美味しい彩光ザリガニ
ゴモの葉を被せた桶の中から、カリカリと木の板を引っ掻くような音が聞こえる。
数日間、妖精の泉の水で泥抜きをした彩光ザリガニ。それに瓜酒を振りかけて更に臭み取りをした。今からこれを煮えたぎる大鍋で塩ゆでにするのだ。
しかし、どうしたものか。そろそろ彩光ザリガニも酔っぱらって動きが鈍くなっていると思いきや、ゴモの葉を外すと想像していたより元気そうに動いている。
これでは鍋に入れた瞬間、驚いた彩光ザリガニが跳ねて熱いお湯が飛び散りそうだ。鍋の蓋で防御すれば大丈夫だろうか。顎に手を当て悩んでいると、ジークが私の肩に触れた。
「俺が入れるからメリッサは鍋から離れていてくれ」
「でも、ジーク危ないわ。やっぱり一度締めてから茹でましょう?」
『活きの良いまま茹でるから美味いのではないか!』
ナイフを持った私にバルカンが慌てて桶にゴモの葉を被せた。『ダメだ、ダメだ』と首を振り、彩光ザリガニを渡してくれそうにない。
「バルカンもこう言っているし、俺は大丈夫だ。ほら、だからもっと離れて。ペルーンお前もだぞ」
「クナァ?」
「それじゃあ……、お願いしようかしら。ジーク、ありがとう。気をつけてね」
ペルーンに「おいで」と手を広げると、ぴょんと飛びついてきた。しっかりと小さな聖獣を抱きしめ、鍋から離れてジークを見返す。すると、よし、と頷いた彼が桶を持ち上げた。
重たい桶を片手に持ち替え、もう片方の手で蓋を握っている。ジークが「よっ!」と軽く一声あげてドボドボドボッ――。
一思いに桶の中身を鍋に落とした。
それも、多少お湯が腕に飛び散っても顔色一つ変えず、彩光ザリガニが反応する前に素早く流れるように蓋を閉めたのだ。あまりに一瞬の出来事だったので、目をぱちくりとする。
「ほら、大丈夫だっただろう?」
にっこり涼し気に笑って蓋を押さえる彼の腕には筋が浮いている。耳を澄まさなくてもバチャバチャと彩光ザリガニが鍋の中で暴れているのがわかった。押さえていないと蓋が吹き飛びそうだ。
私が一匹ずつもたもたと入れていたら、飛び散ったお湯で火傷をしていたことだろう。それに、キッチンも大惨事だ。逃げ出した彩光ザリガニを捕まえて水浸しになった床や竃の片付けに塩ゆでどころではなくなってしまう。
「えぇ、凄いわジーク。瞬きする間に終わっちゃった! あっ、それより腕を冷やさなくちゃ!?」
「そんなに散ってないし火傷もしてないから大丈夫」
「ほんとうに?」
もしかすると、鍋を押さえ動けないからやせ我慢をしているかもしれない。ハンカチを濡らして渡したほうが良いのではないだろうか。じっ、とジークの腕を見る。確かに彼が言うように赤くなっていないし火傷はなさそうだ。しかし本当に大丈夫だろうか。ハンカチを取り出しながらジークの顔を再び見上げると、ふふっと彼が破顔した。
「どうしたの?」
「いや、可愛いなと思って」
「もぅ、心配しているのに、すぐそうやって揶揄うんだからっ!」
濡らしたハンカチをぺしりとジークの腕に貼り付ける。「いてっ!」と小さく悲鳴をあげる彼にふんっ、と鼻を鳴らした。
『おい、そんなことより、そろそろ鍋の中も落ち着いたんじゃないか?』
バルカンの呆れた声に、忘れかけていた鍋に目を向ける。確かに、先ほどまで聞こえていたお湯の跳ねる音が聞こえない。かわりに、ぐつぐつと煮えたぎる音だけが静かに響いていた。ジークがそろりと蓋を外す。すると、ふわりと立ち上った湯気から甲殻類の香りがした。
あのギラギラした見た目からは考えられないほど、美味しそうな香りがしている。
「あっ、色が変わってる! 美味そう!」
「え、どれどれ?」
「ほら!」
「わぁ、本当だわ!」
ジークの隣からひょこりと顔を出し鍋の中を覗き込む。すると、中には真っ赤に茹だった彩光ザリガニの姿があった。玉虫色をした昆虫のような見た目だったのに、すっかり美味しそうなロブスターになっているではないか。
