持論:人はいつだって本物を求めている
疑問:そもそも『魅力的なキャラクター』って?
『作中の誰にもに愛されるキャラクター』と勘違いしている人、います?
強ければ、才能があれば、美形であれば、金持ちであれば、なにをやっても『魅力的なキャラクター』になると思ってます?
現実にそんな人間がいれば、確かにモテる。
それは真実だから否定できません。
しかし、腕っ節が強くて才能があって美形で財力があっても、つまらない人間はいくらでもいますけど?
たとえば財力の面を見て、誰かが宝くじで高額当選したとしましょう。
当選を知った人たちは、確実にその人の周囲に集まる。親しかった者だけでなく、大して親しくなかった者、付き合いがなかった者まで集まるでしょう。
それで『モテている』と言えるのでしょうか?
集まる人の興味のほとんどはお金であって、その人に興味を持っているわけではないことは、想像だけでも理解できるでしょう。
逆に強くもなく、才能もなく、美形でもなく、貧乏だったら、魅力的な人ではないのでしょうか?
しかし番組のドキュメンタリーで紹介される『夢をかなえた人』は、こういうタイプが多いです。
無力で何度もつまづいて、しかしあきらめずに立ち上がり、それを応援する人たちが現れて、成功して財を成した人はいくらでもいます。
才能をスマートに使いこなすスタイリッシュな魅力。
一生懸命にあがく泥臭さを感じる魅力。
どちらがいいかと聞けば、多くの人は『スタイリッシュな魅力』を取るとは思います。努力せずに結果を得られるなら、誰だってそっちの方がいいに決まってますから。
だけどスタイリッシュでないと魅力的でないと思うのは、間違いです。
そしてスタイリッシュだから魅力的だと考えるのも、間違いです。
だから『魅力的な人』を、正確に定義することはできません。
頭の回転が速い人。
いつも明るく賑やかで楽しそうな人。
誠実で真摯な人。
親しみやすさと温かみを感じる人。
一般的にこれらの要素は、魅力の要素とされるでしょう。
しかしその人より頭の回転が速い人は、相手を見下すかもしれません。
いつも明るく賑やかな人は、静かな人には逆にうっとうしいのではないでしょうか?
誠実さや真摯さは、時として偽善じみて鼻につく時があります。
親しみやすさと温かみは、刺激を求める人には物足りないでしょう。
その当人と、その人を見る側によって、魅力を感じる部分は違います。
プラスがマイナスになることもある。少なくとも一言で説明できることではないだろうというのは、誰でも理解できると思います。
それでもわかりやすくタブロイド化するとすれば……自分は『自信はあるけど分をわきまえた人』だと思っています。
自分に自信のない人が、魅力的に思えるはずはありません。
かと言って自分大好きを前面に出されると引きます。
バカであっては困るけど、天才でなくても構わない。
自然体。等身大。
なにか想定外のことがあれば、人間だからワタつくことがあっても、いずれ自信を取り戻す。
完全無欠のヒーローではなく、守ってあげないとならないヒロインではなく、隣に立って気軽に肩を叩けるような、だけど尊敬の目を向けてしまうような、憧れと共感を抱ける人。
そんな人を自分は魅力的に感じます。
そこで当初の疑問『魅力的なキャラクターとは?』に戻るのですが。
小説の中で、フィクションの世界で生きているキャラクターだと、自分は思っています。
『ヒーロー』『ヒロイン』といった役割を押し付けられたような不自然さがなく、時には自分を見失うことがあっても、作品の中でキャラクターの役割を見つけ、こなすような、そんなキャラクター。
自分のつたない文章力では、上手く言葉で表現することはできませんが、よく作家が言う『勝手に動くキャラ』が『魅力的なキャラクター』だと思っています。
人はいつだって本物を求めている。
フィクションの、偽の出来事を連ねた小説の中でも、それを求めている。
作者が空想を書き連ねた中に、生きた人間の本物のドラマを見たいと思っている。
自分はそう考えていますが、どうでしょうか?