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神暦870年1月3日 午後10時40分(共和国標準時)
ロリータ共和国 首都ヨージオ 共和国軍務省 本庁舎A棟第3小会議室
共和国空軍大佐、エイリスフール・ナダムは部屋に入ったとたん一瞬立ちすくむ。その部屋には赤々と照明がともされ、圧倒されたのだ。年初めのこの時期、ここ共和国軍務省でも多くの職員や軍人たちが長期休暇に入っており、人の姿はまばら。それに合わせて軍務省本庁舎全体の照明が普段より七割がた落とされているのだ。先ほどまでの薄暗い廊下を通ってきたナダムにとって、この部屋の煌々とした証明は不意打ちとなったのだった。
しかし、ナダムが立ちすくんだ時間は一瞬。すぐに平静を取り戻すと、何食わぬ顔で歩を進め、会議室へと足を踏み入れる。
ナダム大佐がこの会議室に入るのはこれが初めてだ。だが、自分の席を間違えることはない。会議室の中央に置かれたオーク材製の丸テーブル、その周囲にある10の座席にはネームプレートが置かれており、各人の名前と役職が記載されていたからだ。ざっと出席予定者たちの名前を確認。出席者の大半は名前も知らない。
だが、ひらひらと手を振る人物が一人。こっちだとでもいうように招きしている。その人物の横には、なるほど確かに、彼の名前入りネームプレートが置かれていた。
「エイリス、君も呼ばれたのか?」
そう言って、手招きした人物が声を掛ける。彼はミドリス・リ・ドウテー。筋肉質な肉体の上には愛嬌のある顔。輝くような金髪を角刈りにしている姿はハンサムと呼べなくもない。
そんなドウテーは共和国海軍の大佐。士官学校ではナダムと同期だった。一昨年まで最新鋭巡洋艦〈ロメロ〉の副長を務めていた彼は、陸によばれるとともに昇進。現在では海軍戦術研究所の第一部長に納まっている。
海軍戦術研究所はこの首都にある海軍本部に併設されており、ナダム大佐の所属する首都防空司令部とは2ブロックほど離れているだけ。徒歩でも数分とかからずに行き来できるのをいいことに、この二人の青年士官は士官学校以来の旧交を温めるべく、業務終了後には賭け事に興じていた。
「まあ、そんなところだ」
ナダムは軽く肩をすくめながら、生返事をする。正直な話、今回の会議はいささか億劫だった。ロリータ共和国では国教であるロリータ教の教えにのっとり、年末年始の10日間を無労働日――ようするに休日――に定めている。それなのに、わざわざ職場に顔を出さなければならないとは。
彼の予定では、今頃は去年結婚したばかりの新妻と睦時を過ごしている筈だったのだ。
むろん、ナダムは共和国軍人。緊急の要件であれば応じるのに嫌も何もあったモノではない。
しかし、ナダムの見る限り、この会議は緊急性を有していない。この会議に出席している高級軍人はわずかに三人で、そのうえ会議の参加者のなかには学者先生――それも文化史の――も含まれていたからだ。もしも何らかの緊急事態が発生し、対応会議を開催するのであれば、この顔ぶれが説明できない。
おそらくは、おえらいさんの誰かが、思い付きで会議を招集したのだろう。迷惑なはなしだ。ナダム大佐はそう決めつけていた。
「長期休暇中に呼び出しをくらうとは、お互い運がないようだな」
ドウテーの指摘。
「そのようだ」
ナダムが応じる。
「それにしても……なんで呼ばれたんだ? 会議の主題は?」
この質問に友人は肩をすくめる。
「さてな」
どうやらドウテー大佐も知らないらしい。そのことに、ナダムは落胆する。
「ただ、ニホンに関することだとは聞いたぞ」
「ニホン?」
友人の答えに、ナダムは訝る。ニホンなどというものは聞いたことがない。何かの新兵器だろうか? そう考えてすぐに打ち消す。基本的に、新兵器というのは神話や伝承を元に名付けられる。共和国軍は、国民に開かれた軍を自称しており、国民になじみのないマイナー神から名前を取ることは殆どない。
では何かの地名か? そんな地域があっただろうか? あるいは植民地の都市の名前か? 外国の地名?
