運のいい男 :約4500文字 :SF :発明系
「皆さん、本日はよくお越しくださいました。さて、堅苦しい挨拶は抜きにして、さっそく私の発明品をご覧に入れましょう」
壇上に立つ博士は穏やかな笑みを浮かべながらそう言うと、ゆっくりと振り返り、背後に手を向けた。そこには紺色の厚い布に覆われた物体が鎮座していた。大きさはおよそ冷蔵庫ほど。しかし布越しに浮かび上がる輪郭だけでは何なのか見当がつかず、会場には期待と訝しさが入り混じった囁き声が静かに広がった。
博士が手でくいっ、くいっと合図すると、袖に控えていた白いツナギ姿の短髪の青年が歩み寄り、布の端を掴んで一気に引き剥がした。現れたのは何かの装置らしい。中央に鈍い光沢を放つ金属製の球体が据えられ、その周囲を惑星儀を思わせる複数の環が取り囲んでいた。精密機器のようにも見えれば、天体の観測装置のようにも見えた。
「こちらは私が開発した人間の運を測定する装置です」
その一言に、会場に招かれた資産家や記者たちから一斉にざわめきが広がった。前方に陣取ったカメラマンたちは競うようにシャッターを切り、その装置と誇らしげに胸を張る博士の姿を捉えていた。
「信じられないかもしれませんが、人間にはそれぞれ『幸運力』とでも呼ぶべき性質が備わっております。皆さんも思い当たる節があるのではないでしょうか? 運というものは天から偶然降ってくるもののように思われがちですが、実は人間の内側から磁力のように発せられ、良い出来事や望ましい結果を引き寄せる、れっきとした力なのです」
博士は壇上をゆっくり歩きながら語り、青年の隣に立った。その立ち振る舞いは大学で講義をする学者のようであり、同時にどこか舞台役者みたく芝居がかってもいた。
「こちらの青年は私が長年の研究の末に見つけ出し、さらに調整を施した『運の良い』青年です。ま、それはこうして今、この場に立っていることからわざわざ証明するまでもないでしょう」
博士が肩をすくめて笑ってみせると、会場内にもつられるように小さな笑いが起きた。
「人の運が測れるからといって、それがいったい何になるんだ。そうお思いになった方もいらっしゃるでしょう。ですが、もし運を良くする方法があるとしたらどうでしょうか。日々の食事や服装、あるいは髪型をほんの少し変えるだけで運勢を大きく改善できるとしたら? ははは、まあ、今日ここにお集まりの皆さんは朝のテレビの占いコーナーなどご覧にならないかもしれませんが」
博士が軽く手を叩くと、客席のあちこちから再び笑い声が上がった。
「もちろん、赤いスカーフを首に巻いたところで劇的に運が良くなるなんてことはありません。しかし数々の実験と検証を重ねた結果、私はついに幸運力を高めることに成功したのです。その紛れもない成果こそが、この青年というわけです」
博士は青年の肩に手を置き、軽く揉んだ。その瞬間、無数のフラッシュが一斉に焚かれ、まばゆい光が壇上を包み込んだ。
当の青年は無表情のまま立っていた。緊張しているのか、青白いその顔は生気がほとんど感じられず、とても運に恵まれた人物には見えなかった。
「それでは、さっそく実証をご覧に入れましょう」
博士はそう言ってポケットに手を入れると、おもむろに何かを取り出した――その瞬間、会場全体が大きくどよめいた。
拳銃だった。
照明の明かりを受け、鈍い光を返す黒いリボルバーを指先で摘み上げ、博士はまるでマジシャンがトランプを見せるかのように、それを客席に向けて掲げてみせた。
「こちらは六連発のリボルバーです。それを一、二、三……はい。このように弾をすべて抜き取り、一発だけ残します。それを……」
