たいだのきわみ
ここは天界——眩い太陽に照らされ、神々に仕える天使たちが拠点とする巨塔が雲海のあちこちにそびえ……ニョキっと生えている変な世界。
そのニョキっと生えている巨塔のひとつ、女神アルトに仕える天使たちが住まう塔の最下階に、俺は居る。
この塔は81階建てであり、上の階に住む者ほど主なる神を褒めちぎり己が魂を捧げるほどの働きをしなくてはならない。
裏を返せば最下階に住む俺のようなド底辺天使は、与えられる雑用任務さえこなしていればいいのである。
それでも最低限の報酬は貰えるためショップに並ぶ大抵のアイテムは好きに買えてしまう。
俺にとってはまさに天職だ。
さて、とりあえず『天界ドロップス』のストックでも買いにいきますか……まだ任務の通達は来ないだろうし。
「あー……買いに行くのダルいな……」
あと10秒、いや20秒したら起き上がる……。
1——2——3——いや数えるのやめよう、ダルすぎる。
「あとちょっとだけ…………ん?」
愛用中のクッション『天使をダメにする雲』に仰向けで転がっている俺を、廊下からジッと見つめている女天使がいる。
「あのー、クロンさんですか?」
「そうだけど……何か用?」
「えっと……っ……」
短いスカートを抑えてしかめっ面を向けてくる。どうやら低い位置から上下逆さまの彼女と話していたせいで誤解させてしまったらしい。
「め、メイリーと言います。アルト様の命により、この度クロンさんと部隊を組むこととなりました。よろしくお願いします」
「人違いじゃない?」
「アルト様から事前にクロンさんの情報をいただいているので間違いはありません」
「部隊を組めなんて連絡来てないけど」
「クロンさんは任務の通達以外目を通さないから連絡の必要はないとアルト様が……」
「よくご存知で」
「それと、この階には空き部屋が無いそうなので相部屋させてもらえませんか?」
「はいはい……自分のスペースは自分で確保してね……俺は飴のストック買ってくるから……」
「ま、まさかこの散らかった部屋を掃除させる気ですか……!?」
「部屋が必要なんだろ~、頑張れ~」
重い腰を上げクッションから起きた俺は玄関先で溜め息をつくメイリーを中に入れ廊下へと出る。
ダルいな……部隊を組まされてしまった。
面倒な任務を任されないといいけど……まぁその時はメイリーになんとかしてもらおう。
ド底辺の俺と違って彼女は光輪が欠けて力が弱まったせいで降格して上の階から降りてきただけだろうし、多少のトラブルが起きてもカバーしてくれるだろう。
「安心安心————」
廊下に出た途端、いつもの如く連絡係の天使が任務内容の書かれたカードを無言で俺の顔に投げつけてきた。
しかし対処は簡単だ——俺がカードを受け止めるとこいつは何事も無かったかのように次の天使へカードを届けに行く。
「新しい任務で~す————新しい任務で~す————」
いつもより通達が早いけど、任務は後回しにすればするほど面倒になり、体がクッションに根付いた頃には次の任務の知らせが来る……長時間労働を避けるためにも任務はどれだけ面倒でもすぐに済ませておく必要がある。
今回の任務は——————
『アブル王国王都エルドラにて、迷子のエルフ族の少女ハンナを導きなさい』
急ぎの任務か……できれば礼拝堂の掃除が良かったなー……。
「メイリー」
「はい、何ですか?」
「任務いくよー」
「任務? 飴のストックを買いに行くのでは……?」
「いいから行くよー」
メイリーを急かしながら廊下の柵に跳び乗りそこに腰掛け、ふわっと両足を蹴り上げて体を後ろに傾けた俺は、吹き抜けの巨塔の底を漂う雲——地上世界オルビスと繋がるゲートへと頭から真っ逆さまにダイブした。
「クロンさん!? 待ってくださいよ~!!」
真っ白な雲の中をしばらく落下し続けた後、その雲を抜けると広大な海や緑豊かな大地と共に小型のドラゴンの群れが俺を出迎える。
ピィィィィィーっと指笛を吹きそのうちの一体を呼び寄せた俺がドラゴンの背中に掴まると同時に、メイリーはゲートを抜けてこちらの世界にやってきた。
メイリーと目が合ったことを確認した俺はドラゴンを操り急降下を始める。
「やっと追いつきました……ところで、何でドラゴンに乗ってるんですか」
「だって俺、右の翼ないし」
「浮遊魔法くらい使えますよね?」
「ドラゴンに送迎してもらう方が楽」
「それでも天使ですかあなたは……」
メイリーと共に目的地であるアブル王国の王都エルドラへと向かった俺は、到着後すぐにハンナという名のエルフ族の少女の捜索を始めた。
