生命の神秘と置き土産
真っ白な布の海。そこに糸を通した針をチクチク、スイスイ泳がせる。
私が縫い物をしていると、小さな聖獣が必ず膝の上に乗ってくる。誰よりも間近で針の行方を追えるそこはペルーンの特等席だ。
いつも張り切って私の手元を覗き込むのに、最終的にはうとうと微睡み膝の上で丸くなる。
そんなペルーンを抱え、時には夜なべをし、何日もかけて縫い続けた。最後に玉結びを作ってちょきんと断ち切る。ジークのシャツの完成だ。
針山に縫い針を刺し、先に作り終えていたワンピースの隣に並べる。
「ふぅ~、できたわ! 何とか両方とも形になったわね」
「クナゥン!」
どちらも簡素な作りだが、素人が作ったにしては中々良い出来ではないだろうか。
以前、人形の服を作ったことがある。それを参考にバナの葉で型紙を作り、何とか自分たちのサイズに置き換えてみたのだ。屋敷から逃げ出す前に、カモフラージュとして裁縫道具をトランクに詰めていて本当に良かった。
しかし、まさか布と糸が魔物の森で手に入るとは。ふふふ、と手触りの良いそれを撫でる。
これは人間が加工したものではない。言うなれば魔物の一部。この森だからこそ、入手することができた素材だ。
さかのぼること二か月前――。
狩りに出かけていたジークが「いいもの見つけた!」と満面の笑みで帰ってきた。その背中に真っ白い大きな球体を背負っている。
床に降ろされたそれは、一か所ぽっかりと穴が開いており、表面には細かい糸が纏わりつくように毛羽立っている。恐るおそる指で押すと跡がつくほど柔らかい。
穴の断面を覗き込めば、細い糸が格子状に編みこまれた薄いガーゼのような膜が何層にも重なっていた。まるで包帯のように何かを包み込んでいたようだ。
何かの卵だろうか。もしかすると『下巻』で読んだかもしれない。はてと首をかしげる。
すると、少年の顔をしたジークが私の手を取った。そして「見せたいものがある」と玄関の扉を開け放ち、外に駆け出したのだ。
されるがまま目を白黒させる私に、ジークが振り返って楽しそうに笑う。落とされまいと肩にしがみついてくるペルーンの爪がちょと痛いな。なんて思っていると、茂みにどっしりと寝そべったバルカンを見つけた。
「バルカン、間に合ったか!?」
『あぁ。もうそろそろだぞ』
「良かった……メリッサ、あれを見てくれ」
ジークが胸を撫で下ろし、茂みの奥を指さす。その先には、あの白い球体が幾つも転がっていた。しかも何やら、もぞもぞと動いているではないか。
やっぱり何かの卵だわ。
食い入るように球体を見つめるジークが、私の手をぎゅっと握る。繋いだままの手のひらから、彼の心情を表すような、弾んだ魔力が流れ込む。心地よい楽しそうなそれにつられ、私の気分も高揚した。一体あれの正体は何だろうか。
「あっ、ほら。メリッサ、出てきたぞ!」
ジークの呼びかけに茂みの奥を覗き込む。すると、一つの白い球体から、触角の生えた緑色の何かが顔を出していた。
それを皮切りに、周りの球体も動き出す。唾液で殻を溶かしているのか、口から水分を吐いている。
ぽってりとした胴体には、ふさふさの産毛が生えており、四本の細い足が地面に降り立つ。奇妙な見た目だが、キョロキョロと辺りを見渡すつぶらな瞳が可愛らしい。
窮屈な球体から外の広い世界に這い出たそれは、伸びをするように仕舞っていた羽を大きく広げた。
胴体と同様、毛に覆われた羽が陽の光を纏い、淡く黄緑色に輝く。なんだかその姿は、若葉が地表から顔を出し、太陽に向かって大きく葉を広げているようだ。
「綺麗ね……」
ぽつりと零せば、隣のジークが声もなく頷いた。魔物でも虫でも、蛹が羽化する姿は初めて見る。
