隙のない見張り
ガタゴトと揺れる立派に飾られた馬車の中、そっとカーテンを開けて外を見た。
御者の他に、二人の粗暴そうな男が早馬に乗り、馬車の近くを走っている。
護衛と言う名の見張りなのか、通常の馬の二倍の速さで駆けていく馬車を、同じスピードでついてくる。
道が悪くても、スピードを落とさず走るので、座り心地の良いクッションが敷いてあっても、馬車が跳ねるたび身体が浮いて尻を打ち付ける。
揺れるたび酔いそうになって、侍女から別れ際に貰った、酔い止めのミントのキャンディーを口の中で転がした。
こんな事なら、あの時窓からこっそり逃げ出せば良かったと、後悔しながら昨夜の事を思い出す。
娘と過ごす最後の晩餐なのに、両親は食堂へ来る事もなく、誰もいない静かな夕食を過ごした。
分かってはいたが、虚しく感じながら、部屋に帰りどうやって逃げ出すか頭を悩ませると、街の活気を思い出す。
買い物をした時の格好をすれば、ある程度目立たなかった事に、これなら辻馬車を乗り継ぎ地道に帝国まで目指せるのではないかと考えた。
手持ちのお金が底を尽きそうだが、逃げた先で何かを売れば良いのだ。
何かないかと、部屋の中をぐるりと見渡し、侍女達が荷物に詰めずに屋敷に残される物の中から、嵩張らずお金になりそうな物を探す。
高値で売れる宝石類は持って行かれたし、型落ちして放置されたドレスは荷物になる。
そう言えば、授業でノートを取る時に使用していた万年筆なら、質も良く繊細な細工がしてある為、高値で売れるはずだ。
まだ使っていない、革張りの真っ新なノートと一緒に、セットで売ればもっと良い値がつくのではないだろうか?
早速、ベッドの下からトランクケースを取り出し詰めていく。それと、革の水筒に水差しの水を全て注いだ。
部屋の外の様子を確認しようとそっと扉を開く。扉の横には、先程まで居なかったはずの、体格の良い使用人が二人、扉を挟んで椅子に腰掛けている。
日頃、従順で反抗的な態度を取った事はないが、念の為に父が見張りをつけたのかもしれない。
扉から顔を出した私に、使用人が立ち上がる。
「お嬢様、如何致しましたか?」
「あ、その……お水を頂きたくて。水差しのお水を全て飲んでしまったの」
「それでは、私が水を持ってまいります」
私が渡した水差しを持って、一人の使用人が厨房へ向かう。
「お嬢様はお部屋にお戻りください。旦那様から明日までお嬢様は部屋から出ない様にとの事ですので」
残ったもう一人の使用人に、部屋に戻るよう急かされ、渋々覗かせていた顔を引っ込めた。
娘が婚約破棄された上に新しい縁談を蹴って逃げたなど恥の上塗りだ。
それに、私と引き換えにロズワーナ伯爵から受け取ったお金を返却する事になるし、その上を行く賠償金も支払う事になるだろう。
父は念を入れ、非力な私に侍女ではなく、屋敷で一二を争う力の強い使用人を見張りにつけたのだ。
扉から無理なら、窓からどうにか逃げられないかと下を覗くが、どうにも足場がどうなっているのか暗すぎてよく見えない。
シーツをロープ代わりにして降りる事も考えたが、失敗して脚でも折ったら、確実に逃げられなくなってしまう。
ここはやはり、迎えの馬車に乗って途中で逃げる機会を伺うしか無いかしら。
兎に角、いつでも逃げられる様にしっかりと睡眠を取ろうと、ベッドに入り目を瞑るが、結局緊張と不安で何度も寝返りを打ちながら夜を明かしたのだった。
「今度こそ、捨てられない様に努めろ」
「離縁されても、貴女の帰ってくる家はないわよ」
出立前、期待はしていなかったが、案の定最後まで両親は冷たいままだった。
