魔物と遭遇
残酷描写あり。
血が苦手な方はご注意ください!
美味しい果実を堪能し、喉の渇きと空腹が満たされた。果実を丸かじりなんてした事が無かったので、口の周りもベタベタだ。
初めて果物を丸かじりしたけど、意外と難しいわね。
そのうち私も汁をこぼさずに食べれる様になるかしら?
街に買い物に出た時、果物を丸噛りしながら歩いている人を見たので、同じ様に真似をしてみたのだ。簡単な様に見えて、何かコツがあるのか彼は全く果汁をこぼさず綺麗に食べていた。
ハンカチで口と手を拭うと、パンパンと土埃を払い立ち上がる。
「さぁ! 収穫しなくっちゃ!」
今後の大切な食料確保の為、大判のストールをトランクケースから取り出し、地面に広げる。
熟れた物は少しに控え、敢えて完熟する前の果実や青い物を多めに選んでいく。熟れた物はすぐに食べる用に、熟れていない物は、日持ちさせる事を考えたのだ。
青いものは、あと数日は余裕で持ち運べるし。これなら腐らずに済む。
ストールに積んだ果実がコロリと転がるのを、鼻で押し止め手伝ってくれる幼獣に笑いかけながら、背伸びをして果実を摘んだ。十分に収穫できて、ホクホク顔でストールを包み、トランクケースにしまった。
果実で水分も摂れるが、やはり水も欲しい。水筒の中の水が半分を切ってしまったのだ。
それに、薄汚れた身体も拭きたい。屋敷から一度も宿屋に泊まらずここまで来たのだ。
ここまで風呂に入らなかったのは初めてで、気持ち悪くて仕方がない。どこかに川の様な水辺があれば良いのだが。
「ねぇ、何処かに水辺はないかしら? あなたはいつも何処でお水を飲んでるの?」
トランクケースを背中に背おい、毛繕いをしている幼獣の、つぶらな瞳を覗き込む。何となく意思の疎通ができているこの子なら、私の言っている事が分かるかもしれない。
きょとんとした様子に、やはり通じなかったかと肩を落としたその時、上空から影が差し風がぶわりと巻き起こった。
闇の森で反響し続けていた耳障りな鳴き声が、すぐ近くで轟いたのだ。
「ガルルルッ」
足元の幼獣が威嚇する様に幼いながらも低い声を出して唸る。恐る恐る後ろを振り返ると、果樹に猛禽類の様な、ギョロりとした三つ眼の大きな鳥が止まっていた。
バサバサと羽根を広げ強い風をぶつけながら威嚇してくる。余りの恐ろしさに足が動かず風で身体が転びそうになった。
足元で必死に魔物を威嚇する幼獣が、風でコロリと飛ばされる。幼い威嚇の眼がなくなったのを見て、木に留まっていた魔物がバサリと身体を宙に浮かせた。
獲物を狙う様に、三つ眼を鋭く眇めた魔物が、此方に向かって飛んでくる。その瞬間、転んだ幼獣の首根っこを咄嗟に掴み駆け出した。
もつれそうになる足を必死に動かし、バサリバサリと後ろから迫ってくる魔物から必死に逃げる。背中すれすれに、鋭利な鉤爪が何度も迫り冷や汗が流れる。
出来るだけ飛行する魔物の邪魔になる様に、低い木の間を通り抜けた。頬や腕、身体の至る所に枝があたり紅い線を作っていく。
ピリピリと痛む肌に構う事なく走り続けた。
バサッ
茂みを勢い良く駆け抜けると、隠れる場のない開けたそこには、皮肉にも先程まで求めていた川が広がっていた。後ろからは翼の生えた魔物がすぐそこまで迫っている。
前を向けば川が流れているせいで、逃げ場が何処にもない絶体絶命の危機に、幼獣を抱きしめた。
この子だけでも守らなくちゃ……。
恐怖で涙を流しながら、腕の中の温かく幼い存在を見つめる。突風が木々を揺らし、風で茂みを掻き分け姿を現した魔物に腰を抜かす。
その時、抱いていた幼獣がもぞもぞと動き、ぴょんっと、腕の中から飛び出してしまった。
「あっ、ダメ! 危ないわ!」
勇敢にも、自分より遥かに大きな魔物に立ち向かい、駆けて行く小さな背中に声を張り上げた。
魔物がたじろぐ様に後ずさり、羽根を広げた瞬間、幼獣の身体がバチバチと発光しながら唸り叫びを上げた。
「ガルルルッグナァァァァァ!」
幼獣から発せられる光が稲妻の様に走る。その光が、飛び立とうとする魔物を逃すまいと直撃した。
魔物の耳を塞ぎたくなる様な甲高く醜い断末魔の叫びが、辺りに響き渡る。
ボトリ……
立派な羽根が焼け焦げ、禿げ上がった魔物が木から落ちる。先程の爆音が嘘みたいに、川のせせらぎ以外、何も聞こえなくなった静かな川辺に、唖然とした。
きゅるんとした瞳を此方に向けて、駆け寄ってきた幼獣が、褒めて褒めてと擦り寄ってくる。ぽっかり口を開け、そろりと頭に手を伸ばし撫でてやると、気持ち良さそうに眼を細めた。
どうやら、ただの獣だと思っていたこの幼獣は、魔物か魔獣の類の様だ。あまりにも人懐っこいその様子に、勝手に違うと思い込んでいた。
もしかすると、この子のお陰で昨晩はゆっくり眠れたのかもしれない。そうだとしたら、空の瓶を少しでも恨めしく思った事が申し訳ない。
「あなた、とっても強いのね……守ってくれてありがとう!」
小さなナイトを抱き上げると、ふわふわなおでこに一つキスを贈った。
「クゥナ!」
得意げな様子で、髭をピクピクと揺らしたその可愛い姿に、堪らず凄い凄いと揉みくちゃに撫で回す。
癒しのもふもふタイムは、幼獣が腹を見せて、ぐでんぐでんになった所で終わりを告げた。
私は今、羽根がつるんと禿げ上がり、少し間抜けな魔物を目の前に、頭を悩ませ正座をしている。横たわるそれに、手を伸ばしては引っ込めてを何度も繰り返していた。
隣には、不思議そうな顔をした幼獣が、お座りをして待っている。
ううっ……やっぱり無理……。
……いや、駄目よ!
