願いと代償
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「…………ここは?」
自分を包み込んでいた光が途切れ、次第に千秋は自分のいる光景を目にする。
異常なほど何の変哲もない灰や銀色のビルが所狭しと建ち並び、空は分厚い雲で覆われて心なしか、その雲はビルに支えられているような気すらする。
千秋は若干の既視感を覚えながら、低い空を見上げる。
「……ここは、初めてコードを得た者が最初に来る場所。どうせ貴女も来たことがあるでしょ?」
隣に人が居たとは思っていなかった、千秋は驚き数歩退きながら話しかけてきた人の顔を見る。
女性だった。背中まで伸びた黒髪に黒い瞳。千秋よりも歳上である女性のその顔の造形は一輝とどことなく似ている。
それどころか、千秋はその女性の顔を昔見たことがある。
それは他人と視線を共有して視たため、直接見たというわけではないが、千秋は昔にこの女性の顔を見たことがある。
「なんで……一輝のお姉ちゃんが、ここに…………?」
当然、理解できないはずである。それはたった今、一輝自身が千秋を助けるために現実を塗り替えたために存在する者だから。
千秋はまだ一輝が自分を助けようとしているその意思を知らないから。
「主催者様が、貴女を呼んでいるわ。ついて来て」
一輝の姉の言う通りにビルの間や路地を縫うように移動し、ひときわ大きなビルの前へ辿り着いた。
「それじゃ」
その場に一人残された千秋は、しばらく首が痛くなりそうなくらいに高いビルを見上げた後、その中へ入った。
ビルの中は千秋が想像した以上にシンプルで、目の前にあるエレベーター以外は何も無かった。
自然と誘導されるように、開いたエレベーターに乗った千秋は開閉のボタンのうちの閉を押し、そのまま立ち尽くした。階を指定するボタンが無かったためだ。
そのまましばらく浮上する感覚に少し酔いながら、千秋はひたすら待った。
待てばいいだけなのだから。待てば自分の願いは叶えられる。
エレベーターの扉が開くと同時に、ガラス張りのビル街を見渡せるフロアに辿り着いた。
「ようこそ勝者、《異見互換》濁川千秋」
「……どうも」
千秋の眼からして、その主催者と思わしき人物は男だった。
タキシードに身を包み、何か期待を持った目で自分を見てきている眼。
一体、こいつは自分に何を期待しているんだろう……?
そんな事を思いながら、千秋は主催者を自然と睨み付けていた。
「さっそく、君の願いを聞こうか?」
「その前に、一つ聞いていいですか?」
「いいけど?」
「本当にどんな物でも復元できるんですか?」
「もちろん」
「ちぃの物じゃなくても、ちぃが全部は知らない事でも、それでも復元することができるんですか?」
「どんなものでも元に戻せるさ。君が願えば」
両手を掲げ、自分の力を誇示するように笑う男。
千秋はどこか不気味に思いながらも、それでも願ってしまう。
「なら―――一輝の死んだ家族を蘇らせて」
「そんなのお安い御用―――――」
「それだけじゃない。一輝を本物の家族と幸せに暮らさせて」
「……あぁ、つまり簡単に言うとどういう事だ?」
「ちぃやコードを得る前から、一輝の運命を歪めて。失った……本来得るはずだった幸せを、家族と一緒に暮らして普通に毎日を過ごして、友達とかと遊んだはずの一輝の未来を戻して」
「別に構わないが……お前はいいのか? 確か濁川一輝の存在はお前の大切なものだったはず」
「別にイイよ。一輝は好きだけど、このままじゃ一輝は歪んだままだから。普通に戻れなくなっちゃうから」
「分かった。ゲームの勝者に対する褒美だ」
そう言って男は指を弾く。
そのまま場は静まり……実際に過去が変わったのかすら分からないままである。
「あぁ、すまない。実際に過去改変が起きても君の記憶は変わらないし、何も確かめる術が無かったな」
「……何か、確かめる術はないんですか?」
「君が望めば、画面だろうが立体映像だろうがなんでも用意するが?」
「お願いします」
千秋が頭を下げると、また男は指を鳴らし、ガラス張りの窓が映像を映し出す。
窓に映った映像は、一輝が学校に通い、誰かと雑談し、授業を受け、部活に励み、そして家に帰って家族と団欒を過ごすというものだった。
千秋が望んだとおり、それは一輝が普通に得るはずだったであろう未来だった。
千秋が思った通りの一輝が幸せそうな姿がそこにはあった。
「……この一輝は、ちぃの事を知らないんだよね」
「そうだ。それはお前が望んだことだろう?」
「…………」
千秋はそれには答えずに、窓を食付くように見る。
その様子を退屈に思ったのか、はたまた予定通りだったのか。
