ディランの温室 一
メリッサの元婚約者、ディラン視点です。
マルバリー公爵家自慢の広い庭。
その更に奥に行くとガラス張りの温室がある。分厚いガラス戸を開け一歩中に入れば、外気よりも湿度を含む温かな空気に包まれた。
陽の光を閉じ込めた静かな空間に、様々な植物が埋め尽くされている。鼻孔をくすぐる甘い花の香りが、鬱々とした気分をほんの少し軽くしてくれた。
幼い頃、誕生日に両親から贈られた僕専用の温室。ここは母の溜息も、サラの不満も聞こえない。自分だけの癒しの場所だ。
温室の管理だけは庭師に頼まず、自らの手で行ってきた。現当主である父や、屋敷の一切を取り仕切る母の権限さえ届かない。自室よりも更に深い、僕のプライベートな空間。
そして何より、メリッサとの思い出が詰まった大切な場所だ。彼女の訃報を聞いて以来、温室への入室は誰も許可していない。
そんなことを今の婚約者であるサラが知れば、烈火のごとく怒り狂うだろう。
けれど幸いなことに、いまの彼女は植物にそれほど関心がない。ここへは滅多なことがない限り近づくことがないので、余計な確執を生まずに済んでいる。
サラと出会った当初、花束をプレゼントするだけで飛び上がるほど喜んでくれた。しかし今は、渡した花には目もくれず、ドレスや宝石をせがむのだ。
花束を抱きしめ、あんなに喜んでいたのは噓だったのか。それとも、華やかな貴族の世界を目にして、着飾ることを覚えたのか。
あの日、サラが醜く歪んだ顔で故人を愚弄する言葉を放った時から、彼女のことがわからない。
メリッサと最後に言葉を交わした際、突き返された髪飾り。今や遺品となったそれを眺め彼女を偲んでいたその時。いつものようにマナーの授業を放棄したサラが部屋に入ってきたのだ。
僕の手の中の髪飾りが、メリッサのものだとわかるや否や、彼女は顔を歪めた。サラが不快に思うなら、メリッサの墓に供えよう。そう手放すことを伝えたが、結局髪飾りはサラに奪われてしまった。
メリッサは魔物に食べられたのだ。空の墓に供えても意味がない。自分が使うほうがずっと相応しい。無色の女より光魔法が使える私に惹かれたのだろう、と僕を睨みつける彼女に何も言い返すことができなかった。
メリッサという婚約者がいたにも関わらず、溌溂と笑うサラにどうしても惹かれてしまった。あの笑顔は、僕の幻想だったのだろうか。
どのみち、失って初めて大切なものに気づく愚かな僕にはわからないだろう。
髪飾りの件があってから、サラを避けている。しかし、無作法な彼女を教育するため、公爵家で預かっている以上、顔を合わせなくてはならない。
母はサラの髪に飾られた見覚えのある銀細工を見て、何があったのか察してくれた。それでも、メリッサを気に入っていた母は一瞬悲しそうな顔をして、次には何もなかったかのように振舞ったのだ。
サラを問い詰めることも、僕に同情することもない。ただ、よそよそしくなった息子とその婚約者の様子を静観してた。
すべては僕がメリッサの手を離し、サラを選んだのだから。健気な一人の少女を、身勝手な理由で一方的に切り捨てた。嘆く資格などありはしない。そう突き付けられているようだった。
屋敷の中が息苦しい。息をつけるのはこの温室だけだ。話しかけてこようとするサラに、今までと同じような態度はとれず、理由をつけてはこの場にこもっている。
けれど、いずれはちゃんと向き合わなくてはならない。メリッサを死に追いやってしまった原因を作ってまで、サラと婚約を結んだのだ。今回ばかりは婚約を解消することなどできない。
しようものなら今度こそ、これまで築いてきた公爵家の信頼は確実に失われるだろう。
一時期、吟遊詩人がメリッサの悲しい詩を広めたことにより、世間から白い目を向けられた。
貴族たちの話の種として、これまで経験したことのない周囲の視線が僕に突き刺さったのだ。
自分が同じような体験をして、漸くメリッサが長年受けてきた好奇の目に晒される辛さを理解した。どうしてちゃんと守ってあげられなかったのだろう。
婚約期間中、彼女の痛みをわかった気になっていた。それなのに、誰よりも酷い仕打ちができたのは、結局のところ何も理解していなかったからだ。
悔やんでも悔やみきれない。
無色で魔法が使えないというだけ。ただそれだけで、メリッサは世間から蔑まれていた。そんな彼女に、僕がとどめを刺したのだ。
どうすれば彼女に償うことができるだろうか。
自傷するように進んで夜会に参加しては、自分の耳に小さく流れ込んでくる悪意を聞いた。
それでも地位が邪魔をして、直接僕に何をか言う者は滅多に現れない。ただ波が引いたように、これまですり寄ってきていた人間は誰一人いなくなった。
しかし、そのくらいメリッサの受けた痛みに比べればたいしたことではない。
償える相手がこの世にいないのは、何て辛いことだろうか。メリッサに嫌な思いをさせたまま逝かせてしまった。彼女が魔物の森に入った時、どんな気持ちだったのか……。
日に日に疲弊していく僕に、父が当面の間は夜会の参加を禁じた。期限は、サラが社交の場に出られるくらいのマナーが身につくまで。心配する親心と、公爵家の恥の上塗りを恐れてのことだろう。
サラと共に社交の場から距離を置いていると、貴族たちの関心も僕らから離れて行った。そしてメリッサからも……。
大人しくしていたロズワーナ伯爵が、また懲りずに若い娘を娶っただとか。メリッサの母であるオリヴィア夫人は床に伏せているため、バトレイ伯爵は一人で社交の場に出席しているだとか。
僕が最後に参加した夜会で小耳に挟んだこれ以降、メリッサに関わる話題は出ていないらしい。
ゴシップが大好きな貴族たちの関心は、次から次へと流れて行く。やれ、どこそこの夫人が売れない画家の子どもを身ごもった。羽振りの良かったどこそこが事業に失敗して没落寸前だ、とか。
彼らの記憶からもメリッサが消えて行く。あれだけ彼女を侮蔑し、その口で同情の言葉を並べていたのに。新しい話の種が見つかれば、あっさりと忘れてしまうのだ。
ディラン視点つづきます。






