第4話 罪悪感
約束……。
ギルとの、約、束……。
『次に私に会う時まで、この唇は……誰にも触れさせないで欲しい』
「――っ」
別れの日の、ギルとの約束。その言葉が脳裏に蘇り――私の心は、たちまち後ろめたさで塗り潰される。
「ギル……。約束、って……」
胸が詰まる。声がかすれる。
私は……。
ギル、私……約束を……。
「ああ。ちゃんと守ってくれたね。次に会う時までに――『ギル』と呼んでいて欲しい、という約束を」
「――っ、……あ……ああ……」
……なんだ。
もう一つの方の約束のこと、か……。
「一度は呼んでくれたのに、またすぐに『王子』に戻ってしまっていたから……正直、不安だったんだ。呼んでいてくれて、ありがとう」
「そ、そんなの……。べ、べつに、お礼……言われるほどのこと、じゃ……」
……どーしよう。
罪悪感で吐き気がする。ギルの目を直視出来ない。
だって私は……私はギルとの、もう一つの約束を……。
「リア……」
ギルが私の手を取り、ゆっくりと自分の顔に近付ける。そしてその手に視線を移すと、ハッと目を見開いた。
「そうか。薄暗い部屋だから、今まで気付かなかった。――すまない、リア。すぐに湯浴みの用意をするよ。着替えもどうにかして揃えよう」
「……え?」
いきなり話が飛んで、思考の切り替えが出来ない。
戸惑いながら見上げる私に、
「致命傷を負った少年を抱き締めていたのだから、服も手も汚れていて当然だ。もっと早くに気付いてあげられればよかったんだが……」
彼はそう言って体をどけると私を抱き起こし、申し訳なさそうに両手を握った。
何気なく自分の手を見て、ようやく状況を把握する。手も服も、ところどころがシリルの血で赤茶色に染まっていた。
「ここでもう少し待っていてくれ。ウォルフに着替えを調達して来るよう、頼んでみるよ」
「あ……。は、はい――」
部屋を出て行くギルの背中を見送った後、私は深いため息をついた。
私、今……ホッとした。
もう一つの約束のことに触れられずに済んで……ホッと、しちゃった……。
……どーしよう。この先きっと、話を振られる時が来る。
その時、私は……ギルに、なんて説明すればいいの?
私は……私は、ギルとの約束を守れなかった。
何度も……何度も、カイルのキスを受け入れてしまった。
ギルとの約束を、ちゃんと覚えていながら……ギルのことを気にしていながら、守れなかった。
あの時は……精神的に不安定に見えたカイルが心配で……。
ここで私が拒否したら、カイルの心が壊れてしまうんじゃないかって、怖くて……すごく怖くて。
ああすることが、一番いいことのような気がしたの。
ギルのことも気になってたのは事実だけど……。
でも、ギルならきっと、ちゃんと事情を説明すればわかってくれるって……許してくれるって、そう……思って……。
――甘えてたんだ。
優しいギルに。大人のギルに、甘えきってた。
大人だからとか子供だからとか、そんなこと……人を傷付けていい理由になんか、なりはしないのに……。
こんな私……。
ギルを何度も裏切った私に、優しくしてもらう資格なんてない。
でも、そうは思ってても、私……ギルの側にいたい。
嫌われたくない。嫌われたくないよ――!
あの時――神様に示された扉のうち、迷わずに右の扉を開けた時――あなたの顔が浮かんだ。
その時に、私はあなたを選んだんだって感じたけど……それでもまだ、半信半疑だったの。
だけど、さっきあなたに抱き締められて……言葉では言い表せないくらいの幸福感に包まれた。
すごくホッとして……心が穏やかになって……。
シリルのことが心配で、ずっと張り詰めてた心が、嘘みたいに和らいで……。
ああ、私……この人が好きなんだって、素直にそう思えた。
……やっとわかったのに。
自分がホントは、誰を求めてるのか。誰に一番、側にいて欲しいのか……。
やっと……やっとわかったのに。
わかったとたん、自分が、どれほどひどいことを、ギルにしちゃってたのか気付くなんて……。
……バカだ。
ホントに、救いようのないバカだ。
ごめんなさい。
ギル……ごめんなさい。ごめんなさい!
謝ったって、今更どうにもならないことはわかってる。
どんなに謝ったって、悪いと思ったって。
起きてしまったことは、なかったことには出来ないし、過去をやり直せるワケでもないって、わかってるけど。
でも、それでも……どうしても、謝らずにはいられなかった。
……私はズルい。
謝ることで……謝り続けることで、自分の気持ちを楽にしようとしてるんだ。
楽になんてなっちゃいけないのに……。苦しみ続けなきゃいけないのに。
私はどこまで自分勝手で、欲張りな人間なんだろう。
こんな私……ギルに愛される資格なんて……。
「――っ!」
いきなりノックの音が響いて、私は反射的に顔を上げ、ドアへと視線を走らせた。
「リア、用意が出来たよ。出ておいで。体を清めて、服も着替えた方がいい。そのままでは、気持ちが悪いだろう?」
……ギルの顔、今は見たくない……。
そう思ったけど、ここにずっとこもってることも出来ない。
私はのろのろと立ち上がり、ドアの方へ向かった。