魔法遣いを殺すもの
ある男は大金と引き替えに数十もの人間をその手に掛けた。
ある男は人間や動物を人倫にもとる研究のモルモットとして使い捨てた。
ある男は複数の女を催眠下に置いて自宅地下で家畜として飼育した。
ある女は恋慕した男の心臓を生かすために無関係の犠牲者を複数出した。
ある女は若い女の部位を蒐集し、完全な自己を作ろうとした。
ある男は人の境界を越えるために一つの町を飲み込もうとした。
ある男は殺された肉親の復讐のために選ぶべき道を違えた。
その全てを――――私は殺した。
◇
私には生まれつきの赤髪のせいで迫害を受けていた過去がある。同じ国に生まれ育ちながら、純血ではないというだけで随分とひどい目に遭わされたものだった。
そんな日々の中で、私は決して涙を流すことはなかったし、親や教師に助けを求めることもなかった。ただ、自覚もないまま盲目的なまでに強さを渇望していたように思う。
理由は分からない。いつか私を苛めた連中に仕返しをしたかったのかもしれないし、強くなった自分を見せてどんなものだと見返してやりたかったのかもしれない。自分が求める強さというものがなんなのか、それすら分からないまま、私はひたすら誰にも負けない強さを追い求めた。
……魔法遣いと名乗る男に声を掛けられたのは、十一歳の秋のこと。
最初は当然、魔法などという非科学的な物は信じなかった。もちろんまだ子供なのだから、「ファンタジー」にある種の憧れを持っていたのは確かだ。周りの女の子達が夢中になっていた少女アニメだって好んで見ていた。でもそれは、魔法なんてこの世に存在しないという前提があってのこと。在りもしない物を「君にあげる」と言われて素直に手を差し出せるほど、わたしも馬鹿ではなかったし幼くもなかった。
まあ結局、目の前で魔法の実在を証明されてしまえば、その場で弟子入りを決意せざるを得なかったのだけど。
優れた術者たる師父から学んだものは、あまりに多く、あまりに大きかった。そのおかげか、史上最年少とまでは行かずとも、十四歳の中頃には中級第三位に至ることが出来た。
制裁執行者に選定されたのはその六年後、二十歳の時分。
師父が選定委員の一人ではあったけど、執行者選定はコネクションが通用するほど甘いものではないし、なによりそんなもので選出する意味がない。
純粋に私の武力と、どのような状況にも対応しうる魔法技術を認められてのことだ。
当初は強くなりたいというその一心で修練に励んでいたけれど、執行者という役割を得たことで、強さを求める明確な理由が一つ増えた。
それからさらに六年。気付けば、同胞の命を奪うことにも躊躇はなくなっていた。
手の中で心臓が温度を失っていく感覚も、目の前で命が形状を失っていく光景も、もはや私の心を乱しはしない。初めて同胞を誅した時は、極度の緊張と恐怖で気が狂れてしまいそうだったというのに。まったく、慣れというのは恐ろしい。
そんな魔法遣いとしての日々にそこはかとない倦怠を覚え始めた頃だ。
彼と出会ったのは。
一目で魔法遣いだと分かった。彼もすぐに私が同胞だと気付いた。一流の魔法遣いだけが纏う空気が、彼にはあった。
町に引っ越してきたばかりだという彼とは、妙に馬が合った。まるで古くからの友人のように、リズムが合った。顔を合わせる機会が増えるにつれ、私の中で彼に対する好意が深まっていったのは当然だと思う。
きっとそれは、彼も同じ。
まるで示し合わせたように、自然に私達は恋人同士となった。
男性と過去にそういう関係になったことは、もちろんある。でも、魔法遣いではない一般の男性と交際していくのは簡単ではない。だって、間違っても自分の正体を悟られてはならないのだから。共に過ごす時間が長くなればなるほど、慎重にならざるを得ない。その精神的負担は決して小さくはない。
魔法遣いである彼が相手ならそんな気苦労はいらない。彼の前では、私は私を偽る必要がない。それは私にとって心安らぐかけがけのない居場所。
だけれど、実はいくつか彼には明かしていないことがある。彼に対する偽りでは決してないけれど、立場上どうしても明かせないこともある。
たとえば私が制裁執行者であること。
この仕事は汚れ仕事。言ってみれば「暗殺者」のような物。たとえ相手が同じ魔法遣いであろうと、正体を知られるわけにはいかない。