なんて美しいのだろうか。巨大な昆虫に気持ちが悪いだとか、そんなこと思い浮かばないくらい生命の神秘に感動した。
どうやら卵だと思っていた白い球体は繭だったらしい。毛に覆われた巨大な蝶と繭。これらの特徴を踏まえ、漸く謎の正体に思い至った。
「回遊蚕かしら?」
「ああ、羽化する姿なんて滅多に見れないから、どうしてもメリッサに見せたくて」
卵と決めつけていたせいで、あれが回遊蚕の繭玉だとすぐに気づけなかった。思い込みとは時に、目の前の真実を曇らせるものだ。もっと柔軟に考えなくてはならない。
回遊蚕は寿命が長く、渡り鳥のように生息場所を移動する魔物だ。羽を休めるのは決まって人の手が及ばない深い山や森の中。そのため、こんなに近くで回遊蚕を目にすること自体珍しい。
ましてや数分で終わってしまう羽化なんて、学者がみたら興奮すること間違いなしだ。
ニコニコ笑うジークの額に汗が滲んでいる。こんなに美しく貴重な景色を、私に見せるために急いで呼びに来てくれたのだ。そんな彼の気持ちが嬉しい。
繋いでいた手を離し、ハンカチを探す。そして「ありがとう」とにっこり笑い、ジークの汗をふき取った。目を丸め、されるがままの彼に、先ほどと立場が逆転したようだと小さく吹き出す。
くすくす肩を揺らしていると、ジークが頬を赤らめた。どこか困ったような、気恥ずかしそうな顔をして私を見下ろす。
近頃は気温も上がってきた。帰ったら岩塩の床下で冷やしているリモネードを飲みながら、まったりしよう。
こうして肩を並べ笑い合う時間が何よりも楽しい。彼とは以前よりも更に心の距離が近くなった。楽しいことは独り占めせず、当たり前のように共有する関係。みんなで楽しめば、幸せな気持ちがそれだけ大きくなるのだ。
例えば、彼が剝いてくれた果実はいっとう甘く感じるし、会話がなくても同じ空間にいるだけで心が安らぐ。何気ない景色も彼が隣で微笑めば、何だか特別に眩しく感じる。聖獣たちと同じくらい大好きで大切な存在。だけど何か違う特別な存在。
初めてできた人間の友人だからだろうか。けれど、ただの友人としてくくるには勿体ない。
友人よりも更に深いものと言えば……。
まさか、親友と呼ばれるやつではないだろうか。以前読んだ小説に、親友は友人の中でも最も仲の良い存在だと主人公が言っていた。
ぽっと頬が熱くなる。
友人でも嬉しいのに、親友だなんて小躍りしてしまいそうだ。
ふふふっ。ちょっと烏滸がましいかしら?
でも……
もしそうだったらいいなぁ、なんて頬に手を当てる。
魔物の森に来る前は、まともに人間関係を構築することができなかった。特に異性との交流なんてディラン様くらいだ。なのであまり参考にならないが、いま思えばあの頃は嫌われないよう相手の顔色を窺ってばかりいた。
けれど、ジークの前では取り繕うことをしていない。と言うより、彼には私の考えていることはお見通しのような気がする。
お料理中も、お塩が欲しいなと思っていると、さっと横から削られた岩塩が出てきたり、そろそろキッチンに干しているハーブがなくなる頃だなと思っていたら補充されていたり。
少し高い上の戸棚から鍋を取ろうとすると、どこからともなく現れて取ってくれるし。硬いジャムの蓋を開けようとすると、すっと瓶を取り開けてくれる。
日記を綴っている途中、寝落ちした私の頬に、くっきりとついたノートの痕。それを見たジークが、眉を顰めるどころか、くすりと笑って「可愛いね」なんて冗談を言う。
そんな気さくで驚くほど気が回る彼に、もしやどこぞの高貴な方に仕える有能な執事だったのでは?
