第3話:死体に残された声
あの日、公園で彼女の死体を見つけたことから、私の日常は少しずつ変わり始めていた。
誰もが平然と歩く通学路も、私は目に見えない波動を感じていた。
それは、人々の心の奥に残る、失われた感情の残響――死体から漂う声のようなもの。
放課後、私は図書室でノートを広げていた。
今日の観察記録を整理するためだ。
ページには、彼女の感情が、まるで色のついたインクで描かれているかのように残っていた。
「悲しみ……怒り……恐怖……」
指先で触れると、淡い光のように胸に届く。
でも、意味を理解しようとすればするほど、言葉が絡まり、理解できない。
そこへ、同級生の女子がやってきた。
「ユリカ、何してるの?」
私は顔を上げず、ただ言った。
「観察中です」
彼女は眉をひそめた。
「観察って……あの子のこと?」
私は小さくうなずく。
言葉で説明するより、目で見せたほうが早かった。
その時、警察から電話が入った。
「桐生ユリカさん、もう一度現場に来てもらえますか?」
──事件の捜査に関わるようになった。
私は、胸の奥が少しだけ弾むのを感じた。
それは、感情ではなく興味。
失われた感情を辿る仕事――初めて、自分が意味を持つ瞬間かもしれない。
現場に着くと、警察官たちが足早に動き回っていた。
私は静かに立ち、視線を死体に向ける。
すると、ふわりと誰かの声が聞こえた。
――怖がらせないで……
――誰も私を助けてくれない……
胸に、痛みが走る。
これは……彼女の感情?
いや、残された声――死体の声。
「感じる……これは、共鳴感情」
私はつぶやいた。
冷静に見える私の胸の奥で、波紋が広がっている。
警官が訊ねた。
「何か分かりましたか?」
私は少し考えてから、答えた。
「この人は、恐怖と悲しみの中で死んだ」
言葉は簡単だけど、意味は重い。
誰も感じられないことを、私だけが知る。
それが、私の仕事――感情探偵。
帰り道、夕焼けが街を赤く染めていた。
人々は何も知らず、笑って歩く。
でも、私は知っている。
誰かの心の奥に、消えかけた声があることを。
「私……これから、この声を拾っていくんだ」
初めて、心の奥が少し震えた気がした。
でも、それが何なのかは、まだわからない。
それでも、私は歩く。
感情を失ったままでも、誰かの心の死体を辿りながら、世界を理解するために。