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夏至散歩

作者: 一ノ関珠世

 ふと気づいたら、いつの間にかもう手元の在庫が尽きてしまっていた。僕はいつもそうだ。事前に確認して、ちゃんと足らなくならないようにすることができなくて、最後の一個を使ってから、やっと重い腰をあげるのだ。


 そろそろまた風を集めなければならない。


 風の清しい夏至の夜明け、僕は街に散歩に出た。


 昨晩はさぁさぁと雨が降っていた。ベランダから外を見ると、闇に沈んだ街の無数の灯りが滲んで、とっても綺麗だった。だからきっと今日はいい風が吹くと思ったんだ。


 うっすらと白んできた空は、まだまだ夜の名残りのある色をしている。そんな空の下に、静かに(たたず)むビル群は、昼の姿とは打って変わって、息ひそめて夜が明けるのを待っているようだ。


 すうんと真っ直ぐに伸びる路地を歩くと、まだらに向こう側の景色が見える朝靄(あさもや)がベッドの中で見ていた夢の続きのように、街を幻想的に見せてくれた。


 カタンカタンと音が聞こえる。


 ビルの間を縫うようにレールが伸びて、(もや)の奥から標識灯がぼぉっと光るSLが、汽笛を鳴らしながら走ってゆく。

そのレールは街外れの防波堤を飛び越えて、朝焼けに染まっていく海まで伸びていった。SLはそのままカタンカタンと海を渡っていく。


 僕はその真っ黒な車体が見えなくなるまで見送った。

SLがどこから来てどこに行こうとしてるかは分からないけれど、夜と朝の間の時間はめったに見ないような光景が見えることだってあるだろう。


まだ夜の青みの残る空と海の間に差し込むように入ってきた朝の光は鮮烈だった。その光を吸い込む海は、まっさらの1日のはじまりを喜んでいるみたいで、僕もその空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


 使い込まれて味が出てきたお気に入りの革の(かばん)から、硝子(ガラス)の小瓶を取り出した。ぼやぼやしてちゃいけない。きゅぽんと音をたてて木栓(コルク)を抜くと、しゅーっと音をたてて小瓶は風を吸い込んでいく。音が小さく聞こえなくなったところで、僕はしっかりと木栓(コルク)を閉めた。


僕はその作業を繰り返し行い、鞄に入れていた瓶の半分位をその時の風で埋めた。


 僕はそのうちの一つの小瓶を取り出して、すぐに使っちゃうことにした。せっかくのこの素敵な朝焼け刻を、地面を歩くだけではもったいないから。小瓶は数回振ると、透明だった中身がその風の色粉になる。今回はミストブルーに(あけぼの)色がところどころに混じっている粉になった。僕は今回の採集に満足がいって、思わず笑みが溢れてしまう。


 その出来上がった粉を靴裏に落として、その場で何度か跳ねてみる。上手についたみたいで、僕の足は、とんとんっと空中に足場を作って、登っていった。そのまま、防波堤を飛び越えて海の上まで、ぐんっと風を切って翔けた。空と海の向こうは朝焼けに染まって波がきらきらと光と遊んでるみたいだ。


 僕はちょっと眩しくて目がちかちかしてしまったから、後ろを振り返った。そしたら、まっすぐ空に向かって立つビルも朝焼けに染まって、マストを掲げている大きな豪華客船みたいだ。防波堤ごしに見えるその豪華客船が舫われている様子は、朝靄もあいまってちょっぴし幻想的だ。この大きな船は、今日も沢山の人々を受け入れ、そして1日の終わりに見送るのだろう。


 僕は海で少し靴裏を洗うと、また地面に降り立った。一仕事終わったので、お腹が空いてきたのだ。僕はお気に入りの喫茶店に向かった。早朝から開いているので、朝散歩の後のモーニングにぴったりなのだ。


 人気のない朝の店内は、落ち着いた時間が流れていて、珈琲の芳しい匂いが静かに鼻腔をくすぐった。窓際のどっしりとした濃い飴色のテーブルに向かって歩いて、臙脂(えんじ)色のアラベスク模様の布張りの椅子に腰をおろした。