「おいおい」
首を捻るナダムを見て、ドウテーが呆れた調子で声を出す。
「ニホンだよ、ニホン。ほら、モンゴール植民地の」
そう言われて、ピンときた。
「ああ、あの二ホンか」
ニホン。それは去年の夏ごろに接触を持った国だ。接触の経過は良好とはいいがたい。
接触当初、ニホン側の主張は、豊富な埋蔵油田を誇るモンゴール植民地から石油を購入したい、できれば食料や鉱物資源なども、というものだった。
接触からしばらくは、何の問題もなかった。大量の食糧、鉄鉱石、原油を購入してくれるお得意さん。異星転移以降の経済の混乱もあって、経済界は狂喜乱舞していた。
しかしながら、交流が進むうち、問題が生じた。モンゴールでの奴隷制度について、ニホン側が難癖をつけてきたのだ。
訳の分からない奇妙な風来をしたニホン人の一団が、漁船団で押し寄せてきたのだった。彼らは、モンゴール植民地周辺海域を遊弋。船の上で『ロリータ・ゴー・ホーム』とか『差別主義者を殺せ』などと書いたプラカードを掲げて、デモ活動を始めたのだ。
ドレイノジンケン云々というのは侵略戦争のための口実である。そういった懸念から、一時的に植民地軍が警戒態勢を取ったので、かすかに記憶に残っていた。
しかし、二ホンにはまともな軍が存在しないという情報部の分析結果をうけて、警戒態勢は解除。現在では平常体制に戻っているはずだ。
ジンケンモンダイ、とやらへの難癖は今でも続いているようだが、現地植民地政府は相手にしない方針を取っている。ニホンには軍が存在しないし、デモをやっているニホン人も武器を所持しているという訳でもない。問題には発展していなかったはずだ。
「しかし……ニホンがどうしたんだ? ニホンは軍など存在しない軟弱な国家だそうじゃないか? 俺たちに何の関係がある?」
「おいおい。われらが情報部はヒツジの餌係だってまともにできないんだぜ? きっとまた、へまをやらかしてるんだ。そうに違いないね」
友人の指摘に、ナダムは顔をしかめる。冗談にしてはセンスがない、というよりも十中八九本気だろう。ナダムは内心で嘆息をつく。
ドウテー大佐は二年ほど前、マクマホース植民地でたいへん結構な教訓を得たのだ。情報部の愉快な同僚たちのずさんな仕事によって、ドウテーの指揮する駆逐艦はワイバーンの群れと遭遇。現地にはこれといった危険な存在はいないという報告をもとに警戒態勢を取っていなかった駆逐艦〈ロスクール〉は、ワイバーンたちの放つ魔力弾により中破に近い損害を被ることになったのだ。
「大勢の部下を失った君の気持ちも分かるがね。ミスは誰にでもあるものだ」
ナダムはそう友人をなだめる。
それに、あの頃は転移から一年程度しかたっておらず、原生生物の生態等についても手探りの状態が続いていた。というか、三年経った今でも未発見の生物群が確認されることはままあるのだ。情報部の失態のせいばかりにするのは少々酷ではあった。
実際、その後の調査で判明したところによると、ワイバーンにはワタリの習性がある。しかも、その距離は実に1万キロ以上。春先に南モン大陸からはるばる移動してきて、産卵。子供を育てた後に、秋ごろ南モン大陸へと戻っていくのだ。情報部がワイバーンの存在を把握できなかったのも無理はない。
「ふうむ。殺人と窃盗はどちらも犯罪だが、だからといって同一視されては……」
友人の台詞は途中で中断された。扉が開き、数人の男達が入室してきたからだ。
ナダムとドウテーは椅子から立ち上がると、直立不動でさっと敬礼を送る。他の出席者の多くは非軍人だが、彼らも席から立ちあがって入室者へと敬意を示す。
男たちの先頭を歩く人物。それは、軍務省次官ナーバ・ボナペルル元帥だ。ナダムたちの休暇を取りやめにし、この会議を招集した元凶だ。若かったころにはハンサムで通っていたらしいのだが、今では見る影もない。脂肪の塊を腹から突き出しており、一歩あゆみを進めるたびに脂肪のかたまりが揺れ動いているのが分かる。顔色も、心なしか青白い。
本人のせいではない。昇進しすぎてしまったせいだ。ナダム大佐は、元帥に同情した。出世すると付き合いの飲み事が増えるのは世の常。ボナペルル元帥は連日のように政経軍関係者との宴会に追われ、いつも朝帰りなのだ。俺もそのうちああなってしまうのだろうか? そんな恐怖がナダムの頭をかすめる中、元帥はおっくうそうに答礼し、自席へと向かう。
「紳士淑女の皆さま、どうかご着席を。立ったまま会議を進行するのでは、この老いぼれの足腰が持ちませんので」
元帥の言葉。冗談だと解釈した何人かの出席者が、かすかな笑い声を上げながら着席する。全員の着席を確認した後、元帥はおもむろに着席。腰を据えた直後、彼の椅子が重量オーバーだと悲鳴を上げたことについて、紳士淑女たちは礼儀正しく無視した。
「さて、この度は用務ご多用のおり、このような会議に出席していただき幸甚に……」
元帥の挨拶から会議は始まった。
用務ご多用というか休暇中だったんだがと、ナダム大佐は皮肉な気分になったものの賢明にも口に出したりはしなかった。この種の定型句が現実の実態とかけ離れていることは、しばしばある事だ。彼は良識溢れる共和国軍大佐であって、些細なことに一々目くじらを立てるような子供ではなかった。
「それでは早速。今回の会議の主題について発表いたしたいと思います」
元帥はそう言って、後ろに控える士官たちに合図を送る。一人の大尉が資料を手に持って参加者の面々へと資料を配布していく。
ナダムは、簡単な感謝の言葉とともに資料を受け取り、目を通す。
『新たなる脅威、ニホン』
資料の表紙には、太字でそう印字されていた。
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