博士はシリンダーを開け、弾丸を一発ずつ取り出しては手のひらに移していった。そして五発の弾丸をポケットにしまうと、拳銃と残った一発の弾丸を青年に手渡した。
青年は何のためらいも見せることなく弾丸を装填し、シリンダーを回転させた。ジャララと金属が擦れ合い、その音が静まり返った会場内に鋭く響き渡った。誰もがこれから何が行われようとしているのかを、すでに察していたからだ。
そして、そのとおりになった。青年は静かに拳銃を持ち上げ、自分のこめかみに銃口を押し当てた。
「ああ、ご安心ください。拳銃も弾も本物です。種も仕掛けも一切ございません」
今度は誰も笑わなかった。会場は水を打ったように静まり返り、先ほどまで聞こえていた囁き声さえ消え失せていた。
博士はそんな張り詰めた空気をまるで意に介さず、ゆっくりと片手を高く掲げた。
カチッ――。それが合図だと気づいたのは青年が引き金を引き、撃鉄が落ちたあとだった。
一斉に息を呑む気配が波紋のように会場全体へと広がった。誰かが短い悲鳴を上げ、また別の誰かが椅子を引く音がした。驚きのあまり、椅子から転げ落ちそうになったのかもしれない。
カチッ、カチッ、カチッ――青年は顔色一つ変えずに立て続けに引き金を引いた。まるで寝ぼけているかのように淡々とした所作で、あるいは寝ぼけているのはこちら側なのか。観客の誰もが目の前の光景を信じられず、ただ固唾を呑んで見守ることしかできなかった。
ただ一人、博士だけを除いては。
「これで五発。ご覧のとおり、彼は見事に死を回避しました!」
博士が両手を大きく振り上げた。しばしの間のあと、最初はためらいがちにぽつぽつと、やがて大きな拍手が巻き起こり、会場全体を包み込んだ。ただ、それは心からの称賛というより、目の前で起きた出来事をどう受け止めればいいのか分からず、とりあえず拍手するしかないという困惑が滲んでいた。中には、やけ気味に手を叩いている者もいた。
博士は満足げな笑みを浮かべ、青年から拳銃を受け取った。拍手が少しずつ収まるにつれて、客席のあちこちから「空砲だったんじゃないか」「何かトリックがあるに決まっている」といった囁きが漏れ始めた。それは疑念というより、むしろそうであってほしいという祈りに近い響きを帯びていた。
「誓って申し上げますが、この拳銃には何一つ細工を施しておりません。彼は自らの手で弾丸を装填し、シリンダーを回転させました。その時点で、彼は己の持つ『幸運力』によって死を回避したのです。それでもなお疑いを拭えないとおっしゃるのでしたら……」
博士は胸を張り、淀みなく言った。そして自信に満ちた笑みを浮かべたまま、客席をゆっくりと見渡した。
「どなたかお調べになりますか? そのうえで、そのままご自身でお試しになりますかな。なんて、はははは!」
博士は愉快そうに笑ったが、それに応じる観客たちの笑い声はどこか引きつっていた。
「さて、ご出資いただければこの装置の精度をさらに向上させ、より確実に運を高める方法を研究することができます。もちろん、ご出資くださった方には特別に実験の経過を優先的にご報告――ん?」
博士は不意に言葉を切ると、装置に歩み寄り、中央の球体を覗き込んだ。
「……これは驚いた。なんと、この会場には彼を上回る幸運の持ち主がいます!」
博士は弾かれたように振り返り、声を張り上げた。会場は再び大きなざわめきに包まれ、観客は互いに顔を見交わした。
「それは……そこのあなたです」
博士が前に進み出て、客席の一角――こちらに向かってまっすぐ手を差し出した。
「あなたですよ」
……僕?