代償が起こった。
それは千秋自身には起こらない。当然だ。彼女は勝者だ。危害を加えるなんて滅相も無い。
危害が加えられるのは、その起こった奇跡……望んだ願いの方だ。
「あっ…………」
7月28日。夏休みに入ったばかりだったが家族全員で旅行に行くことになった一輝たちが乗り合わせたバスが横転、爆発。
結果、バスに乗り合わせていた乗客全員が死亡した。当然、一輝たちも。
「あぁ、不幸が起こっちまったな。これじゃお望み通りの幸せじゃない」
「……でも、人はいずれ死ぬから…………」
どこか悲しそうに言う千秋。
男からしてみれば、何を言っているんだこの女、というものである。
まだまだ悲劇は始まったばかりだというのに。もっと平然としていなければすぐに壊れてしまう。
「駄目だ。生き返らせよう」
ビデオの逆再生のようにシーンが巻き戻り、また再生を始めた。
そして8月15日。帰省していた一家は、その帰路の途中、交通事故に遭い家族全員が死亡。
「駄目だ。生き返らせよう」
ビデオの逆再生のようにシーンが巻き戻り、また再生を始めた。
そして10月31日。突如起こった大地震で一輝たちが住んでいた地域の家屋のほとんどが崩壊。
一輝やその家族は瓦礫に挟まれ、そのまま餓死。
「駄目だ。生き返らせよう」
ビデオの逆再生のようにシーンが巻き戻り、また再生を始めた。
そして12月24日。強盗が一輝の住んでいる家に侵入。家族全員を殺害し、金品などを奪い去った。
「駄目だ。生き返らせ――――」
「もう止めてっ!」
しかし千秋の想いとは裏腹に、ビデオの逆再生のようにシーンが巻き戻り、また再生を始めた。
「……どうして、こんなに一輝の人生を邪魔するの?」
流れていく一輝のまともな人生と、その終結の映像から目を逸らし、千秋は男を睨み付ける。
「コードの性質上、仕方が無い事なんだ。願いを叶える代わりに悲劇を欲するこのコードにとっては」
「だったら、ちぃを何度も殺すなりすればいいじゃない!」
「悲劇って言っても、願った者が一番嫌なもの、嫌な光景を作り出す事だからな。胸に手を当ててよく考えてみろ? お前が一番嫌なのは、自分が死ぬことか? それとも濁川一輝が死ぬことか?」
「…………それって……」
「大丈夫。安心しろ。願いはちゃんと叶えるコードだ。幾ら死のうとも、何度傷を負うとも、濁川一輝の天命まではちゃんとやり直して幸せにするから」
結果的に、それは良い事なのだろうか?
数か月単位で一輝は死んでしまっている。それを回避する方法はない。それは千秋が願ってしまったから。
そしてその度に、その死を無かったことにしてやり直している。
別に死ぬときの苦しみの記憶をやり直しと共に受け継いでいるわけではない。いや、今は受け継いでいないだけでコードがその悲劇を必要と判断すれば、受け継がれてしまうのだろう。
偽りであれ、死を何度味わうにしろ一輝は幸せな人生を過ごし死ぬ。
それは結果的には、良い事なんだろうか?
「ちなみに、お前はそれの結果を見る事を願ったから濁川一輝の生涯がしっかり終わるまで見続けてもらうぜ。死に様を。まあ安心しろ、老ける事はないしお前の精神が壊れたとしてもちゃんと見続けてもらうから」
一輝の寿命まで、一輝の死を見続ける。
一輝の苦しむ様を見続ける。
大切なもの……大切な人が苦しみながら死ぬざまを見続ける。
考えるだけで嫌だった。
そしてきっと、一輝はそんな千秋を助けにこれない。何故なら千秋とまず逢ってすらいないのだから。
そういう風に変えてしまったのだから。
きっと一人で壊れていき、壊れきったところで救いはそこにはない。
泣き言を言うにも、誰かに心の中で助けを求めようにも……それはもう届かない。
一輝がいなければ、千秋は鋼凪や虎杖と会う事もない。
その二人以外にコードと強い関わりを持っているのは養父である濁川是無だけだ。
その濁川是無は、そこに強い興味がなければ助けに来ない。
もう永遠に一人っきり。
「ごめん……ごめん…………助けて、一輝……」
それでも自分が知っている中で、外道だが下衆だが悪魔だが最低だが自分の傍にいる最強のコード使用者の名前を呼ぶ。
無駄だと知ってても。寂しいから。せめて言葉にするくらいは許されると思っていたから。
「 い や だっ!」
だが、それを許さないのが千秋が知っている最強のコード使用者だ。
何故なら彼は、外道で下衆で悪魔で最低で手段を選ばず私利私欲に動き自分の利益を常に考えているようなクズだから。
読みにくいですよね。えぇ、自分でも読みにくいと思ってます。
でも何か今、精神異常発生中なのでしばらくは我慢してください。