帰らぬ人となったのだと……。
あの時見せた、彼女の何か吹っ切れた笑顔は、自ら死を選ぶ事を決めていたからなのだろうか?
自分の身勝手な行動で、彼女を追い詰め死に至らしめた事に、後悔と罪悪感で胸が押しつぶされそうだ。
「……っ……メリッサ……」
あの日、彼女から返された髪飾りを机の引き出したから取り出した。初めてメリッサとデートした時、僕がプレゼントした物だ。
彼女の白い髪に、この銀細工の髪飾りがよく似合っていた。この髪飾りを髪につけてやると、彼女は白い頬を赤く染め嬉しそうに、はにかんだのを覚えている。
これを渡した時、心に灯る愛情の灯火は、まだほんの小さな物だった。だけど確かに、彼女と共に人生を歩んで行こうと思っていたのだ。
控えめな彼女は、勉強熱心で僕が植物の事が好きだと知ると、図鑑を読んで勉強していた。次に会うお茶会では、すっかり彼女も詳しくなっており、お互いに好きな花について語り合った。
魔力を持っていない分、マルバリー公爵家の者として恥じない様にと、母に教えを自ら請い厳しい習わしも進んで受けていた。
彼女との思い出は、どれもゆったりとした静かで穏やかな時間だった。
恥ずかしげに下を向きチラリと見える赤い耳。
サラリと流れる癖のない絹糸の様な白い髪。
本をめくる白魚の様な細くしなやかな指先。
口下手な彼女がたまに出す透き通った心地よい笑い声。
いつも伏せ目がちな白く長いまつ毛。
透ける様な白い肌を紅潮させ、はにかむ姿。
僕を見つめるどこまでも澄んだ瞳。
彼女は儚く美しい人だった。
とても優しく穏やかで、自分に自信がなくて下をよく向いていたが、健気な努力の人だった。
あの時の小さな灯火は、サラと言う強い光に覆われて、いつの間にか消えてしまったと思っていた。だけど、心に燻るこの思いは……。
コンコンコンッ!
髪飾りを見つめ彼女の面影を探していると、不躾な大きいノックの音が響いた。返事をする前にサラが足音を立て行儀悪く入ってくる。
「サラ、僕はまだ返事をしていないよ」
「そんな事より聞いてよディラン! お義母様、また私に意地悪ばかり言うのよ!」
勝手にソファーに座った彼女が、毎回の様に愚痴を言ってくる。サラと婚約を交わしてから平民育ちの彼女のマナーの悪さに母が一から行儀を教えると言い出した。
メリッサとの婚約破棄も、最後まで反対したのは母だった。だけど、そんな母も最後は父と僕の説得で折れたのだ。
光魔法の使える嫁を公爵家に迎えられるなら、多少事業が遅れても、高い違約金を払ったとしても、我が家は安泰だと父は喜んだ。
母は、僕が愛した人ならと最後は許してくれたが、実際のサラを前にして眉をひそめたのを僕は知っている。
確かにサラは貴族のマナーを全く知らない。平民とはここまでカルチャーショックを感じるものだろうかと疑問に思う事はあったが、無邪気な所も彼女の魅力だと思っていたのだ。
だけど、最近はそれさえも感じなくなってきた。母の言う当たり前な事でさえ、反発し意地悪だとヒステリーを起こす。
学園で他のご令嬢に注意されれば、嫌がらせをされたと泣きついてくる。最初は彼女の言葉を鵜呑みにして宥めていたが、どうやらそれも嘘のようだ。
僕が他のご令嬢を少しでも庇うと、今度は違う男に慰めてもらおうとする彼女に、正直うんざりしている。前はもう少し無邪気ながらも慎ましかったのだが、僕との婚約を切っ掛けに、どんどん彼女の行動が酷くなっている気がする。
メリッサの言っていた、『婚約者がいるのに、無闇に異性と二人きりで話をするものではない』と言う言葉が痛いほどよく分かった。
同じ事をした自分が言える立場では無いのだが、サラは僕と言う婚約者がありながら、他の男にもベタベタと寄り添っている。側から見れば、何とふしだらで眉をひそめたくなる事か。
自分も周りに、この様に見えていたのかと思うと、恥ずかしくなった。サラに何度注意しても、真面目に取り合わず学園で好き勝手する彼女に手を焼いた。
メリッサが亡くなった事を知っても、まったく罪悪感を抱く様子も伺えない。そんな調子でサラが殿下に話しかけるものだから、最初は光魔法を珍しがっていた殿下も、今では不快そうに彼女の手綱はちゃんと握れと殿下自ら注意をされた。
これ以上、サラが不敬な事をしない様、彼女が貴族のマナーを身につけるまで、学園には通わせない事にした。彼女はこの事を、他の男と仲良くするサラに僕が嫉妬して、屋敷に留めていると思い込んでいる様だ。
つくづく頭の痛くなる彼女の思考に溜息をつきたくなった。
メリッサの犠牲の上で成り立った婚約なので、サラとの婚約破棄は許されないだろう。
「ちょっと! ディラン聞いてる!? まぁ! 素敵な髪飾りね! 頑張っている私へのプレゼントかしら! 」
僕の手の中の髪飾りを、サラが触れようとした時、咄嗟に彼女の手を払ってしまった。
「っ! なにするのよ!?」
「……すまない。これは……」
「もしかして、あの女の物だって言うの!?」
赤い顔をしてギッと此方を睨むサラに口籠る。彼女はこんなに醜い顔をしていただろうか?
「……あぁ、君が不快に思うなら、これはせめて彼女の墓に供えようと思う」
「あの女は今頃魔物に食い殺されて死体だってありはしないわ! だからお墓に供えたって無駄よ! それなら、私が使う方がずっと良いわ!」
「なんて事を言うんだサラ!」
「だってそうでしょう? あんな魔力のかけらもない平民以下の女が、私より良い物を持つなんて許せない! 私は特別なのよ!?」
無邪気さのかけらもない、メリッサを鼻で笑う彼女の姿に目を見開く。今まで、彼女の口からメリッサの話は出てこない代わりに、他のご令嬢の様に悪く言う事もなかったのだ。
「ディランだってあんな冴えない無色の女より、可愛くて光魔法が使える私の方が魅力的だったから、あの女と婚約破棄したんでしょう?」
「っ!」
反論できずにいると、僕の手の中にある髪飾りを彼女がするりと引き抜いた。
僕はやはり間違えていたのだ。
目の前で金の髪に留められた銀色の髪飾りをぼんやりと目に映し、もう触れる事さえできない今は亡き彼女を恋しく思い絶望した。