見慣れたその姿に食欲が増す。これは間違いなく美味しいやつだ。ごくりと喉を鳴らし、お皿の準備に取り掛かった。
食卓には真っ赤に染まった大きな彩光ザリガニが湯気を上げている。バルカンたちが張り切ってたくさん捕ってくれたお陰で思う存分楽しめそうだ。
バキリと豪快に彩光ザリガニの首をへし折ったジークが、私にそれを差し出した。
「はい、殻は硬いから俺が剥くよ」
「まぁ、ありがとう。ふふ、至れり尽くせりね」
剥き身になった彩光ザリガニ。今までならナイフとフォークで上品に食べるところだが、ここは魔物の森だ。思い切って手掴みで大きなそれにかぶりついた。
ブツリ繊維を断ち切れば、舌の上にじゅわりと旨味と塩味が広がって、ぷりぷりとした触感を口の中いっぱいに楽しんだ。
「美味しいっ!」
『かぁ~っ! やはり彩光ザリガニの塩ゆでと瓜酒はよく合うな」
バルカンがバリボリと殻ごと彩光ザリガニを食べながら、美味しそうに瓜酒を飲んでいる。そのすぐ横に、もぞもぞと不気味に動く奇妙な生きものを見つけた。黒と金の縞々模様の体から真っ赤な彩光ザリガニの頭が生えている。
「ふふふ、ペルーン?」
「クナ?」
すぽんっ、と彩光ザリガニの頭から可愛らしい小さな聖獣の顔が出てきた。どうやらペルーンは彩光ザリガニの頭に詰まったミソがお気に入りのようだ。ぺろりと顔についた汁を舐めて、また新たな頭に飛びついた。
「彩光ザリガニってこんなに美味かったのか!」
目を輝かせて美味しそうに彩光ザリガニを頬張るジーク。彼のコップに瓜酒を注いであげる。すると嬉しそうにお礼を言いながらジークがコップに口をつけた。
「はぁ~……、爽やかな瓜酒と彩光ザリガニの旨味がよく合うな」
『そうであろう、そうであろう』
しみじみと囁くジークに、バルカンが自慢気に頷く。そんな二人を眺めていると私も飲もうかな……。
なんて頭に過るが、首を振ってお水の入ったコップを傾けた。そんな私にジークが不思議そうな顔をする。
「メリッサは飲まないのか?」
「ええ、私は赤スグリのお酒ができるまで飲まないって決めたの!」
赤スグリの果実酒ができるまであと三か月。その頃は夏真っ盛りだ。きっと森の外では、サマーパーティーが行われる時期だろう。避暑地や広い庭を持つ貴族の屋敷などで開かれる少し特殊なパーティーだ。
陽の高いうちからお茶ではなくお酒が振舞われ、夜会のような華美なドレスや宝石ではなく、刺繍やレースなどが施された貴族にしては慎ましい装いに身を包む。
女性は生花で作られた花冠を飾り、そのパートナーである男性の胸には同じ花を飾るのだ。自己顕示欲の強い貴族たちは、その花がどれだけ立派で価値のあるものかを競っていた。
花冠をパートナーから捧げられた女性は、どれだけ自分が相手から大切にされているか。花冠をパートナーに捧げた男性は、自分の財力や権力がどれだけあるか。それぞれ、他者よりもどれだけ優れているかを見せつけるのだ。
折角、素朴で素敵なパーティーなのに。貴族の考えることは無粋でいつも誰かを蹴落としたり、見栄を張ったりするばかりだ。
これまで夜会に参加した時に希釈されたお酒しか飲まなかったのは、失態を犯さないためだった。もう私が酔っぱらったくらいで嗤う人も怒る人もいない。そのため、いまこの場で濃いお酒を飲んだってかまわないのだが、どうせなら特別な日に飲みたいのだ。
無粋な人間など一人もいない。ただ自然を愛し、お酒と食事を楽しむ面々でサマーパーティーを開くのだ。腹の底で競い合い争うことなどしない。
いや、食いしん坊たちがちょっとだけご飯の取り合いをするかもしれないが、きっと笑い声の絶えない素敵な日になるはず。
魔物の森で開かれるサマーパーティーなんてとっても素敵ではないか。こうして新たな食材も手に入ったことだ。たくさんの美味しいご馳走を作ろう。
わくわくと胸を弾ませ、手の中の彩光ザリガニにかぶりついたのだった。
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