なんて新たな疑惑が浮上した。濃い色を持つ彼なら、人を使う側の人間だと思う。けれど、私が今まで見てきた貴族はもっと傲慢な人間が多かった。
ジークはその逆で、不便な生活の中でも、彼は一度だって文句を口にしたことがない。
そう考えると、お互いの事情を何も知らないので、やっぱり親友とはまだほど遠いかもしれない。
ちょっぴり残念だが、いつか私のことも彼のことも話せる時が来たら良いなと思う。
それはさておき、今は回遊蚕だ。『下巻』によると、毒こそないが苦くて食べられたものではないらしい。他の魔物や野生動物たちが素通りするぼど不味いので、ここまで無防備な場所に卵を産み付けることができるのだろう。そんな回遊蚕だが、繭玉はともても素晴らしい素材になる。
「ねぇ、あれが回遊蚕ってことは、あの繭玉で……」
「ああ、布が取れる!」
「なんて素敵な置き土産かしら!」
これでジークの新しい衣類を作ることができる。それどころか、こんなに大量に繭玉が手に入るなら、なんだって作れそうだ。沸き立つ私たちに、茂みの奥を覗いていたバルカンが振り返る。
『おい、お前たち。しっかり踏ん張っていろ。飛ばされるぞ!』
バルカンがそう言うや否や、一匹の個体がぱたりと羽ばたく。すると、それに習うように他の回遊蚕が羽を震わせ、バサリと一斉に飛び立った――。
その瞬間、辺りに大きな風が巻き起こる。よろめく私をジークが抱きとめ、視界の端にペルーンがコロコロと転がっていく。そんな小さな聖獣を、地面に伏せていたバルカンが器用に尻尾で捕まえる。
あまりの強風に目が開けていられない。ザワザワと木々を盛大に揺らしながら去っていく回遊蚕を、ただ目を瞑ってやり過ごす。
辺りが静まり返った頃。
目を開け見上げれば、空高く緑の蝶たちが渡り鳥のように新たな地へ旅立っていた。
閉ざされた真っ白な世界から、初めて見た外の景色は、回遊蚕の目にどう映っているのだろうか。きっと見るもの全てが眩しくて、触れるもの全てに興味を惹かれるだろう。
俯き真っ白な髪で視界を遮っていた私が、顔を上げ初めて世界の美しさに気がついた時。溜息が漏れるほど感動した。
きっと高く飛び立った回遊蚕たちも、突然ひらけた鮮やかな世界に清々しさを感じたに違いない。
同じように空を見上げていたバルカンが、ひくりと鼻を揺らす。
『いかん、雨が降るようだ。これは家までもたんな』
「それは不味い、早く何処か雨が凌げる場所に繭玉を持って避難しないと」
回遊蚕の繭玉は、加工処理をする前に冷たい水に触れてしまうと、石膏のように硬くなってしまう。一度そうなってしまえば、布を取ることができず使い物にならない。
「大変っ、急がなきゃ!」
『洞窟ならこの先にある。急げ!』
――ポタ、ポタ、ポタポタポタ。
高い空から一粒の雫が葉に落ちて、あれよあれよと地面を濡らす。
洞窟の外から雨粒の弾ける音が聞こえる。大地を潤し緑が輝く恵みの雨は、当分止みそうもない。
雨が通り過ぎるまで、持ち帰りやすいように丸い繭玉をナイフで反物状に裂いていく。
すると中から茶色い蛹の殻がカサリと出てきた。思わぬ置き土産に肩が跳ねる。ジークが家に持ち帰ったものは中に何も入っていなかった。きっと私が驚かないように取り出してくれていたのだろう。
羽化した姿は可愛かったが、蛹の殻は想像以上にグロテスクだ。私の顔を見て、一足遅かったかとジークが苦笑いを浮かべる。そして徐に茶色いそれを掴むと、洞窟の端に放り投げた。あれもきっと、大ナメクジのご飯になるのだろう。