唯一、侍女達だけは、色々と私が旅の間、過ごしやすい様にと、気を配ってくれた。
締め付けのない動きやすいワンピースや、編み上げのブーツを用意してくれ、別れ際にミントのキャンディーをプレゼントしてくれたのだ。
口の中の爽やかな甘さを感じながら、彼女達と最後は少し、お互いに歩み寄れた様で嬉しく思った。
馬車に揺られながら、何度か馬を変え食事やトイレなどの休憩に、馬車を停車しているが、見張りがずっと付いていて、中々逃げる隙がない。
何より、男性にトイレまで待たれるのは苦痛で仕方がなかった。
バトレイ家からもロズワーナ家からも、侍女をつけておらず、馬車の中は一人きりなので、見張りの目が少ない事に関しては良かったと思う。
馬車の揺れに少し慣れてきた頃、いつの間にか寝てしまったのか、カーテンの隙間から射し込む朝日に目を覚ます。
慌てて窓の外を見ると、既にロズワーナ伯爵の領地の手前まで、きてしまったようだ。
どうしよう。
このままでは本当に、ロズワーナ伯爵の元へ着いてしまうわ。
逃げる機会を見つけられず、焦りは募るばかりだ。少し大きめな街で、一度馬車を停め休憩を取る事になった。
屈強な男二人に挟まれ、朝食兼昼食を食べていると、隣の席に座った客の話し声が聞こえた。
「おい、聞いたか? 最近、この界隈で盗みを働いてた流れの盗賊が、憲兵に見つかっちまって魔物の森に逃げ込んだんだとよ!」
「そりゃ本当か? いくら追い詰められたからって魔物の森に入るなんて自殺行為だぜ? 俺なら、素直に捕まって臭い飯でも食べるね」
「他所から来た奴なら、魔物の森の事を知らなかったんじゃねぇか? 冒険者はギルドや酒場で情報収集するけどよ! 手配書に顔乗ってるやつなら落ち落ちそんな所に入れねぇからな」
魔物の森の名前が出て来た事で、聞き耳を立てていると、私の隣に座った見張りの男が、骨の付いた肉に食らいつきながら、隣の客に声をかけた。
「その盗賊は、今頃あの世行きだな」
「おう、間違いねぇぜ兄ちゃん! 盗賊が森に入った後に悲鳴が聞こえたらしいぞ。しかも、厄介なのが盗んだもん全部抱えて、森に入っちまったもんだから、誰も手が出せねぇんだ!」
「まぁ、みんな死にたくねぇから、誰もあの森に入ってまで盗まれたもん取り戻そうなんて思わねぇよな」
「はははっ、違いねぇ!」
油の付いた指を舐めながら隣の客と談笑する見張りの男に比べ、私の反対側に座る、もう一人の男は無口なのか静かに酒を飲んでいる。
そんな中、御者が慌てたように此方に駆けてきた。
「馬車の車輪にどうもヒビがはいっているようなんだ! 車輪を替えるのに時間が欲しい」
「ああ……普通の馬用の馬車に、無理やり早馬を使っているんだ。あれなら故障しても仕方がない。どのくらい時間がかかる?」
「そうだな……全ての車輪を替えるから、急いでも最低二時間はかかるな」
「……わかった。出来るだけ早く頼むぞ」
無口そうに思えたが、ちゃんと会話はするタイプの様だ。車輪を換え終わってすぐに、馬車の中に押し込まれた。
「予定は狂ったが、このまま馬車を走らせ続けば、ロズワーナ伯爵の屋敷に約束の時間ギリギリには着く。急ぐぞ!」
窓の外から聞こえる声に頭を抱えた。さっきも、逃げる機会を伺っていたのだが、あの見張り達は油断している様で全く隙を見せないのだ。
陽が傾き、夕日が辺りをオレンジに染めている。
少しずつ空に紫が混ざり出し、グラデーションを作って夜の気配を感じさせた。
心の隅に弱い自分が顔を出し、視線が下に向いた時、御者の慌てる声と、馬の嘶く声の後に、馬車全体に大きな揺れが走ったのだ。






