持論:夢と希望だけじゃ食っていけないよ?
疑問:小説なんだから好き勝手やればいいじゃん?(三回目)
キャラクターを大きく、成長型と完成型の二種類に分けるとしましょう。
成長型は未熟さを持ち、物語を通じて様々な経験を積んで成長していくタイプ。
完成型はそのような経験を物語で描かれない範囲ですでに体験して、成長しているタイプ。
世に出ている作品だと、主人公が成長型、完成型はサブキャラクターってパターンが多いかと。ただし露骨にド素人という主人公キャラよりも、最初からある程度能力値が高い、だけど成長の余地は十分にあるキャラが多いです。
成長型が多い理由は単純です。
未熟な部分のないキャラを主人公にした物語は、エタりやすいから。
腕力も知力も財力も権力も魅力も最初からMAX状態、完全無欠の完成型主人公で作品を作るとしましょう。
主人公の強さを見せつけるエピソード書いて。
主人公の賢さを見せつけるエピソード書いて。
主人公の地位を見せつけるエピソード書いて。
主人公の財力を見せ付けるエピソード書いて。
その都度関わった相手が、主人公に惚れる部分書いて。
で、終わり。
個人的には三万文字くらいまでなら、こんなキャラを主人公に書ける気がしますが、それ以上は自信ないです。しかも薄っぺらくてヤマもオチもイミもなくストーリーを終わる以外の道が見えません。
こういう言い方をすると「ひとつの出来事に対して、詳細に深く書けばいい」と言う人がいるかもしれません。
ひとつの物事を深く――たとえば、なんでもない朝の目覚めから出かけるまでを本一冊分の文章量で書こうと思えば、書けなくはない。かなりキツイですけど。
だけどそんな小説、読みたい人がいるでしょうか?
行動やその時の心情、情景を詳細に詳細に書く。目覚めた時に感じた光や鳥の声を文学的表現しつつ起き上がり、部屋の中に置かれている全ての物とそれにまつわるエピソードを思い出しつつ起き上がってトイレに行って、今日の気分と昨日着ていたものとテレビの占いのラッキーカラーを考えて服を着替えて、胃腸の調子と今日一日の消費&摂取カロリーを計算して朝飯の用意して、食器を片付けするとき洗剤の泡の流れるのを見て配水管から処理施設そして海に流れて雲になって雨になってまた地上に戻る水のリサイクルに思いを馳せるのでしょうか。
書いてる方は勉強になるかもしれませんが、読む方は『勘弁して』って気分になること確実でしょう。この主人公は何をやりたいのか、とっととストーリー進めろと。
他にも「いやいや、段階を作って、それぞれクリアするイベント起こせばいいじゃん」って言う人がいるかもしれません。
バトル系の作品がパワーインフレを起こす展開ですが、それ以前に「同じ系統の違うイベント」をいくつ作れるでしょうか? そして多くの作者さんは、作れる自信があるものでしょうか?
「料理を五種類作ってください」
人によってはそもそも料理を作れない可能性もありますが、作れる人ならこれくらいはクリアできるでしょう。
「卵料理を五種類作ってください」
こう言ったらどうでしょう? ゆで卵・卵焼き・オムレツ・目玉焼き、炒り卵と、変化の乏しさは感じながらも、なんとかクリアできるでしょうか?
「和食の卵料理を五種類作ってください」
更にこう言ったら? 「鶏肉と卵で親子丼」「豚肉と卵で他人丼」「カマボコと卵で木の葉丼」「肉使わず玉子丼」「トンカツと玉子でカツ丼」という、お茶を濁してるようにも取れるバリエーションならなんとかできます。
小説も同じです。
同じカテゴリーで違うものを作ろうとし、なおかつ飽きがこないようにするのは、なかなか大変なのです。
だから新キャラクターを追加したり、前とは全く違う舞台で行うとか、大幅なテコ入れが必要になります。同じ食材でも料理法を変えたり、新たな食材をプラスすれば、できる料理のバリエーションは増えるわけですから。
これが成長型の主人公だと、挑戦 (失敗)⇒努力⇒再挑戦 (成功)ってストーリーラインを作っただけでも、一つの大きなイベントから三種類の小さなイベントが作れ、ドラマとボリュームを増やすことができます。これもあまり続けていたら飽きられますけど。
勘違いして頂いては困るのですが。
完成型キャラがダメだ、成長型キャラにするべきだと言っているわけではないです。
キャラクター、特に主人公には人間臭い、未熟な部分があった方がいいと思うのです。世に出ている作品で、完全無欠の主人公と、欠点を持つ主人公、どちらが多いでしょうかという話です。
キャラクターには「憧れ」と「共感」の同時に必要だと思うのです。
特にラノベの場合だと、これが顕著に現れています。どこにでもいそうな学生が(共感)、ある日突然騒動――美少女がらみであったり、世界を巻き込む陰謀であったりに巻き込まれ活躍する(憧れ)というパターンが多いのは、そういう事かと。
憧れ――それも作者の憧れで、読者が持っているのは別の憧れかもしれないのです。それだけを詰め込んでも読者の共感を得る作品になるとは限りません。個人的には、むしろ賭けになる気がしてならない。