私の両手が同胞の血で赤黒く染まっているなんて、知られるわけにはいかない。
ささやかで穏やかなこの暮らしを、出来ることなら手放したくはない。なにに代えても守りたいとさえ思えるくらい、私にとっては大切な物だ。
少なくとも、この時の私はそう思っていた。
◇ ◇
「こちらが今回の対象者です」
笑顔にあどけなさを残す美少年が差し出した物。かすかに青みがかった、指先でつまめるほど小さな水晶玉。
受け取って躊躇なく飲み下すと、それはあっという間に体内で分解され、魔法によって圧縮されていた情報が私の中に溶け出していく。
「……また大それたことを企んだものね」
制裁内容を指定されるまでもなく、殺すしかないだろう、これは。
「これだけ大がかりな計画を今まで見抜けなかったの?」
「えぇ、随分と用心深い方だったようで。本来の工房の他に無登録の工房を設置してたんですよ。計画はそこを中心に進められてたものですから、これまでの巡回監査では明らかに出来なかったんです」
用意周到。にしても、一つの町を覆い尽くすほどの魔法を偽装し続けるのは容易なことじゃない。それも、私にさえ気取られずに数年も……さすが中級第一位の実力者。評判に違わず、並外れた技術だ。
「今回は運が良かった。ごくわずかな霊脈の歪みが偶然に観測されたのがきっかけで、彼の計画に辿り着くことが出来ましたから。もしそれを見逃していたら、最悪この町はゴーストタウンになっていたかもしれませんね。まあでも、たとえそうなっていたとしても、この計画は失敗することは決まっていました。だって、よりによってあなたのいるこの町に、工房を構えてしまったんですから――――…………」
…………――――昼間の少年とのやり取りを思い出しながら、私は男を見やる。
男は額や口元から血を流しながら、その顔に諦観の滲む笑みを浮かべている。自分の胸に手首まで刺さった私の腕を、引き抜こうともせずに。
「本当に後少しだったというのに、参ったよ。まさか、ここが君の担当区域だったとはね……百貌君」
「残念でしたね、神になれなくて」
「ああ……勘違いしないでくれ。僕は神になりたかったわけじゃない。神から定められた己の限界を超えたかっただけだよ」
「いずれにしても愚かなことです。だからここで死ぬことになった」
「愚か? 違うね。ただ運が悪かっただけだ」
「私には同じことです」
言い終わると同時に、右腕を引き抜く。
くふ、と息を漏らして男は、そのまま後ろへと倒れて、ぶちまけたペンキのように弾けて消えた。
右手に残された男の心臓が脈動を止めるのを待ってから、そこに魔力を集中する。
心臓が手の平の中で硬質な音とともに圧縮されていき、あっという間に赤い水晶へと変成した。後はこれをあの子に引き渡せば今回の仕事は終わり、なのだけど。
「どうしてあなたがここにいるの?」
言って振り返ると、そこに彼がいた。
まるで近所のコンビニにでも出るような身軽な格好で、感情の見えない表情で、彼が立っていた。
「答えて。どうしてあなたがここにいるの?」
人の命を奪ってもなお平静を保っていた心臓が、にわかに速鳴りを始める。
お願い。私に最悪の選択はさせないで。
私をしばし見つめた後、彼は破顔した。
「すまん。外でお前を見かけてな。いつもと様子が違ってたもんで、気になって後を付けてきた……そうか。お前、やっぱり執行者だったんだな」
「あなたが今ここで死んだ男の協力者ではないと、証明出来る?」
「証明は出来ない。でも、俺はそんな男は知らんし、どんな罪で殺されたのかも知らん。こんな場所に工房があったことも、今日初めて知った」
口だけならなんとでも言える。証明出来ないというのなら、私は疑わなければならない。でも、私は彼を信じたいし、彼が私に嘘を吐いているとも思いたくない。
「ならいい。これ以上の追及もしない。帰りましょう」
「いや、その前に聞きたいことがある。お前、三年前に男を一人殺さなかったか? 女を何人も洗脳して飼ってた奴だ」
……あぁ、あれは忘れようにも忘れられない酷いケースだった。思い出すまでもなく思い当たる。
「えぇ、確かに私が殺した。でもどうして? ひょっとして知り合いだった?」
あんな下劣に過ぎる男と彼が知り合いだなんて、考えたくはないけれど。
「俺の弟だ」
「――――――え」
弟? あの男が、彼の弟?
