シャルデの森
倉庫に置かれた共用の短剣を三口と大口の麻袋、火鼠の毛皮でできたアイテムポーチ、そして一瓶しかないポーションを装備し、街に向かって南に位置するシャルデの樹海へと足を向けた。
道中、何組かの冒険者パーティとすれ違った。
「…ねぇ、本当に私が報告するの…?」
耳の長い女が先頭を歩く男に聞く。
「そりゃあそうだろ。今日はリー達が駆けつけてくれなきゃ俺らは今頃ゴブリンの巣の中で死んでたさ。」
「それは、そうだけど」
「わはっ、リーは優しいな。別に俺らの報酬なんて気にしなくていーって」
「じゃあ、お言葉に甘えて…」
「おう、その意気だ。堂々としてろよぉ?」
「ねぇ、ガルダ。あんた臭いわよ?リーちゃんを口説くのもいいけどまずは風呂に入ってくれないかしら」
「後ろでゴブリンにビビってた奴がよく言うよ…」
「ちょ、ラウル!」
聞こえてくる会話はどれも一仕事を終え、戦友の無事を喜び、達成感を分かち合う和ましい雰囲気であった。
そこに種族間の確執はない。
初陣の街と呼ばれる帝国領シャルデ。
基本的な信仰の自由を認め、人民革命を経験した帝国領では異種族同士で組まれたパーティを見かけることはそう珍しくない。
かつては自分達もそうだったように。
樹海に入れば、そこにはどこか鬱屈としていて不気味な雰囲気が漂い、吐く息は周囲に溶け込まずに霧散する。
消臭のため、首元や耳の後ろなど、肌が直に露出している部位をシャルケ草を揉みこんでおく。
パーティ編成をしていれば、斥候による接敵回避、魔術師による魔力探知など様々な索敵方法があるが、ソロとなるとよほど早急に片付く格下の敵でなければ接敵することすら危うい。
魔物や魔獣とて只の動物ではない。長引く戦闘の結果、周りを囲まれる恐怖は身を持って認識している。
しばらく舗装路に沿って行くと、それまでは澄んでいた空気から酷く爛れた腐卵臭が漂ってくる。
周囲に人気がないことを確認して、道を横に外す。悪臭の元を辿れば、おびただしい数の靑卵蝿が漂っている。
「意外と浅いな…」
青い卵を植え付けられた一回り大きい樹木の後ろに回り込むと、異臭が背筋を這いずり視界が赤茶けた。
遺体は腐敗の進行具合から死後約一週間といったところろで、魔物の血で青黒く変色した短刀を手に持ち、木の幹に持たれかかりながら事切れていた。
鳥類の魔物に食い荒らされたのか、小さな嘴型に切り取られた部位が散見される。
防具の種類と防具に埋め込まれた識別プレートから女性の冒険者ということだけが判別できた。
リストを見ればこのパーティの後衛、祈祷士リスティーニャ・ローテルと防具の特徴が一致した。銅のプレートを胸プレートから外し、アイテムポーチにしまうと中から布切れと薬丸を取り出す。
薬丸を飲み込み、口と鼻を布で覆う。
相変わらず蒸した雑巾のような味だ。
ぐずついた上半身から防具を取り外し、そのまま再利用できる物と一度窯炉で製錬し直す物に仕分けていく。
手につく腐肉の感触と時折視界に入る靑卵蝿がただただ不快だった。
作業を続けていると、からりとした感触が指に触れる。脇とは判別し難い部位から取り出してみれば、それは金属製で星と三日月の紋様が施された小さなペンダントであった。中には埋め込まれた小さな鏡と、持ち主が子供時分と思われる家族写真が入っている。
(…これは金にはならんな)
取り外した防具を用意した麻袋に詰め込み、ペンダントを元の場所に戻す。
残る遺体は二体、慣れたとはいえ、人一人分の回収に費やす時間は短くはない。日が暮れれば夜行性の魔物が活動を始める、それまでには樹海をでなければならない。
気づけば地面に伸びる影の長さは短く、樹海からでもその姿が拝める程には日が昇っている。
麻袋の容量と日の高さに一抹の不安を覚え、足早に探索を続けた。
二体目は存外すぐに見つかったが、その回収時間はさらに倍を要した。というのもローブに身を包まれた遺体は樹の枝に、深々とその身を埋めており、識別プレートを回収するだけでも骨が折れた。
リスト上の回復魔術士、ミリーナ・エルリッヒの文字に斜線を引く。
何も珍しい話ではない、夢を抱き意欲に溢れた若者が、その心半ば、とすら言えない場所で石に躓きその物語に幕を閉じる。
どの世界にもありふれた、後味の悪い冒険譚だ。
どれだけ幸せな物語を夢想しても、死んでしまえば後に残るのは、後悔すら宿さない肉の塊とそれに群がる死体漁りが一匹。
(…本当にハイエナとはよく言ったものだ。)
こびりつく憐憫と自嘲を追い払い、五感に集中しながら長草が鬱蒼と生え、およそ道であったとは思えない舗装路を慎重に足を運ぶ。
三体目が中々見つからないことに苛立ち頭を掻きむしり、見落としがなかったかどうか思考を巡らせる。
嘴型にくり抜かれた遺体、三面鳥とゴブリン、早贄と成った魔術士、短刀と神杖、見つからない三体目。
そしてこれらに対して先程から微かに感じる違和感。
(そうではないと願いたいな。)
そう願いつつも、一度でも疑心を持てば、それは波紋のように広がり、さらなる妄想を呼ぶ礫となり、次の疑心を呼び起こす。
確たる証拠はない、だが推測や憶測とは厄介なもので、その推測に至るまでの筋道さえ自分の中で構築できてしまえば、どれだけその推測がずさんで、その結果に確証がなくても、自分さえその矛盾に気が付かなければ、それは只の真実に成りさがる。
自分の憶測が間違っていることを願いながらも、どこかその成否を確かめたくない自分がいる。
その矛盾を、捜索依頼はパーティ全員のプレートがないと満了しないという、俺の為に作られたようなギルド規定のせいにして樹海の奥へと進んだ。