日の光に照らされる赤い屋根、石づくりの街を行き交う人々、石畳の上を穏やかに進む馬車。
一見平和に見える王都も、俺たち天使にとってはある種の戦場。
この街に通ってる天使たちは大変そうだなー……迷子探しに落とし物、ご近所トラブルに金銭トラブル、盗みに殺しその他もろもろ。
大都市での過剰労働だけは御免だ、下手すれば昇格してしまう。
「片翼……見慣れない天使様ね」
街の人々の視線が徐々に集まる……目立つんだよなー、片翼。
「見ろよ、隣の天使は光輪が割れてるぞ」
「せめて”様”をつけなさい、失礼でしょ」
地上世界の人々にとって神や神に仕える天使は最も崇高なる存在。
ただ人々には信仰の自由があり、天使が身近なこともあって中には反発を見せる者もいる。
逆に魔族や魔王なんかの魔界由来の存在はその横暴っぷりから忌み嫌われている、一部天使が同情するほどに。
さて……さっさと迷子の子を見つけて帰りますか……。
「探知魔法とか使える?」
「私はその……得意分野ではありません……」
「じゃぁ片っ端から探していくか。東と西どっちがいい?」
「どちらでも」
「じゃぁ東側よろしく、俺は西側でー」
「分かりました。後ほどここで合流しましょう」
「はいはーい」
捜索開始から15分が経過した頃、俺はちょっとだけ治安の悪そうなジメジメとした路地裏を進んでいた。
ここで見つからなかったらメイリーと合流しよう。
もう見つけてくれてるとありがたいけど————ん?
ガラの悪い男が三人……枷をされ転がるエルフの少女を囲んでいる。
俺の目の前には樽がひとつ、それにボロ布が一枚……やることはひとつだ。
下準備を済ませた俺は笑顔でガラの悪い男三人に近づいた。
「あのー」
「あぁん?」
「んだテメェ」
「その子、奴隷商人に売るの?」
「関係ねぇ奴は失せろ」
「良かったら俺に売ってくれない? 言い値で買うから」
男たちの間に割り込んで少女に近づこうとすると、右肩に当たった大柄な男が俺の髪の毛を鷲掴みにする。
「おい止まれ」
まずは抱えていた樽を怯える少女に被せ、俺の髪を掴んでいる男のみぞおちに肘打ちをして数を減らす。
「うぐっ!?」
そして俺の左側に立つ男の股間に蹴りを入れて更にもう一人減らす。
「がっ……ぉぉぉぉおおぉ……!」
「調子に乗るなこの————」
殴りかかってこようとした男に俺は素早く右の手のひらを見せる。
すると彼は困惑した様子で動きを止めた。
そして俺は右肘をゆっくりと樽の底につけ、アームレスリングの構えを取って男に熱い視線を送る。
「……いいだろう」
男は樽の向かい側に立ち力強く俺の右手を握る。
いざ勝負————と見せかけて、俺は男の手を強く握り返して背後に回り、樽を両足で掴んで彼の体をガッチリと固定した。
「騙されたなぁ! 目が覚めたらしっかり懺悔しろよ……?」
彼の首を容赦なく締め上げていく。
「うっ……ん、んんっ……! んぶっ……がっ……!」
そして男はそのまま為す術なく気を失った。
羽織っていたボロ布を脱ぎ捨てると、最初に倒した男がみぞおちを抑えながら俺の翼を見て驚いた表情を見せる。
「て、天使……!? でも光輪は——あぇ、片翼……?」
「お前ら、さっさとそいつ担いでどっか失せろ。 この子は俺が預かる、いいよな?」
「も、もちろんです……! おい、行くぞ……!」
男たちは気絶した仲間を担いてペコペコしながら路地裏から去っていった。
既に見えなくなった男たちを数回ほど手で追い払った後、俺はその場に屈んで少女に被せていた樽をそっと持ち上げた。
「もう大丈夫だぞー」
明かりの代わりに渡していた光輪を拾い上げ、少女の枷を魔法で外す。
起き上がった少女は先程のように怯えた様子もなく、ただひたすらに俺の頭の上に浮かぶ光輪を見上げる。
この光で恐怖心が薄れたからなのか……随分と光輪が気になるらしい。
「あげないぞ。きみ、ハンナちゃんで合ってる?」
俺が光輪を抑えながら尋ねると、少女は光輪を見上げながらコクッと頷いた。
「おうちの場所分かる?」
ハンナは左右に首を振った。
「とりあえずメイリーと合流するか」
言う事を聞かないハンナを渋々背負って光輪を握らせた俺は早足でメイリーとの合流地点へと向かった。
その後、合流した彼女はなんとハンナの母親を連れて立っていた。
ハンナの家は王都の東側らしく、メイリーが呼んでいたハンナの名前に母親が反応してくれたおかげで出会うことが出来たとか。
「もう勝手に遊びに出るんじゃないぞ?」
「……うん」
おぉ、喋った……!
