ディランの温室 二
人々の関心が薄れたこのタイミングで、公爵家ではそろそろサラの社交界復帰を考え始めている。
僕がサラを避けている間、なにやら彼女に変化があったらしい。
サラの教育係を自らかって出てくれた母曰く、最近は比較的まじめにマナーの授業に取り組むようになったのだとか。
言われてみれば、近ごろ従者から彼女が僕の自室を訪ねてきたと報告がない。以前はすぐに癇癪を起して僕のもとへ愚痴を漏らしに来ていたのだ。
それは僕が彼女を避け始めてからもお構いなしで、自室を不在にしていても続けられた。けれど、それがある日を境にピタリと止んでいる。
従兄弟である王太子のダミアンがお忍びで屋敷に遊びにきてからだ。その日は生憎、僕は父の仕事の手伝いで外出していた。
彼は社交の場に顔を出さなくなった僕を心配して、度々人目を忍んでは公爵家を訪ねてくる。子どもの頃から仲が良く、従兄弟ということもあり、兄弟や友人のように過ごしてきた。
彼はとても公平な人で、無色のメリッサを差別することも、平民から貴族になったサラを見下すようなこともしない。
僕に初めてサラを紹介したのもダミアンだった。
王太子自ら、貴族社会に慣れず学園で浮いていたサラに声をかけた。少しでも早く馴染めるよう、あの日、僕らのランチに彼が彼女を連れてきたのが始まりだ。
他の令嬢たちとは違う少しお転婆で元気の良いサラ。萎縮せず堂々とした彼女の態度は気持ちよく、仲良くなるのに時間はかからなかった。
サラに友人ができて満足したのか、僕らのランチにダミアンがあまり参加しなくなったが、あの時は目の前の彼女に夢中で気がつかなかった。
今思えば彼の立場上、僕らよりも一人の生徒に肩入れすることはできない。そのため、少しの距離を置いて彼女と接していたのだろう。もしも、サラに惹かれていく僕をダミアンが気づいていたなら、愚かな恋に走り出す前に、冷静になるよう諭してくれたかもしれない。
けれど、何も目に入っていなかった僕は、ダミアンに相談することもなくメリッサと婚約を解消した。
後ろめたさを感じつつ、事後報告をする僕に、ダミアンは困惑し顔を塞いでしまった。深いため息をついた後、気を取り直したかのように、サラを選んだ僕を彼は応援すると言ってくれたのだ。
学園でメリッサが植物図鑑を胸に抱いている姿を見て、本当に婚約を破棄して良かったのか迷いが生じた時も、「昔から我儘を言わず物わかりが良かったお前が、婚約を破棄してまで愛する人ができたんだ。私は嬉しいよ」そう言ってダミアンは背中を叩いてくれた。
彼はいつも僕の一番の理解者であり味方をしてくれる心優しい青年だ。
けれどメリッサの訃報を聞いた時、失意のあまり僕は何故サラを自分に紹介したのかと彼を責めた。お門違いにもほどがある。ただの八つ当たりだ。
同じ頃、サラが王族であるダミアンの腕に馴れ馴れしく触れる失礼な態度を取ってしまった。彼に不敬を働いたにもかかわらず、「サラを選んだのはお前自身だ」「婚約者の手綱はちゃんと握れ」そう冷たく言い放つだけで、僕にもサラにも厳罰を下すことはなかった。
そして、今はこうして僕たちのことを気にかけてくれている。ダミアンの叔母にあたる僕の母から、サラの教育が芳しくないことを聞いたのだろう。
彼がサラに何を言ったのかは分からない。しかし、いつまで経ってもまじめにマナーの授業を受けないサラを諭してくれたのは間違いないのだ。
僕はダミアンに頭が上がらない。結局のところ、僕がしっかりとサラに言い聞かせなくてはならないことを彼がかわりにしてくれたのだ。
この調子なら、今年は諦めていたサマーパーティーを公爵家の庭で開くことができると母が喜んでいる。その時はダミアンも参加してくれるそうなので、招待状を送った貴族たちも欠席するものは少ないだろう。
参加者たちに行儀のよくなったサラをお披露目できれば、公爵家の傾きかけた信用も回復するはず。
今朝、母からサラが身につける花冠の花を、今から選んでおくように言いつけられた。そして「サラも努力をしているのだから、あなたも現実を見なさい」遂にいままで静観していた母から窘められたのだ。
「サマーパーティーか……」
この温室で一番見晴らしがよく、日当たりのよい場所。そこに、蕾をつけた植物がある。
メリッサと一緒に植えたアーマリアの花だ。これはとある国でしか咲かない珍しい植物で、とにかく栽培が難しい。じっくりとゆっくり成長していくそれは、蕾がつく前に枯れてしまうことも珍しくない。
それが漸く蕾までついた。僕の瞳と同じ緑の花弁が開花するのは、丁度サマーパーティーが開かれる時期だ。
本来なら、この緑の花と真っ白なサマースイートピーでメリッサの花冠を作る予定だった。
公爵家の庭に咲く、ドレスのフリルのような花弁が美しいスイートピー。以前、庭先でお茶をした時に彼女が口元に笑みを湛え、眩しそうに見つめてた。
その時に、必ず真っ白なサマースイートピーも織り交ぜようと決めたのだ。僕ら二人の色で作られた花冠。それを身に着けたメリッサは、まるで慎ましい新緑の花嫁のように美しいだろう。
アーマリアに魔力をやりながら、彼女にサマーパーティーが楽しみだと告げたことがある。けれど、他人事のように曖昧に頷き微笑むだけ。きっとメリッサは、希少価値の高い花が、まさか自分の花冠になると思っていなかったようだ。そんな謙虚な彼女も愛おしく、自己肯定感の低さを哀れにも思った。
サマーパーティーで希少価値の高い花を身につければ、無色だからとメリッサを侮っていた貴族たちに、公爵家が彼女を大切にしていると周知させることができる。当時はそう思っていたのに……。
僕はメリッサではなく別の女性に捧げる花冠を作るのだ。
サラにも珍しく希少価値の高いものを選ばなくてはならない。今回のサマーパーティーは、彼女にとっても公爵家にとっても大切なのだ。
幸いこの温室では、滅多に市場には出回らない珍しい花を幾つか育てている。それを組み合わせ、サラの好みそうな派手な花冠を用意しよう。
何があってもアーマリアだけは手を付けない。これはメリッサのためのもの。彼女と一緒に植えた僕の唯一残された大事な大事な花なのだ。
公爵家ではメリッサの話は禁句になった。もう誰もその名を口にすることはない。
屋敷に仕える者は皆口が堅く優秀なので、新しく雇った使用人さえ彼女がどれだけ聡明で美しい人だったか知らないのだ。
ちゃんとサラと向き合うから。だからどうか、この花だけは。この温室にいる時だけは。メリッサの面影を偲ばせて欲しい。
「メリッサ、花が咲きそうだよ。これを花冠にして贈ったら、君はどんな反応をみせてくれたのかな……」
アーマリアの鉢植えの前に、ぽつりと呟く。
初めて土の中から若葉が顔を出した時、彼女の瞳が煌めいたのを今でも覚えている。まるでメリッサの頬を撫でるように、アーマリアの蕾を指の背で優しく大切に触れたのだった。
※書籍をお読みいただいている方は色々お気づきかと思われますが、ネタバレになってしまうので、ある事情については感想欄に書かず心に秘めていただけると嬉しいです!
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