違和感のある家。
「待て!」
待てと言われて待つ馬鹿がいるわけもなく、男はその場から全速力で逃げた。
絶対に逃がすわけにはいかない。
この男のせいで、どれだけの人間が不幸になったと思っているんだ。
私も、男と負けず劣らずの速度で走るが、如何せんここは相手の庭。
スラムに精通しているらしく、男はするすると狭い路地を逃げていく。
影を見つけたと思えば、また人や物に隠れて巧妙に我々をかいくぐる。
「な、なぜこの場所が分かったんでしょうか? スラムに監視者が?」
「子供にかけた呪いに、異変が起こったのが通知されたのかもしれない」
もしくは、呪いが発動したからか。
死亡したホームレスの遺体を探られると、痕跡を辿れてしまうのかもしれない。
それを恐れた可能性もある。
それとも、死亡したホームレスをいちいち処理していたのか。
誰が情報を漏らしたのかを知れれば、その繋がりから相手を探し出せるだろう。
ゆえに余計、私が生きていたことは驚きだろう。
なんなら呪った相手ではないから、知恵のあるもの――おそらく――であれば、戦うより逃げる方が有利と考える。
確殺の呪いで殺せないのなら、太刀打ちできるはずがないのだから。
「ちっ、くそっ、くそ! 〈火炎乱射〉」
「なっ!?」
男が魔法・〈火炎乱射〉を唱えると、攻撃力の高い炎が撒き散らされた。
――攻撃するにしても、よりにもよってこの魔法を選ぶか!
〈火炎乱射〉はその名の通り、不規則に飛ぶ炎を生成する。
制御が効かない分、上級であっても威力が高く、広い場所での範囲攻撃としてよく用いられる手段だ。
私が読んだ古すぎる文献ですら、狭い場所や街、民家のある区域での利用は非推奨とされていた。
なのに、この男は……!
スラムは整理などされておらず、可燃物がそこら中に存在する。
家も頑丈ではないあばら家が多く、燃え移ればスラム全体に広がるのも時間の問題だ。
私を撒くだけではなく、証拠の隠滅にも繋がる。
「きゃああっ」
「うわあああっ! 誰か!」
止められなかった炎は、人、物、家、何もかもに燃え移る。
広がり始めた炎は、スラム街の何もかもを飲み込んで次第に大きくなっていく。
止めなければ。
「外道が……!」
「……魔技の学者さん!」
私に付いてきていたテナは、学者を呼んだ。
すぐさま学者は現れ、走る私とテナに追従するように浮遊している。
『なんだ、忙しそうだな』
「ごめんなさい、説明は追々します。――先生! 私と学者さんでこの場を収めます、早く行って下さい!」
「助かる!」
学者がいれば、この場は安心だ。
テナ達に任せることにし、私は飛び出した。
既に混乱に乗じて例の男は人混みに紛れてしまったようだ。
すでにあのフードの人影は見つからず、私は焦りを覚える。
だがそれでもいい。今は〝繋がり〟がある。
――〈精霊の先導獣〉。
精霊の犬を呼べば、すぐさま召喚された。
テナに対する人懐っこさはないが、互いに仕事をし合う信頼がある。
……いや、今はそんなことはどうでもいい。
『ワン!』
「私の中の呪いは分かるか」
精霊の犬は、普通の犬とは違う。そもそも犬で片付けていい種族ではないが、私にはおなじようなものだ。
普通の犬が感じられる〝物の匂い〟とは違って、魔法や呪いの痕跡を辿ることも出来るのだ。
すんすん、と鼻を使いながら私の周囲を回る。
一通り匂いを嗅ぎ終えると、牙を剥き出しにして威嚇し始めた。
『ヴォウッッ! ウゥウーッ……』
「そう威嚇するな。好きで呪われたわけではない。これを辿ってくれ」
『ワウ!』
犬はまた遠慮もなしに走り出した。私は出来る限りの速度でそれを追う。
道中、魔法の痕跡はなかった。
相手は、あの混乱で完全に姿をくらませられたと思っているのだろう。
詰めが甘い男だ。
だが第二の被害が増えなかったという点は、悪くない。
被害にあった者たちは学者がいれば安泰だろうが、苦しい思いをする人がいないのはいいことだ。
そんな周りに気を配りながら、走り抜ける。
人の波、家と家をすり抜けながら、犬を追う。
『ヴォウ!』
「あの家か」
スラムにしては小綺麗な家だ。かといって、ホームレスが集っているという様子も、見受けられない。
これは〝黒〟だな。
「後はいい。テナの援護にまわれ」
『わんっ!』
「……なんだその甘えた声は……」
今までの速度はなんだったのか、という速さで犬は走り去っていった。
私のために加減していたのか、もしくは余程テナに会いたいようだな。
1人になった私は、家の前へとやって来る。
扉はきちんと閉められている。施錠はされていないようだが、焦って飛び込んだ様子はない。
戸を開けると、ギイと音が鳴った。老朽化している音とは思えない、普通の開閉音だ。
やはり、スラムには似つかわしくない建物だ。
室内は薄暗く、明かりの一つもついていない。
まだ昼間だが、スラム街自体が陰鬱としているせいか、部屋の中に心地の良い太陽光が入ってくる様子もない。
しかし埃っぽさはなく、外観と同じく綺麗にされていた。
とてもじゃないが、ホームレスが住んでいるふうには見えない。
誰かがきちんと気を遣って、清掃している証拠だ。
中を散策していると、何かが閉じる音が聞こえた。
――誰かがいる。
まさかまだ誰かが残っているとは思わず、気を抜いていた。
私は部屋の中を急いで見て回る。
これだけ探し回って、人に出くわさないということは、隠し扉なりで何処かに逃げたのだろう。
「……これは」
台所にあった、床下の扉。明らかにこれだろう。
私はためらうことなく、その扉を開けた。
「――ウッ!」
すると、扉の裏に仕込んであった何かが飛び出した。
それは私の頭に目掛けて飛び、脳天に突き刺さった。
視界の端に見えるその形状から、矢であると分かる。
「……むう……」
煩わしい、と矢を抜き取ると、途端に頭が回る。
視界がぐにゃりと揺れて、気分がアトラクションのように下がっていく。
「……毒、か……」
自覚した瞬間、狙ったかのように目眩が加速した。
吐き気が伴い、体中が焼けるように痛い。
堪えきれず私はその場で、胃の中のものを戻してしまった。
「ぅえっ、おぇっ……ひト、を、殺す、気でいル、うォ――……げほっ、人を殺す気でいる、罠だ……」
毒の効果が消えてきて、不死の効果が効いてきた。
体調が徐々に戻っていく。
間違いなく人を殺すためのトラップだった。これ以降は、もっと増えることだろう。
テナを連れてこなくてよかった。
「〈二重身〉」
〈二重身〉を起動し、ドッペルゲンガーを呼び出す。
ドッペルゲンガーは私を見ると、フッと嘲るように笑った。
『死にかけだな、本体』
「うるさい」
一言が余計だ。私の面倒な部分まで、きちんと投影しなくていい。
『ふむ、私はここで待機だな』
「ああ。私は下に降りる。テナが来たら、経緯を伝えてやってくれ。敵が来たら――」
『殺さず無力化』
「そうだ」
さて、監視をドッペルゲンガーに任せたし、早速降りるとしよう。
階下に向かおうとする私を、ドッペルゲンガーが『おい』と止めた。
『暇つぶしはくれないのか』
「そこの毒矢でも調べておけ」
『おお!』
目を輝かせているドッペルゲンガーを横目に、私は改めて下へと降りた。




