第三話 神の力
地球を元に戻してから、既におよそ2000年が経過した。
大きなモニターの前に座って、地球にある卵の様子を確認している。
「どうぞ」最近、ミカエルはコーヒーを用意してくれるようになった。
真面目に仕事をしているとご褒美があるものらしい。
ご褒美のコーヒーはとても上品でおいしかった。
一口飲んで、ふっと一息つく。
そろそろメルトドラゴンが孵化する時間だ。
ミカエルも大きなモニターの前に座って、一緒になってモニターを見始めた。
――
地中深く、静寂に包まれた広大な空洞。
ところどころ、マグマが赤く光り、闇をそっと照らしている。
空洞の中央付近に、ぽつんと置かれた卵。直径はおよそ50センチ。
卵からは根のようなものが伸び、地面にしっかりと絡みついている。
――
「……あれ、人はいないみたいですね。今回は何もしなかったんですか?」
「あっ。えっと……そんなことないわ。地表を見てみて」
ミカエルは素早くモニターを切り替えて地表を確認した。
通常であれば、陸では風に揺れる草木、海では波の動きが見える。
しかし、映し出された地表は一面、白銀の氷に覆われていた。
「えっ……もしかして…星がまるごと凍ってる?……」
「ええ。人はこの現象を全球凍結って呼ぶらしいわね。
地球を傾けたら、この現象が起きたの」
私は、少しだけ得意な顔で、自分のモニターを大きいモニターの横に置いて、約2000年前の地球の映像を映し出した。
ただの青くて美しい地球が映っている。
ミカエルは「いつもの星ですが何か?」ときょとんとしている。
しばらくすると、不思議なピンク色の光に包まれた。
光が消えると地球の向きが少し変わっていた。
「神の力ってこんなこともできるんですね」ミカエルはつぶやいた。
そう、ミカエルの言葉の通り、私は神の力を地球に対して行使した。
「地球自体への力――時間操作や天災、天変地異――そういうのは神様の得意分野よ」
自信満々に言い放った。ミカエルは初めて感心した顔を見せた。
「さすが、全知全能の神様。そんなこともできるのですね。
でも、星の向きを変えると何か変わるんですか?」
ミカエルの言葉に、私は映像を早送りにした。
元の北極や南極にあった氷が縮小し始めると同時に、全体的に雪景色が増えていく。
「あー、なるほど。氷は寒さを蓄えていますからね。それが一斉に溶け始めた…。
それが星全体を冷やし、さらに、太陽光も反射することになってしまったんですね。
それで、星が冷えてしまった。こうなると増えた氷がさらに太陽光を反射して悪循環ですね」
ミカエルの言葉に私は黙って頷いた。
私は、結果を知っているだけで、なぜ地球が凍るかなんてよくわからない。
けれど、頭のいいミカエルが言うのだからきっとそうなのだろう。
しばらくすると地球全体が凍ってしまった。全球凍結だ。
「この通り。地球の傾きを変えると、大幅に気候に影響があるの」
「でも、地球を暖めたり、冷やしたりしてみたんだけれど、地下深くの卵には効果はなさそうね。
さすが、宇宙をさまようドラゴンの卵ってところね……」私は、卵の様子に切り替えてつぶやいた。
卵からは、いつも通りの生命活動が感じられる。
「ただ、その代わりに地球の気候を安定させる方法はみつけたわ」
「えっ、そんなこともできるんですか?」
「ちょっと見てて」
その後も、地球の向きをさまざまに変えた時の映像が映し出された。
そして、ある時、夏でも冬でも暑すぎず寒すぎず、多くの生命体が繁栄し始めた。
地球の生命体にとってちょうどいいバランスのようだ。
「詳しくはわからないけれど、地軸が通る地帯――人の言葉では北極や南極ね――その片方を海に、もう片方を大陸にすると、気候が安定するみたいね。
その後もいろいろ実験してみて、今の地球は、たしか両方とも海となるように地軸を調整していたはずよ」
「海と陸で光の反射率や熱の蓄え方とかが違うはずだから…。えっと、もしかすると…。
地軸の片方だけ大陸があることが、この星にとって、もっともバランスがいいってことなんですかね…?」
ミカエルが難しい話を言っているが、私は、多分そうなんじゃないと、あいまいに頷くことしかできなかった。
いろいろ試してみて、ようやくこの方法にたどり着いただけだ。私には細かい理屈はわからない。
「なるほど……。その方法を使えば気候が安定する。
そして、気候が安定するってことは、文明も順調に育つってことですね!」
「そう!それが狙い!」
さすが、ミカエル。とても優秀。
お使いの天使というのは、神様の職業の一つであって、神様と能力的にはほとんど変わらない。
星を持たず、星に対して大きな影響を与えられていないだけで、日常的な力は神様と同等だ。
そしてミカエルは、事実からの考察が早く、おそらく神様の中でも地頭が抜群に良い。
説明が一旦終わると、再び卵の映像に切り替えた。
地上は極寒の氷だというのに、卵の中は少しずつ成長しているみたいだ。
「これぐらいの寒さでは、卵には効果ないよね……」私はそっとつぶやいた。
卵に効果はなく、おそらく無駄だろうと思ってはいる……。
それでも、つい何らかの奇跡を期待してしまう自分がいる…。
――
やがて、卵の表面に細かなひびが入り、殻が静かに割れはじめる。
中から現れたのは、小さなドラゴン。
その幼い姿にはどこか愛らしさがあり、目はまだ閉じられている。
体を伸ばしたり、ねじったり、ぎこちなく動かしている。
やがて動きが落ち着き、そっと目を開く。紅い瞳が、微かに光る。
目に映るものには興味がない様子で、かわいらしく欠伸をひとつ。
姿勢を正し背筋を伸ばすと、体全体が淡く光を放ち始める。
そして――次の瞬間、地球は消滅した。
――
「うん。やっぱりこの方法だけでは卵には効果はないわね…」
胸の前で祈るように組んでいた手をほどき、私は一言だけつぶやいた。
でも、私は今回、新しく地軸の調整を思いついた。
この方法を使えば、次の地球では、もっと高度な文明が育つに違いない。
私は今まで、神の力は万能だと思っていた。
神の力で何でもできたし、何一つ不自由は感じていなかった。
でも違った。今回の事でそうではないことに気が付いた。
解決できない問題があることに気が付いた。
まるで人々と同じ。私は今、人々と同じ目線に立っている、そんな気がしている。
今まで、人々が問題を解決していく様を、地球の観察で何度も見ていた。
でも…、見ていただけだったという事に、気が付いた。何もわかっていなかった。
解決できない問題に初めて出会って、解決の難しさ、人々の偉大さに気が付いた。
問題に向かい合う。それが解決できないと挫折しそうになる。たとえ不可能に見えても再度挑戦する。
人々はそうやって何度も何度も、解決の困難な問題に向かい合って、そして一つずつ解決してきた。
それは…、今まで気軽に眺めていたけれど…、とても尊い事だと感じられた。
私は、今回、地軸の調整に思い至った。今、人々と同じように私自身が成長している。
解決困難な問題を前に、私は初めて試行錯誤し、一つだけ新しい発見をした。
まだまだ少しだけど、まだまだ足りないけれど、私には初めての一歩が少し嬉しく感じられた。
私は再び地球の時間を戻した。
まだ私にはこの問題の解決方法はわからない。
でも人々と同じように私自身も成長し、いつか解決したい、そんな事を思い描いていた。