信じがたい。信じられない。魔法遣いとして真っ当に生きてきたはずの彼と、あの不道徳極まりない男が兄弟だなんて……。
腹の底から沸き上がる動揺をこらえて、私は返す。
「あなた達が兄弟だとしても、私には関係がない。あの男が罪を犯し、私が指令に従って制裁を下した。それをあなたに恨まれる謂われはないもの。あなたも魔法遣いなら、分かるでしょう」
魔法遣いである以上、魔道の掟には従わなければならない。掟を破れば相応の罰を受けなければならない。
それもまた掟なのだ。
「恨んじゃいないよ。あいつはそれだけのことをしたんだ。もし俺が執行者だったとしてもやっぱり躊躇なく殺したよ。ただな、俺にとってあいつはたった一人の肉親だった。早くに親を亡くした俺らはずっと一緒だった。魔法だって同じ師に学んだ。確かにあいつはクズだ。優れた才能を持ちながら、その使い道を違えた。殺されて当然だ。でも分かるか? おれは弟を殺されたんだ。最後の家族を殺されたんだ。だったら俺は、残された一人としてその仇を討たなきゃならない。弟を殺した魔法遣いを、俺が殺さなきゃならない」
私は彼の身の上を、これまで一度も聞いたことがなかった。両親がいないことも、弟がいたことも、今初めて知った。
彼の言っていることも理解出来なくはない。私の両親は健在だけれど、ある日突然、二人がひどい罪を犯したから殺しましたと告げられても、きっと納得は出来ないだろう。
でも、それでも受け入れなければいけない。それが法であり掟なのだから。
「私にはあなたと戦う理由がない。それに、万が一あなたが私を殺せたとしても、その瞬間からあなたは同胞殺しとして別の執行者から命を狙われることになる。それが分からないわけではないでしょう?」
あなたが私に勝てる道理はない。どれだけあなたが優秀であろうと、私には勝てない。
私はあなたを殺したくはない。あなたの傍にいたい。今あなたが引いてくれれば、私はなにも知らないフリをしてあなたを愛していられる。
「だからお願い。なにも言わずに帰って」
「すまん……断る」
刹那、私の視界が白く爆ぜた。
体勢を崩して後ずさる私に追撃せんと、彼がさらに前に出る。それを横蹴りで牽制しつつ、距離を取る。
拳を二発。右の顎に鈍い痛み。鼻の奥に鋭い痛み。どちらも骨に異常は無し。噛み合わせも大丈夫。ダメージは、軽微。
「完全に不意を突いたはずなのに、あのタイミングで局所結界を三層か。やっぱりお前、並じゃないな」
「その三層を一撃で破壊したあなたもね」
間合いも一瞬で潰された。実に見事な縮地法だ。
不意は打たれたけど、おかげで彼我の戦力差も把握出来た。
大きく息を吸い、心臓部の「核」から広がる霊脈を通して肉体を錬成。血流の増大に伴い、体温が上昇する。頭頂からつま先まで、余すところなく魔力で満たし、闘争の態勢は整った。
「もし私に勝てないと思ったら、その時は迷わずに逃げてね。これは、お願いじゃないから」
縮地法からの拳撃二連。
先刻彼にされたことをそのまま返す。彼は結界と防御でそれを捌き、流れるように左中段蹴りの動作――狙い通り。
蹴りを防御しつつ、魔力を込めた左足を強く踏み込む。地を伝う振動に、彼が片脚を上げたまま硬直。すかさず右足を踏み出してがら空きになった胴体に肩当て身を叩き込む。
衝撃波を伴う破裂音とともに吹っ飛ぶ彼。逃すつもりはない。撃てるだけの魔弾で追い討ちを掛ける。
部屋のあちこちが崩れ、埃が舞う。
手応えはあった。結界を張る間も与えなかった。これでノーダメージなんてありえない。
「…………?」
突然、大気中の魔力が爆発的に膨張し、一気に収縮を始めた。
――――――まずいっ。
咄嗟に横に飛んだ直後、塵埃も書物も巻き込みながら、放たれた魔力の壁が私のいた場所を削ぎ砕いていった。
これだけの距離で、空気伝播による魔力ロスを最小限に抑えるなんて、素晴らしい技術。
だけど今は、悠長に賞賛している余裕なんてない。
目の前にはすでに拳を構えた彼の姿――っ。
二人の拳が交差する。
私の顎が跳ね上がり、彼の首が右へ捻れる。