 ロマンスグレーの店主に、「モーニングを一つ」と頼んで、カバンの中から文庫本を取り出す。挟んでいた(しおり)を取り出すと、そこにいたはずのレモンイエローの小鳥がいなくなってしまっていた。


また無謀にも文字の森に飛び込んでしまったらしい。僕は一つため息をついて、その空になった(しおり)をテーブルの上に置いた。読み進めていくうちにまた見つけることもできるだろう。あんまり長い間見つけないと、癇癪(かんしゃく)を起こして本のページをバサバサしながら行き交うもんだから、本が痛んでしまう。栞の鳥は厄介なんだけれど、それでも良いお話に放つとふくふくと一緒に楽しんでくれるから僕はそんな手のかかる小さなものが嫌いではなかった。


 数ページ読んだところで、マスターが真っ白なお皿にのったモーニングを持ってきてくれた。厚めでこんがり焼かれたトーストに、ふんわりと黄色が綺麗なスクランブルエッグ。端っこがカリカリのベーコンに、グリーンサラダ。小さな器に入っているコーンスープもほんのり甘くて美味しい。


 僕は素敵な朝ごはんを思う存分堪能した。食後の珈琲は、深い森の色と金の縁取りがシックなカップに入っており、僕はお揃いのソーサーから、そっと持ち上げた。深い苦味の中に馥郁(ふくいく)としたフルーティーな香りが立ち上がってきて、一口飲むたびに僕はどこかエキゾチックな森で探検する冒険家みたいな気持ちになった。


 ここの窓硝子は、ヒビが入ったように見える独特の模様で、景色の輪郭がいい具合にはっきりと映らず、そこがまた外の世界と隔絶されているみたいでいい。珈琲が空になり、ぼんやりと硝子越しの世界を楽しんでいると、そこから見えるビルのてっぺんから吹き下ろす風が雲間からの光を伴って金のドレスの裾みたいに見えた。僕は、すぐに立ち上がって、お代を払うと、店の外に飛び出した。


 衣擦れの様に聞こえる風の音が、耳に嬉しくて、僕は心が震えた。


 いい風だ。金の風だ。


 僕は鞄からまた空の小瓶を出すと、どんどんまた風を閉じ籠めていった。うっすらと光が混じるこの風は、なかなか集めるのが難しいのだ。四本目の木栓を開けたところで、光が消えてしまった。もっと沢山集めたかったけれど、三本で良しとしよう。


 見上げると、僕の頭の上には蒼空が広がっていた。

 

ああ、こんな空を翔け上がったらどんなに気持ちいいだろう。


 僕はさっき詰めたばかりの小瓶をまた使うことにした。こうやって集めてもすぐ使いたくなっちゃうのが僕なんだ。それでもこの蒼空を思いっきり風を感じながら翔けていかないなんて、どうかしてる。道具というものは、使うべき場面で使うからこそ有用なのだ。大事にしまっておいたけれど、使い所が分からなくなってしまったら、それこそもったいないというものだ。


 小瓶を振ると白金色に変わった。僕は靴裏に振りかけると、息を大きく吸い込んだ。少し温度が上がってきた夏至の空気は、夏に向けて陽の光のパワーどんどん溜め込んでいる感じがする。


 僕は、光の中を蒼空に向かってぐんっと足を踏み出して思いっきり翔けた。さっきまで歩いていた街がどんどん小さくなっていく。風も僕のまわりを楽しそうに躍っている。息が上がりそうになるけれど広げた腕が飛行機の翼みたいで、子どもみたいに楽しくなってしまった。

 

 ああ、今日はとってもいい散歩が出来てしまった。

 

夏至という季節の言葉がとてもすきです。

実は好きな歌をモチーフにお話を作ってみたのですが、少しかけ離れすぎたかもしれません。もしわかった方はこっそり教えてください。

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