第2話 強烈印象執事登場!
ギルは、余っていたタオルを利用して、アセナさんの両手を後ろ手に縛り上げた。
それから、胴の辺りを椅子の背もたれにくくり付けると、額の汗をガウンの袖で拭い、大きなため息をつく。
アセナさんは、最初こそ大暴れしてたけど、今は、すっかり観念したように大人しくなった。
……いや。大人しくなったことは、なったんだけど。
「いや~ねぇ、ギルフォード様ったらぁ~。か弱い女相手に、なにもここまでしなくてもぉ~~~」
……今度は妙に色っぽく、上目遣いで抗議している。
「おまえが『か弱い女』だと!? 笑わせるな! 散々暴れまくって、私の腕や顔を引っかいておきながら、よくもそんなことが言えたものだ!」
『笑わせるな』なんて言いつつも、ギルはちっとも笑っていなかった。(……まあ、当然だけど)
滅多に見せない険しい顔で、拳をキツく握り締めながら、激昂している。
「それは、ギルフォード様がひどいことするからでしょぉ~? 引っかき傷くらい、す~ぐ治っちゃうんだから、そんなに怒らなくたってぇ~」
何気なく彼女が口にした言葉に、私はハッとした。
そっか。この人……ギルの治癒能力を、知ってる人のうちの一人なんだ。
だから『引っかき傷くらい、すぐ治っちゃうんだから』なんて、さらっと言えちゃうんだ。
「おまえという女は、いったいどこまで……っ」
拳を震わせ、ギルは、いっそう険しさを増した目で、アセナさんを睨んでいる。
「だぁってぇ~。ほらぁ、自分の腕とか見てみなさいよぉ? どこに傷があるかなんて、とっくにわからなくなっちゃってるでしょぉ?……そ・れ・に。昨夜、何者かに重傷を負わされて、生きるか死ぬかの瀬戸際――な~んて話を耳にしたけどぉ? 完全に治っちゃってるみたいだしぃ~。……んふふっ。やっぱりすごいわねぇ~、ギルフォード様の治癒能力は。もしかして、傷を負うごとに、能力が強くなってってるんじゃなぁい?」
「黙れッ!! 私の力のことをたやすく口にするなッ!!」
「あらぁ、い~じゃない。素敵な力よぉ? その力のことを知ったら、この国の人達みぃ~んな……ううん、他の国の人達だって、傷を治してもらいたいって、群がって来るに決まってるわぁ~。その人達の傷を、ペロ~って舐めて治してあげれば、神様のごとく崇め奉ってくれるんじゃなぁい?……あ、でももしかしたら、『王子の血を飲めば若返る』だの、『王子の血を体中塗りたくれば、どんな傷も負わなくなる』な~んてデマが、いつの間にか流れちゃったりして。全世界の人に命を狙われる……なぁ~んてことも、あり得るかも知れないわねぇ? アッハハハハハッ」
「――っ!……貴様……っ」
ギルの顔が、今まで見たこともないほどの、憤怒の形相に塗り替えられて行く。
呼吸は荒くなり、肩が大きく上下し……全身が震え出す。
「いっ、いー加減にしてくださいッ!! どーしてそんなひどいこと言うんですかッ!? ギルの気持ちも考えず、どーして――っ、どーしてそんなことが言えるのッ!? それでホントに……ウォルフさんのお姉さんなのッ!?」
ギルの怒りより先に、私の怒りが頂点に達してしまい、気が付くと叫んでいた。
……だって、ギルがこの力のせいで、今までどれだけ傷付いて来たか……!
ウォルフさんのお姉さんなら、ウォルフさんからいろいろ聞いて、知ってるに違いないのに。
なのに、まるで、わざと傷付けようとでもしてるみたいに――!