「約束な」
俺は光輪の代わりに自分の翼から天使の羽根を二枚抜き取り、そのうちの一枚をハンナに渡す。
「はいこれ、ただの羽根」
「勇気が出るお守りです、大事に持っておいてください」
実に天使らしい補足をしてくれるメイリー。
ハンナとその母親の気が彼女に逸れてる隙を狙い、俺は抜き取ったもう一枚の羽根をこっそりとハンナの背中に撃ちこむ。
これでこの子は頭上に浮かぶ羽根の印によって、既に俺たちが直接救いの手を差し伸べていると他の天使から一目で分かるようになった。
天使個人の判断に委ねられてはいるものの、あの印が付いている者は次に救ってもらえる可能性が低い。
がんばれハンナ。
神が言うには、これは天の力にすがる人間を出さないようにするためらしいけど……線引きが曖昧でめんどくさいから俺はあまり気にしていない。
「天使様、この度は娘を救っていただき本当にありがとうございました……!」
「んじゃ俺はこれで」
「女神アルトの加護があらんことを……」
羽根を気に入った様子のハンナとその母親に別れを告げ、俺はその場を後にする。
すると、後を追ってきたメイリーが俺の顔を覗き込み指を差しながらに言う。
「クロンさん、何でちゃんと挨拶しないんですか」
「挨拶? したけど……」
「あれのどこが挨拶なんですか……! きちんとアルト様の名前を出してくださいよ」
「あー……俺あんな台詞今まで一度も言ったことない、長いし」
「最低ですね……」
さすがのメイリーもドン引きしている。
その後、王都を出てからドラゴンを呼べる人気のない場所まで移動する間、俺はひたすらメイリーから挨拶の重要性について熱弁された。
相部屋は断るべきだったかもしれない……。
ドラゴンでの飛行を始めて間もなくのこと————
いつものように海の方角へと平原を低空飛行をしていた俺の前方20メートルの位置に突然巨大なゲートが開き、俺は驚いて身を翻したドラゴンから振り落とされてしまう。
「うぉぉぉ!?」
「クロンさん!?」
宙を舞い地面を転がった俺の元にメイリーが慌てて飛んでくる。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない。メイリー、ゲートから何か出てくる前に早く俺を連れて天界に————」
「だぁぁぁあああ!!」
嫌な予感というのはよく当たる。
ゲートは俺の言葉を遮るように”何か”を吐き出すとすぐに口を閉じてしまった。
身長およそ四メートル、筋肉質な体にくすんだ青い肌、長い尻尾と左右に分かれた三日月のような角。
間違いない、魔族だ————それもかなり上位の。
しかし……随分手負いだな。
「よしメイリー、帰ろう」
「魔族を放置して帰る天使がどこに居るんですか!」
「えー……任務は達成したんだから別に帰っても——」
「よくないです! 相手は手負いです、私たちで片付けますよ」
今から相部屋を断っても遅くない気がする……。
「ぐぅぅ……貴様ら、待ち伏せか……!」
「なるほど、他の天使から逃げてきたようですね」
「早く倒しちゃって……援護するから」
「分かりました、では行きます」
メイリーはそう言って鞘から剣を抜くと、フラフラと立ち上がる魔族に猛スピードで斬りかかった。
さすがは先輩天使、動きが速い。
「はぁぁぁ!」
「邪魔をするなぁ!」
しかし……光輪が割れているせいか、彼女の剣が発する魔法の光はかなり弱く、魔族の腕に傷ひとつ付けられていない。
メイリー、何で戦おうとした……?
「……えい」
俺はメイリーを援護するため、帰り道のマナを温存しつつ、必死の抵抗を見せる魔族に光の玉を数発ほど放つ。
「ぐぅぅ……! 煩わしい……!」
「クロンさん! 私に構わずもっと強力な魔法を使ってください!」
「これ全力なんだけど」
「へっ……?」
何を驚いたのか目を丸くしたメイリー。
彼女はその隙を突かれ魔族の重いパンチを食らって俺のところまで勢いよく飛んでくる。
「うっ……!!」
「だ、大丈夫?」
「平気です……。すみません、戦いを無理強いしてしまって……」
さてはメイリー、俺がここまで戦力にならないとは思ってなかったな?