「そう、あなたです。しかもとんでもない数値だ。さあさあ、こちらへどうぞ!」
僕が思わず自分を指さすと、博士はにっこりと笑い、何度も手招きした。
椅子から立ち上がった瞬間、拍手が沸き起こった。励ましているのか、それともただ単に面白がっているだけなのか、僕には判断がつかなかった。壇上に向かって歩く間、ちらちらと周囲に視線を走らせると誰も彼もが笑みを浮かべていた。中には涙を浮かべている者もいた。すっかり博士を――いや、『幸運力』というものを信奉しているのかもしれない。
熱を帯びた拍手に押されるように、僕は背を丸めて壇上脇の階段を上がった。
「あ、あの……」
「さあ、こっちへ。そうそう、ああ、もっと堂々と胸を張って立って。君は運がいいんだからね!」
博士は僕の肩に馴れ馴れしく手を回し、ぐいと引き寄せると報道陣に向かって満面の笑みを見せつけた。フラッシュが次々と焚かれ、そのたびに視界が白く染まった。僕は反射的に目を細めた。
「笑って」と博士が耳元で囁いた。僕は膝が折れそうになるのを必死に堪えながら口角を無理やり引き上げた。まさか自分が注目を浴びる側に立つとは――そう思うと、妙なおかしさが込み上げてきた。
やがて博士は僕の手を取った。そして――手のひらに拳銃と一発の弾丸を載せた。
「さあ、先ほど彼がやったように」
「いや、え? あの……」
「……君は記者なんだろう?」
博士は顔をぐっと近づけ、耳元で低く囁いた。
「協力してくれれば、今後の取材は君の会社を優先しよう。それから、君にはこの先の実験にもぜひ参加してもらいたい。もちろん謝礼はたんまりと弾む。君自身にとっても、これ以上ないほど価値のある記事を書ける、またとない機会だと思うがね」
博士はそう言うと、僕の背中をぽんぽんと二度軽く叩いた。それから観客に向かって何かを呼びかけると、会場の熱気は一段と高まった。
歓声と拍手が一斉に押し寄せたが、それは分厚い窓越しのようにくぐもって聞こえた。自分の心臓の鼓動だけが、いやに大きく響いている。手のひらに視線を落とすと、拳銃のずっしりした重みを感じた。
……でも、これは確かに大きなチャンスかもしれない。実験に参加したというだけでも十分な記事になる。逆にここで尻込みすれば、上司から大目玉を食らうのは火を見るよりも明らかだ。どの取材現場に行っても、他社の記者たちに『あ、逃げたやつだ』『あの臆病者か』と陰でさんざん笑われることにもなるだろう。何より、ここで引けばこの先二度と博士の記事を書くことはできなくなる――博士の発明を信じるにせよ、疑うにせよ。
……一回だ。一回だけ引き金を引こう。度胸を示すにはそれで十分だろう。なに、確率にすれば六分の一だ。それに、ははは。どうせ空砲に決まっている。
僕は震える指で弾丸を装填し、シリンダーを勢いよく回した。おもちゃのゼンマイを巻くような金属音が場内に大きく響いた。いつの間にか観客は静まり返っていた。
僕は大きく息を吸い込み、銃口をこめかみに押し当てた。硬質な金属が皮膚に触れた瞬間、背筋がぞくりとした。
大丈夫だ、大丈夫。仮に博士の発明が本物だとすれば、僕はあの青年以上の幸運の持ち主ということになる。でも悪い予感はまるでしない。むしろうまくいく気がする。
ちらりと博士のほうへ視線をやると、博士は落ち着いた様子でゆっくりと頷いた。僕は小さく頷き、観客に向けて精一杯の笑みを浮かべ、もう一度大きく息を吸い込んだ。
カチリ――引き金を引いた。
その直後、凄まじい轟音が鳴り響いた。
……次の瞬間、僕はなぜか天井を見上げていた。
体がまったく動かない。さっき響いた凄まじい音がまだ頭の中で反響しており、周囲の音をくぐもらせている。ただ、悲鳴悲鳴悲鳴。悲鳴と勢いよく椅子を倒す音がしていることだけはかろうじてわかった。
いったい何が起きたのか――必死に理解しようとしても、耳だけでなく頭の中に薄い膜が張ったように思考がうまく繋がらない。
「おかしいな……なぜこんなことになった」
博士が僕のすぐ横にしゃがみ込み、顔を覗き込んだ。
「……ああ」
博士は顔を上げて、何か気づいたように頷いた。
「やはり君は運がいい。確かに、今ここで死ねたほうが幸せだったのかもしれんな」
ぼやけていく視界の端にあの青年の姿が映り込んだ。彼は相変わらず無表情のまま僕を見下ろしていた。