気を取り直して解体した繭玉を観察する。何層にも重なっているそれから、一枚だけ膜を剥がしてみた。透けるほど薄く、格子状に編み込まれたそれは、とても繊細な作りをしている。
『下巻』によると、この膜を何枚かまとめて剥ぎ取り、お湯に浸せば糸が膨張し繊維同士が絡まるそうだ。
膜と膜の間にある僅かな隙間も密着するため、数枚重ねたそれが一枚の布のようなものになるのだとか。用途に合わせて厚さを調節できるのは嬉しい。
全ての繭玉を整えた頃。
ペルーンが洞窟の隅で一人遊びをしていることに気がついた。何をしているのか覗き込めば、拳二つ分ありそうな大きな毛虫にちょっかいをかけていた。
進行方向を邪魔されても向きを変え、のそのそと歩みを進める毛虫。そんなマイペースな毛虫をペルーンがぺちりと小突く。すると、いい加減怒ってしまったのか、ぴゅるるっと細い糸を吐き出した。
よく見てみると頑丈そうな糸だ。もしかすると、縫い物に使えるかもしれない。確か『下巻』にこのような魔物は載っていなかった。そのため、これがただの虫なのか魔物なのかよく分からない。
けれど、使える物は何だって活用すべきだ。糸を触れた指先に痒みも痛みもない。多分、毒はなさそうだ。一応、持って帰って強度を調べてみよう。
洞窟に転がっていた枝を拾い、毛虫が吐きだした糸をクルクル巻き付けていく。
最初は勢いよく放出されていた糸だが、次第に緩やかなものに変わる。最後はヘロヘロと地面に落ちてプツリと切れた。心なしかしぼんだように見える毛虫は、いそいそと洞窟の奥に身をひそめてしまった。
「何だか痩せた気がする……可哀そうなことをしてしまったかしら?」
疲れたように去っていく毛虫の背中には哀愁が漂っていた。枝にはかなりの量の糸が巻き付いている。それでも毛虫を追いかけようとするペルーンを捕まえた。
「ペルーン、もう勘弁してあげて……」
「クナァ?」
繭玉の加工処理をする際、毛虫から採取した糸も茹でたり水洗いしてみたり、色々試してみた。千切れることも、溶けることもない。毛虫は精気を失った代わりに、私たちは丈夫な糸を手に入れたのだ――。
こうして新しい衣類が作れるのも回遊蚕と毛虫のお陰だ。
当分、布に困ることもない。回遊蚕はきっとまた来年も卵を魔物の森に産みにくるだろう。
今回は運よく羽化に立ち合うことができ、雨で硬くなったり大ナメクジに食べられたりする前に回収することができた。この時期は積極的に森の中を散策することを忘れないようにしなければ。
それと、もしもまたあの毛虫に会えたなら、庭で育てている甘くて美味しいフルールリーフを食べさせてあげよう。そしてあわよくば……。
「丸々と太ったらまた糸を採取させてもらおうかしら? うふふふふっ」
悪い笑みを浮かべているとペルーンが不思議そうに私の顔を覗き込む。
こほん、と咳ばらいを一つして、目の前のシャツとワンピースを眺める。飾りっ気のない簡素な作りなので、どうせなら刺繡を施そう。そしてサマーパーティーで着ようではないか。
二か月前に漬けた赤すぐりの果実酒から、先日実を取り出して熟成期間に入った。あとひと月で飲み頃を迎える。
「何て丁度いいのかしら。ひと月もあれば、余裕で刺繍も完成するわね!」
さて、どんなデザインにしようか。ジークは何を着ても似合いそうだ。
ノートに図案を書きながら、休む暇なく刺繍糸と睨めっこを始めたのだった。






