アーマリアの行方
ディラン視点になります。
マルバリー公爵家、サマーパーティー当日。
屋敷の使用人が慌ただしく、そして活気のある顔をして準備に取り掛かっている。ここ最近、ギスギスしていた公爵家に久しぶりの楽しいイベントが開催されるからだ。
「あら、ディラン。あなたも早く着替えてらっしゃい! あ、そうそう。花冠のお花は萎れないようにパーティーが開始するギリギリに作ってもらうからちゃんと侍女長に渡すのよ」
「わかってるよ。ふふ、すごく張り切ってるね」
「当り前じゃない。今日は公爵家にとって、とても大切な日なのだから」
いつもより素朴で穏やかなレースのドレスを着た母が、活き活きと指示を飛ばす。あんなに張り切っている姿を見るのはいつぶりだろう。
自分が不甲斐ないばかりに、母や父には気苦労をかけてばかりだ。今日のパーティーは母が言うように、とても大切な日だ。サラと僕の社交界復帰を兼ねている。招待した貴族たちに、サラが令嬢としてちゃんとした教養を身に着けた姿をお披露目するのだ。
そして、公爵家が彼女を歓迎していると花冠でアピールすれば、ほぼ成功のようなもの。その一番重要な花冠を作ってもらうべく、温室に向かった。
しっかり花の水揚げをしておかなければ。パーティーは夜まで続く。萎れて垂れ下がった冠では恰好が悪いし花も可哀そうだ。
いつものように温室の扉を開けると、一番に目に入ったアーマリア。昨日まで大きく膨らんでいた蕾が大輪の花を咲かせていたのだ。
「……っはは、メリッサやっと咲いたよ! 君に見せたかったな。それとも天国から見てくれているかな?」
アーマリアの鉢植えに駆け寄り膝をつく。まさか、サマーパーティー当日に咲くなんて。なんて数奇な運命だろうか。
初めて生花で見るアーマリア。花びらの外側に行くにつれて、グラデーションのように緑が濃くなっている。なんとも爽やかで美しい。一番大きな花にそっと顔を寄せれば、主張しすぎず控えめな甘い香りがした。
まるでメリッサのようだ。彼女は他の令嬢のようなきつい香水は使っていなかった。ほんのりと甘く、とても落ち着く香り……。
そっと花弁に唇を寄せ、一つ溜息をつく。いい加減、僕も準備を始めなくては。後ろ髪をひかれる思いで立ち上がる。
備え付けの蛇口をひねり桶に水を張ると、園芸用ハサミを手に取った。サラに贈る花を幾つか選んで切って行く。すべて珍しい異国の華やかな花たちで桶の中がいっぱいになった。
これなら誰が見ても希少価値の高い花冠が作れそうだ。後はこれを侍女長に渡しておけば、女性が被る花冠と男性が胸に刺すコサージュを作ってくれるだろう。
温室の扉を開けると、そこには王太子のダミアンがこちらに向かって歩いてきた。
「やあ、ディラン! 今日はサマーパーティー日和だね。お前の出迎えがないから私が来てやったよ」
「はは、ダミアンこそ、ちょっと早く来過ぎじゃないか?」
「何を言っているんだい? もうそろそろ時間だよ。それよりも、その服で出席するのは、いくらサマーパーティーでもラフすぎやしないかい……?」
「えっ、しまった……僕としたことがっ、早く着替えに行かないと!」
ダミアンが怪訝そうな顔で僕を見る。どうやら時間を忘れてアーマリアを見つめすぎていたようだ。これはもしかすると、中々帰って来ない主人に、従者が焦って探し回っているかも知れない。
腕の中の花を侍女長に渡さなければならないのに、急がなくてはと足を踏み出したところでダミアンが手を出してきた。
「それは私が持って行ってあげよう。誰に渡せばいい?」
「でも、君にそんなことさせられないよ」