私は歯を食いしばって衝撃に耐え、彼は憎悪の目で私を睨みつける。
私は彼を止めるために、彼は私を殺すために、今持てる技の全てを奮う。
魔力を消耗し、肉を潰し、骨を軋ませ、血をしぶかせて、極限まで闘争に熱中していく。痛みとともにほろほろと崩れていく命と時を惜しみながら、二人にとっての最後の睦み合いを享受する。
そして少しずつ、少しずつ確実に、互角に思えた二人の間に差が生じ始める。
技術でもなく、魔力でもなく、決定的な体力差。
私が女で、彼が男であるという、絶対的な性差。
鋭い呼気とともに彼の双拳が突き出されるのが見えた。
局所結界の展開を。
防御態勢への移行を。
脳からの命令が実行されるよりも早く、二つの鈍い衝撃音が私の体を貫く。
「が、ふ…………っ」
核と水月。急所二点を同時に打たれ、ついに私の体は限界へと至る。
魔力の供給が間に合わなくなり、胸の早鐘に合わせて激痛が全身を走り始める。右の瞼は腫れ上がり、左の目は霞んでよく見えない。腕はわずかにも上がらない。背筋を伸ばすことも出来ない。膝は笑い、今にも崩れ落ちそうだ。
彼の激しい息遣いがすぐ傍まで近づく。
「は、はぁ…………強いな。さすがに危うかった。前に戦った……「鬼姫」ほどじゃあなかったけど、な。あぁ、はは、そうか。あの人外じみた怪物を知ったことが、今回の最大の勝因、かもな」
鬼姫…………。生まれながらに人の領分を逸脱してしまった怪物。そうか。彼も出会っていたのか、あの子に。
「今日俺が勝てたのは多分、たまたまだ。もう一度やればあるいは結果は逆になるかもしれない。でも、残念ながらもう次はない。なにか言い残すことは?」
「……私のこと、愛してる?」
「っ、…………もちろんだ」
彼の右手が、私の核だけをそっと優しく掴んだ。
「お前の心は常に俺とともに在る。それは、確かに約束する」
私の中から、彼の手と魔力の源たる核が引き抜かれる。
足下から徐々に感覚が失われていき、魔力によって留めていた、人の形が崩壊を始める。魔法遣いの終焉。
どうしてこうなってしまったのか。
どこでなにを間違えてしまったのか。
私が彼の弟を殺さなければ、彼が復讐なんて考えなければ、私と彼が出会っていなければ、彼を愛さなければ、こんなことにはならなかったんだろうか。
分からない。
分からない。
分からない。
でももういい。
彼は私を愛していると言ってくれた。それで充分だ。
だからもういい。
これで私は、心置きなく彼を殺せる。
私の体が完全に崩壊したのを確認して、彼は右手に掴んだ物を見やる。
「…………? なん、だ、これは」
膨大な魔力を内包する核を、その魔力を外部から抑制していた人型の結界から解放する。それがなにを意味するのか。答えは簡潔にして明瞭。
彼は、自らの手で爆弾を起動させたということ。
核から、ずるりと触手状の魔力が伸びて、彼の右腕を一気に侵蝕し始める。
「あぐ、ぁ、あああああああああっ!」
大気を割らんばかりの絶叫。
だけど彼も一級の魔法遣い。想像を絶するだろう痛みの中で、冷静さを失わず右腕に魔力を集中して侵蝕を食い止める。
否、「私」が止めてあげた。
「い、ぎ……ぃ、なん、なんだこれは。あいつ、一体なに、を…………っ!?」
彼が勢い顔を上げる。眼前に向かい立つ私に気付く。汗が浮き、痛みに歪む顔で怪訝に私を睨みつける。
「はじめまして、と言った方がいい?」
「…………赤い、髪? 赤い髪? お、おま、お前まさか、百貌、か?」
あぁ、私のこと、ちゃんと知ってるんだ。
赤髪の魔法遣いのことを、知ってるんだ。
「どうして百貌がここに。まさかとは思うが、俺と戦いにでも来たのか?」
私は首を横に振る。
「最後に、あなたに本当の私を知っておいてほしくて」
「……? 何を言って」
「ねぇ、私が作ったおもちゃ……抱き心地はどうだった?」
一寸、彼の表情から感情が抜ける。
そしてすぐにその言葉の意味を理解して、声にならない咆哮を上げ、残された左の拳を振りかぶった。
そこに込められるのは怒り。
なにに対する怒り? あなたを手の平で躍らせた私への怒り? それを見抜けなかった自分への怒り?