私が生き延びる為に殺された命なんだから。
『下巻』にも書いてあったじゃない。
仕留めた命は大切に敬意を払うって。
これは大事な食料になったのよ……。
「そうよ、捌くのよ! 大丈夫、もう動かないし襲われないんだからっ! 気持ち悪いなんて思ったら駄目!」
自問自答を繰り返し、ツンツンと木の枝で動かない事を確認して、恐る恐る触ってみる。死にたてほやほやの体温の残るそれに、ぞわわわと全身に鳥肌が立った。
まるで、ぶつぶつとしている目の前の魔物の肌にそっくりだ。ずるずると重たい魔物を引きずり平たい岩の上に横たえた。
トランクケースから『下巻』を取り出し、魔物の捌き方が書いてあるページを捲る。
確か、頭を落として血抜きをするって書いてあったわよね。
鳥型の魔物について書いてあるページに辿り着くと、やはり頭を落として逆さに吊るし血抜きをすると書いてある。
ちなみに、この魔物の名前は三つ眼鳥と言うらしい。見た目そのままのネーミングに、もう少し何かなかったのかとネーミングセンスに難癖つけて現実逃避したくなった。
ナイフを持つ手に力が入らない。幾ら死んでいるからと言っても、動物の首を切り落とす事などしたくない。
今まで、自分は出された食事を何も考えず、当たり前の様に食べていた。私の口に運ばれるまでに、こうして命を駆り、誰かが締めた物だったのだ。
時には、食事を残す事だってあった。それがどれだけ罰当たりな事か。
何かの命を犠牲にして、私は生きているのだ。当たり前の事だったのに、その事に全く気づいていなかった。
自分の愚かさにナイフをグッと両手で握りしめる。
その事に気づけた今日からは、その命に感謝をしながら大事に食べると心に誓って深呼吸をした。
「ごめんなさい。……けど……」
首に、一度ナイフを当て切る場所を確認すると、目をぎゅっと瞑る。自分の胸の鼓動がドクドクと耳に響いた。
「あなたの命は大切に頂きますっ!」
高く上げた腕を、背中の汗が流れた瞬間、勢い良く振り落とした。
ゴトンッ……
重たい何かが落ちる音と、斬れ味の良いナイフにスパンと肉と骨を断ち切る感触が手に伝わる。ぴしゃりと散った、頬に生温かいぬめりと、血生臭ささを感じた。
目を閉じていても分かる状況に、ブルブルと震え中々目を開けれない。
「クゥクゥ……」
心配気に鳴き声をあげる幼獣に、勇気をもらいながら、そっと片目を開けた。ゴロリと転がる頭と血溜まりに卒倒しそうにフラリとよろける。
「クゥナッ!クゥ!」
慌てた様に幼獣がワンピースの裾を引っ張り声を上げる。その鳴き声に、ハッと倒れそうになる身体に、足を踏ん張り寸前の所で耐えた。
「だ、大丈夫よ。これも大切な食料……大切な命。折角あなたが仕留めてくれたんだもの。残さずしっかり頂くわ!」
心配そうに見上げる幼獣に、青白い顔をしながら笑いかける。自分に喝を入れるように頬に垂れる生温かい血をグイッと拭った。
益々顔が汚れてしまったが、自分では見えないので良しとした。もし、鏡で今の顔を見てしまったら、今度こそ卒倒していただろう。
まるで白い髪と相まって、物語に出る血肉を食らう山姥の様だ。
目の合う転がった頭から視線を逸らし、素早く腰につけていたゴモの蔦を丁度良い長さに切った。立派な鉤爪のついた脚にゴモの蔦を括り付ける。
悪戦苦闘しながらゴモの蔦を木の枝に掛け、吊るすように力を入れて引っ張った。幼獣もゴモの蔦を咥え一緒に引っ張ってくれる。
「よいしょっ、よいしょっ!」
一人と一匹で重たい魔物を木に吊るすと、落ちてこない様に幹に余ったゴモの蔦を縛り付けた。ぶらりぶらりと血を流す首のない魔物の何とおぞましい事か……。
ただ、こうして見れば、いつかの夜会で見た七面鳥の丸焼きにも見えてくる。若干、表面が所々焼けているのが、またそれらしく、意外と平気な自分に驚いた。
一先ず、血抜きの作業が終わるまで待つ事になるので、血で汚れた顔と手を川で洗い流した。透き通る綺麗な水は冷んやりと気持ちが良い。
水も飲みたいので、出来るだけ下流で洗う。いっその事、身体を洗いながら真っ赤に染まるワンピースも洗ってしまおうと決めた。
「今からお洗濯もするから、しっかり周りを見張っててね」
「クナァンッ!」
幼獣に声をかけると、任せろと尻尾を一振りして応える、可愛らしくも頼もしい護衛に頬を緩ませた。
人間など居ないと分かっていても、キョロキョロと周りを見渡し恥ずかしい気持ちを抑えて、そろりとワンピースを脱いだのだ。