「ド底辺を甘く見るなド底辺を」
「貴様ら……さては待ち伏せじゃなくてただの通りすがりの下っ端天使だな?」
あ、バレた。
先程まで余裕の無かった魔族は、俺たちの表情を見て不敵な笑みを浮かべ始める。
「そうかそうか……だったら貴様らの魔力を取り込んでさっさとずらかるとしよう。俺はディラノ……魔王幹部だからなぁ、こんなところでやられるわけにはいかねーんだ」
「魔王幹部……!?」
「メイリー、逃げない?」
こういう奴は上の天使に任せるのが一番いい。
「私はここで時間を稼ぎます。クロンさんは逃げてもいいのでせめて救援を呼んできてくれると助かります……手負いとはいえ幹部クラスの魔族ともなれば下級の天使では敵いません、中級以上の天使を一人でも多く送ってください」
ここから逃げて救援を要請すればメイリーと部隊を組んでいる俺は十中八九この場に戻ってくることになる。
そんなめんどくさいこと、俺はしない。
「仕方ない————おぉぉるぁぁあああ!!」
俺はメイリーをその場に残し、殴りかかってきたディラノへ勇敢に立ち向かった。
しかしド底辺の俺が普通に戦って勝てるわけもなく————
「ぶへっ…………!!!」
顔面にディラノの拳を貰った俺は衝撃で地面に叩きつけられて更にバウンドして惨めに宙を舞う。
「クロンさん!!」
奴の一撃で砕けた俺の光輪は激しく飛び散る。
————さて、少し頑張ろう。
「神格化」
砕けた光輪の欠片が一点に集まり眩い光が黒く染まる。
同時に俺の背中にある純白の片翼も黒く染まり、それに呼応するように漆黒の右翼を生やす。
「なにっ!?」
勝ち誇った顔をしていた魔族のディラノの表情が一気に間抜けになった。
宙返りをして地面に足をつく直前に俺は光輪の光と共に姿を消し奴の背後を取る。
「おい、こっちだ」
「んぁ!?」
咄嗟に体を翻し距離を取ろうとしたディラノに、俺は持っていた直径約1メートルの環状の武器を振り下ろしその胴体に深い傷を入れる。
「ぐぁぁぁあああ!!」
「待て待て逃げるな」
ディラノの両足をまとめて斬り落とし、奴の角を掴んで地面に顔を叩きつけたあと、更に片方の角を根本から斬り落とす。
「うぁああああ——」
痛みに悶えながらも奴は炎魔法を放ち必死の抵抗を見せる。
俺は網で虫を捕まえるようにその魔法を武器の輪の中に取り込み、持っていた武器を奴の腹に叩きつけその上に飛び乗る。
するとディラノは体のあちこちから血を流しながら俺に言う。
「クソ……! お前らほんとになんだよ、こっちはただ探し物してただけだってのに……!」
「お前こそ何なんだよ、人の帰りを邪魔しやがって……もうちょっとタイミングってものを考えろよ」
「俺を殺してみろ……魔王様が黙っちゃいないぜ。いくら貴様でも魔王様や幹部の連中を相手に勝ち目はない」
「そっちがその気なら俺はいくらでも天界にこもってやる——さすがの魔王も天界に居る天使に手出しはできないだろう」
「貴様……恥ずかしくないのか……?」
「あぁ、ぜーんぜん」
俺は武器に取り込んでおいたディラノの魔法を段々と増幅させていく。
「まっ、待て、見逃してくれ……! 魔王様には報告しねぇ、だから————」
輪の内側で増していく赤い光にディラノの血の気が引いて行くのが分かる。
「さぁ、よい子は帰る時間だ……!」
そして俺は、何十倍にも増幅させ圧縮した炎の魔法を、踏みつけていた武器からディラノに向けて思い切り放った。
奴の体を一片の欠片も残さず葬り大爆発の反動で大きく空中へと飛び上がったあと、華麗に地面に着地した俺は武器化が解けた光輪を頭でキャッチし、周囲を漂う煙に顔をしかめながら、再び帰路へとついた。
「よし、俺も帰ろ……」
「クロンさんのあの力、一体なに……上級天使の比じゃない……。それにあの黒い翼、あれじゃぁまるで……堕天使……!」
次回 『しょっぴんぐ』