なんだっていい。どうだっていい。
だってその怒りは、決して私には届かないのだから。
たった一層の結界に阻まれて。
勝てないと思ったら迷わずに逃げろと最初に言ってあげたのに。私のことを、「百貌」の名を知っていてなお挑み掛かってくるなんて。
本当に。
「馬鹿な男」
創造主たる私の意志に呼応して、核が侵蝕を再開。
彼の魔力など、私の魔力の前には塵芥も同然。
核は、侵蝕に抗おうとする彼の肉体を聞くに耐えない絶叫とともにたやすく飲み込み、裏返し、絞り上げ、やがて鮮やかな赤い水晶へと形を変える。
先に殺した男よりも一回り大きな、手の平大の水晶。ずしりと手に沈み込むそれは、彼の命の重み。
もはや私にとってはなんの価値もないけれど、大丈夫。あなたがこれまで積み重ねてきた時間は決して無駄にはしないから。
……そうだ。あなたに言い忘れていたことがあった。
あなたが言っていた人外じみた怪物、「鬼姫」。あの子に戦い方を教えたのはこの私。あの子には無類の才能がある。きっと十年もすれば私も本気にならないと相手を出来なくなるでしょうね。
あっという間に強くなっていくあの子を見ているのはとても楽しい。
あるいはあなたと過ごした時間よりも。
「それじゃ、さようなら」
私が愛した、この世でただ一人のあなた。
◇
「はい確かに。ごくろうさん」
制裁執行の証にもなる二つの水晶を仕舞い込んで、目の前の少女はコーヒーを飲む。
金髪に焼けた肌。幼さの残る顔には不似合いな濃い化粧。じゃらじゃらと邪魔くさいアクセサリーに、ほとんど衣服として意味を為していないミニスカート。
いつの時代のギャルだ。
「師父の趣味が本当に分からない。あの人はどこへ行こうとしてるの?」
「ウチに言われてもなぁ。生まれた時からこんなんやし。まあ、生まれたん今日やけど」
しかも怪しげな関西弁と来た。もう考えるのは止めよう。
「ま、ええやんええやん。どうせこれを協会に届けたらウチの役目も終わりやし。それよりな? これまだ正式決定ちゃうらしいねんけど、師父が言うには今度の会議でアンタの昇格が認定されるらしいで。これで晴れて中級第一位や。まあ実力実績考えたら遅すぎなくらいやけどなー」
「位階なんてどうでもいいのに。二位だろうが一位だろうが私の務めが変わるわけじゃないもの」
位階に価値がないとは言わないけど、わたしには不要のものだ。
「ところで、元カレ君に壊された人形どうするつもりなん? 新しく作る?」
「そうなるでしょうね。担当区域に穴を空けるわけにはいかないもの」
「けど考えてみたらアンタの人形壊されたん、初めてやんなぁ。元カレ君やるやん。アホやけど」
「そうね。もう顔も忘れかけてるけど」
「ははは、ひどいなぁ。うんうん、でもそれがアンタらしいてええわ。それでこそ百貌や」
「ところで最近、あの子どうしてる? 鬼姫」
「あぁ、相変わらずあっちゃこっちゃで暴れとるみたいやね。なんやむっちゃ強なってるみたいやで」
「そう。なら、次に会うのが楽しみね」
「ホンマ武闘派っちゅうんも難儀な生き物やね。ほなコーヒーも飲んだし、そろそろ行くわ」
「ええ、お疲れ様。師父によろしくね」
「はいはい。ほなね~」
玄関から出て行く師父の使い魔を見送って、窓の外を見る。
彼が生きた証は使い魔が持ち去った。私の元にはもうなにも残っていない。彼が住んでいた部屋ももう協会が処分していることだろう。それは私が関与することじゃない。
かつて彼であった水晶は今後の魔道の発展のために協会が資料として保存することになる。許可さえ貰えば誰でも閲覧可能だけど、私が彼に触れることはもうない。
いなくなった者に興味はない。
なくなった物に関心はない。
だから彼を殺したくなかったのだ。こうなってしまうことが分かっていたから、ちゃんと彼を繋ぎ止めておきたかった。
まあ、彼のことはもういい。どうせ明日にでもなれば顔も思い出せなくなる。
カップに残った冷めたコーヒーを飲み干して、ソファにもたれかかって目を閉じる。
瞼の裏に浮かんだのは、ただの暗闇だった。
終