「いいから。今日はお前たちにとって大切な日だろう?」
ほら貸してごらん、と手を差し出すダミアンにありがとうと桶を手渡す。本当に僕の従兄は王族なのに飾らず優しい。侍女長に渡して欲しいとお願いし、手を振るダミアンと別れた。
きっと、まだ着替え終わっていない僕に母がカンカンに怒っているだろう。急いで自室に駆け込むと、ジャケットを持った従者が今にも扉から飛び出てきそうになっていた。
入れ違いにならずに済んで良かったと二人で息を吐きながら、慌てて袖に腕を通したのだった――。
広い庭に招待客がたくさん集まっている。
隣で胸を押さえ緊張しているサラは、レースが軽やかに靡くドレスを着ている。最近は派手な装いばかりだったので、淡い色に包まれた彼女は僕の目に新鮮に映った。
「ディラン坊ちゃま、花冠とコサージュです」
「あぁ、ありがっ……!?」
侍女長に差し出された籠の中に、入れた覚えのない花がある。一瞬にして心臓が凍てつくような感覚に陥った。伸ばしかけた手が震え、黙り込んだ僕に、侍女長が何事かと見上げてきた。
「どうされましたか?」
「こ、これは……、この緑の花は?」
「ダミアン様から一番目立つ場所に飾るようにと……何か不備がありましたでしょうか?」
不安そうに僕を窺う侍女長に、ぎゅっと喉が詰まった。
「わぁ、素敵っ! ねぇ、ディラン早くつけて?」
籠の中を覗き込んだサラが目を輝かせ早く、早く、と僕を急かす。頭が割れそうに痛い。目の前がグラグラと揺れて今にも吐きそうだ。
「何をしているの? 早くしなさい。お客様がお待ちよ……あら、まぁ、まぁ! とっても素敵じゃない」
「ほう、これは立派だな。ここまで揃えるとはディランも気合が入っているな。はははっ!」
母と父がいつまで経っても庭におりてこない僕たちの様子を見に来た。そして花冠を見るや否や、大いに喜んだのだ。みんなの声が遠く聞こえる。
「ディラン! 今日のお前は本当にうっかりしているね。一番大事な花を忘れていただろう? さぁ、みんなお前たちを待っているよ」
少し強めに肩を叩くダミアンが、虚ろな僕の目を見て笑みを深めた。言われるままに、冷えた指先でサラの頭に花冠をのせる。
「まぁ! サラとっても似合っていてよ。さぁ、あなたもディランにコサージュをつけてあげて」
頬を赤く染め、嬉しそうに微笑むサラが僕の胸に花冠とお揃いのコサージュを挿す。淡い桃色の髪にアーマリアの緑の花がよく映えた。しかし、僕が見たかったのは違うんだ。
「ちがう……」
震える声で小さく否定の言葉が漏れ出た。サラは嬉しそうに花冠を撫で、両親はお互いに腕を組み最高のお披露目に胸を弾ませている。
「ちがうんだ……」
細い声は誰にも届かない。僕を残してみんなが幸せそうな顔をしている。呆然としている僕の耳に、低い低い囁きが聞こえた。
「違わないよ」
驚き、声の主を振り返る。そこには、いつもの優しい笑みを湛えたダミアンがいた。今のは幻聴だろうか……?
「良かったね、ディラン。子どもの頃からの夢が叶ったじゃないか!」
ダミアンが僕の顔を覗き込み、いつもの軽口を叩くように言う。先ほどから耳鳴りが治まらない。
「サマーパーティーに婚約者と出席する時は、アーマリアの花冠を贈りたいってよく言っていたから覚えていたんだ。私が気がつかなかったら、せっかく丹精込めて育てたのに、危うく夢を取りこぼす所だったよ?」
ただただ、善人の顔をして、「お前の夢が叶って嬉しい」そう何の悪気もなさそうに笑うダミアン。さぁ、行こうか、と扉が開かれ眩しい日差しに目が眩んだ――。






