第1話 真夜中の衝撃
ふと、微かな物音を聞いた気がして、目が覚めた。
……物音。
ベッドの上――布の上を、誰かが這ってるみたいな音。
……ん?
『誰か』?
『這ってる』――?
意味がわかった瞬間。
ゾッとして、私は恐る恐る、音のする方へと目をやった。
「ヒ――ッ!」
思わず声が漏れてしまい、慌てて両手で口をふさぐ。
視線の先には、知らない女の人がいて。
シリルの華奢な体をまたぎ、両脇に手をついて、顔を覗き込んでいた。
私は大きく息を吸い込み、助けを呼ぼうと口を開いた。
すると、その人はゆるりとこちらに顔だけを向け、肩辺りで切り揃えられている、銀色に輝く美しい髪をかき上げると。
慌てる素振りなど微塵も見せずに、妖しく微笑んだ。
圧倒的な美貌と妖艶さ、仕草に魅入られ、私はポカンと口を開けたまま固まった。
「フフ……。少ぅしだけ、静かにしてて?……ね?」
やたらと艶っぽいささやきに、思わず赤面してしまう。
その隙に、まだ眠っているシリルの頬を両手で包み込むと、彼女は彼の唇に吸いついた。
「――ッ!?」
正に、『吸いつく』って表現がピッタリだと思えるような、唇の動きだった。
恥ずかしくて、目をそらしたくなるような大人のキス。それをシリルにし続け……彼の体の上をすべるように、美しい片手を這わせる。
そこで、ようやく我に返った私は、
「ちょ…っ! 何してるんですかっ!? シリルから離れてっ!!」
大声を出し、謎の女性に飛び掛かるようにして、彼女の顔を、シリルから引き離しに掛かった。
シリルもいつの間にか目を覚まし、必死に手足をバタつかせ、彼女から逃れようともがいている。
だけど、想像以上に彼女の力は強くて。
私がどんなに引っ張っても、叩いても、シリルがめいっぱい抵抗しても、体の上から、ピクリとも動かなかった。
「ちょっとやめてっ! やめてってばぁッ!!」
それでも諦めずに、ドンドンと彼女の体を叩き、腕を引っ張り続ける私の目に。
突如、信じられない光景が映った。
なんと、彼女は――シ、シリルのかっ、かかか下半身に――っ、て、手をっ、手をぉおお……っ!!
「――っ! んんーーーッ!? んんんーーーッ!!」
唇をふさがれたまま、シリルが悲鳴を上げるみたいに、くぐもった声を漏らす。
そこで突然、彼女はカッと目を見開き、飛びのくようにして彼の体から離れた。
それから、チッと小さく舌打ちし、唇を手の甲で拭ってから、悔しげに顔を歪めると、
「なんだ、男か」
とつぶやいた。
…………へ?
『なんだ、男か』……?
彼女が発した言葉の意味がわからず、呆けている私と目が合うと、彼女はニヤリと笑って、
「あ~らぁ……。よく見ると、こちらもなかなか……」
言いながら、私の腕をつかむ。
「へっ?……え……?」
気が付くと、私は体を引き寄せられ、後頭部に手を置かれて、彼女の顔を真正面から見つめていた。
「あ……あの……?」
口を開いたとたん、彼女がガバっと覆い被さって来て。
何故か私は、シリルと同じ被害に遭っていた。
「んっ?……んんっ?……んんんーーーーーッ!?」
ギルとは全く違う、唇と舌の感触――。
私はあんまり驚いて、すぐには体が動いてくれず。
されるがままに、もてあそばれ続けた。
……え、なに……?
え……え……?
…………えっ!?
もしかしてキスされてるッ!?
な――っ!……なんなのっ!?
いったいなんなのこの人ぉおおおーーーーーっ!?
一気にパニック状態になった私は、彼女の髪を引っ張り、背中を叩きまくり、足を思い切りバタつかせた。
それでも彼女は怯むことなく、私にキスをし続け……とうとう、胸まで触られた。
「――っ!?」
……嫌ッ! そんなとこ触らないでッ!!
離してッ、どいてぇえええーーーーーッ!!
ショックが大きすぎて、涙がにじんで来る。
……ワケがわからない。
なんで私、こんな……どこの誰かもわからない女性に、キスなんかされちゃってるの!?
おまけにこんな――っ、むっ、胸まで触られ……っ!!
ヤダ……。こんなのヤダ……!
こんなとこ……こんなとこまだ、ギルにだって触らせてないのに……ッ!!
助けを呼ぼうとさまよわせた視線の先に、自分の体を抱き締めながら、ブルブルと震えているシリルの姿が映った。
シリル、助けて――!!
涙目で訴えるけど、彼もすっかり怯えてしまっていて。
とてもじゃないけど、助けを求められる状態じゃなかった。
あんな形で、強引にファーストキス(だよね?)を奪われて、下半身まで触られちゃったんだから……怯えちゃうのも無理はないけど。
でも……でも、せめてシリル……。
せめて隣の部屋から、ギルを……ギルを呼んで来てお願いぃいいいーーーーーッ!!
心で絶叫した瞬間、
「リアッ!! 今、悲鳴のようなものが――っ?」
すごく大きな音を立ててドアが開き、ギルの声が聞こえた。
私は心で何度も何度も、彼の名を呼ぶ。
「おまえ……。アセナ!? アセナかッ!?……クソッ、どうして――!」
上品な貴族らしくない声を発し、ギルがこちらに駆け寄って来て、
「やめろアセナッ!! 私の恋人に触れるなッ!!」
彼女の体を力ずくで引き離し、頭から毛布を被せて、かなり乱暴に押さえつけた。
「満月の夜に、何故出歩いている!? おまえとウォルフは、それぞれの部屋で、籠っていなければいけないはずだろうッ!?」
両腕を後ろに回された形で、強く体を押え込まれた彼女は、毛布の下で何やらわめいている。
「うるさいッ、黙れッ!! 落ち着くまでこうしているぞ!! 当然の処置だ、このあばずれめッ!!」
女性に対しては、いつも優しいギルだけど。
珍しく、本気で腹を立てている声の調子だった。
睨みつけるように、『アセナ』と呼ばれた人を見下ろし、大きく肩で息をしている。
ハッとしたように顔を上げると、彼は私の方へ、気遣わしげな視線を向けた。
「リア、すまない。驚かせてしまっただろう?」
私はまだ、ショック状態から完全に立ち直ってはいなかったけど、
「う……ううん……。今は、もう、大丈……夫。……それより、その人はいったい――?」
どうにか声を絞り出し、やっとのことで訊ねる。
ギルは、大きなため息をひとつつくと、
「こんな形での紹介になってしまって、申し訳ないが……。この女はウォルフの姉で、アセナというんだ。フレディ専属の執事をしている。……まったく。昔から人騒がせな女だよ」
眉間にしわを寄せ、吐き捨てるように言った。
「……え?……ウォルフさん、の……オネー……さん?……え……え?…………えぇええええーーーーーーーッ!?」
真夜中にもかかわらず、私は心底びっくりして、大絶叫してしまった。