「リア……」
ギルは少し穏やかな顔になって、側に寄って来ると、私をそっと抱き寄せた。
優しく頭を撫で、
「ありがとう。私のために……」
そう言って、頭に柔らかく唇を押し当てる。
「あ~らぁ~、ず~いぶんと妬ける光景だこと。……ね~え、ギルフォード様? そちらのお二人は、あなたのなぁに? どーしてあなたの部屋にいるのかしらぁ~?……まあ、その娘は、あなたの『特別なひと』ってことで、まず間違いないんでしょうけど。男の子の方はなぁに? あなたって、いつから両方イケるようになっちゃったワケぇ?」
「無礼者ッ!! それ以上余計なことを言ってみろ、ただでは済まさんッ!!」
私を胸にかばうように抱き締めると、ギルはアセナさんを、すごい勢いで怒鳴り付けた。
私は彼の腕の中、怒りに震える体を落ち着かせるため、ギュッと無言で抱き締め返す。
「この女性は私の恋人。婚約者でもある、隣国のリナリア姫だ! おまえが軽々しく口を利いて良い相手ではない! 身分をわきまえろ!」
ギルに激しい怒りをぶつけられても、彼女は全く動じることなく、しれっとしている。
「あ~らやだぁ。あたしったら、隣国のお姫様に、あ~んなことやこ~んなこと、しちゃったってことぉ~?……んふふっ。それはそれは、ゴチソーサマっ♪」
「な…っ」
「ふざけるなッ!!」
絶句する私と、不愉快そうに声を荒らげるギル。
「あらぁ、だってぇ……もうしちゃったんだもの。今更、なかったことには出来ないじゃな~い? だったらぁ、ゴチソーサマ。そー言うしかないでしょ~ぉ?」
「……貴様……。隣国の姫に無礼を働き……よもや、無事で済むとは思っていまいな……?」
ふいに。
ギルの声が、とてつもなく冷静な――ううん、冷酷とも言えるような、冷たい声色に変わった。
「しかも、彼女は私の最愛の女性だ。その人に手を出すということが、どれほどの罪か。……今すぐに、わからせてやってもいいんだぞ?」
「ギ……、ギル?」
あまりの声の変わりように、私は急に心配になって、恐る恐る彼を見上げる。
強い月明かりを受けて、彼の顔は、蒼白く浮かび上がっていた。……少し前の、怒りで紅潮した顔色など、どこにも感じられない。
「ギル……。ねえ、もういいからっ。私、あのことはただの事故だって、そう思うことにする! すぐ忘れる! だからギルも――」
「忘れろだって!? あのおぞましい光景を、今すぐに忘れろと言うのか!? 今もハッキリと、あの不快な場景が目に焼き付いているというのに!?……まったく、よくも私の目の前で、あのような真似が出来たものだ! この国の執事でありながら、主の恋人を凌辱しようとするなどと、許されるはずもあるまいッ!?」
「……えっ? ちょ――っ、ちょっと待って! りょ、凌辱って、そんな……いきなり、何言い出すの?……アセナさんは、女の人だよ? 凌辱なんて、そんなこと……そんなバカなことあるワケ……」
私の言葉に、彼は小さくため息をついた。
辛そうに目を細め、私の頬に片手を当てると。
「リア。これを教えたら、ウォルフの名誉を傷付けるような気がして、言えなかったんだが……。こうなっては仕方がない。白状するよ。アセナを見て、だいたいの想像は出来ていると思うが……ウォルフとアセナにとって、満月の夜は、完全体――人の姿になれる特別な時間なんだ。そしてその夜は……その夜だけは、その……」
彼はそこで口籠り、言いにくそうに視線をさまよわせたり、目を閉じて、考え込んだりしていた。
しばらくしてから、意を決したように私を見据えて。
「いいかい、リア? 満月の夜だけは……二人は、異常に性欲が強くなるんだ。獣の発情期とでも言ったらいいのか……。とにかく、そんな状態になってしまい……その、だから……満月の夜だけは、彼らはとても危険なんだ。見境なく――とまでは言わないが、目の前にいる人に襲い掛かる可能性が、非常に強くなる。そして、その強い性欲は、自分ではどうにもならないものらしい。だから彼らは、自らを制するために、満月の夜は自室に籠るんだ。それから、その……ウォルフは違うが、アセナの場合……欲望の対象は、異性ではなく……。いや、異性に向けられることもあるんだが、ほとんどの場合は、同性……なんだよ」
言い終わった後の、ギルの気まずそうな顔……。
私の背後にあるであろう、大きな満月……。
その二つが、私の頭の中でぐるぐると回り……何が何だか、わからなくなって……。
「じゃあ……つまり……アセナさん、は……同性……愛者……ってこと?」
呆然とつぶやく私に、
「あらぁ~、違うわよぉ。あたしは、博・愛・主・義・者っ♪」
やたらと陽気に、アセナさんが訂正して来て……。
え……博愛?
博愛って……つまり、どーゆーこと……?
えっ……と……。
アセナさんは、同性(私)に、キス……して……。
でも、異性(シリル)にも、キスし……て……。
……あ。だけど……。
そー言えば、あの時……『なんだ、男か』って、言ってた……っけ……。
……え?
でも……博愛ってことは、つまり……。
……あれ?
……あれあれぇ~……?
そこで思考がストップし、軽いめまいを覚えて――私はそのまま、ギルの胸に倒れ込んだ。