第7話 指輪の効能
「どうしたの、リア? 今日は暴れないんだね。もしかして、このまま素直に……全てを委ねる気になった?」
優しく頭を撫でながら、ギルは耳に唇を押し当てて、やたらと艶めいた声でささやいた。
息が耳に掛かってムズムズするのを、ギュウっと目をつむってやり過ごして、私は顔を上げて反論する。
「そ、そーゆーワケじゃないけど……。ただ、ギルは『心から求めてくれるまで、いつまでだって待つ』って言ってくれた。それを今、思い出しただけ」
繰り返し頭を撫でてくれていた手が、ピタリと止まる。
彼は少しの沈黙の後、私の左手を柔らかくつかみ、自分の顔の前まで持って行くと、指先を愛でるように見つめ、親指の腹で数回撫でた。
「ギル……?」
くすぐったくて、振り払いたくなる。
でも、指先を見つめる彼の瞳が、あまりにも寂しげで……。
私は、ほとんど無意識に、彼の頬へと手を伸ばしていた。
彼はうっとりした顔つきで、私の手を受け入れると、
「……ずるいな、君は。少し前に言った言葉を持ち出して、私を縛るなんて。それを言われてしまったら、何も出来なくなってしまうじゃないか」
口元に笑みを浮かべて、手のひらに、軽く唇を押し当てる。
「そっ、そんな、縛るなんて……。私はただっ」
「いいんだ。わかっているよ。君が悪い訳ではない。私がいけないんだ。君を前にすると、封じ込めたはずの欲望が、いとも簡単に湧き上がって来て……どうしようもなく求めてしまう」
「な――っ!」
……なんだか、とてつもなく恥ずかしいことを、言われてしまった気がするんですけど……。
もう!
どーしていっつも、こんな顔から火が出ちゃうようなセリフを、真顔で言えちゃうのよこの人はぁああーーーっ!?
私の心臓はバクバクと暴れ出し、顔は急激に熱くなった。
お風呂に入ったばかりなのに、額やうなじや脇の下にまで、汗がにじんで来てしまい、落ち着かなくなる。
それに比べて、彼はすごく冷静で、そっと私の手を外すと、指先に視線を落とした。
「この指輪は、身につけている人を、全ての災厄から守ってくれると言われているが……どうやら、君には効果があったようだ」
「……え?」
唐突に指輪の話をされ、戸惑ってしまう。
彼は感触を確かめるように、親指の腹で指輪をゆっくりと撫で、
「この指輪を目にすると……たとえ、どんなに想いが燃え上がっていようとも、即座に静めてくれそうだからね」
フッと笑って、私の様子を探るように目を細めた。
「指輪が……え、なに?」
彼が何を言っているのか、よくわからなくて、私はきょとんとして首をかしげる。
彼は、のみ込みの悪い生徒を前にした先生みたいに、一瞬、苦笑を浮かべたかと思うと、強く私を抱き寄せ、耳元でささやくように告げた。
「ね、リア……? 本音を言ってしまえば、私は今すぐにでも、君をこのベッドに押し倒したい。前言など全て撤回して、私だけのものにしたい。君の全てが欲しい。君がどれだけ拒否しようとも、力尽くで純潔を奪ってしまいたい。……そんなことさえ考えている」
「ふぇっ?……な、ななっ、なにを言っ――」
息苦しいほど心臓が激しく暴れ出し、全身が燃え立つように熱くなった。
『本音を言ってしまえば』!?
『前言など全て撤回して』!?
おまけに『君の純潔を奪って』……って!
なにそれっ? なんなのそれっ!?
『前言撤回』って、それはつまり……。
つまり、さっき私に言ってくれたこと、全てなかったことに……って、そーゆーことっ!?
じょっ……、冗談じゃないわよぉおおおおーーーーーッ!!
私はパニクり、『思いっ切り叩いたり蹴ったりしてやろう! 治癒能力があるんだから、半殺し程度に痛めつけたって、全然問題ないよねっ?……そーよ。遠慮はいらない! 遠慮なんかしてたら、こっちに危険が及んじゃうわっ!』と心に決め、すぐさま実行に移そうとした。
だけど、
「それでも、どうしても……どんなに欲望に衝き動かされようとも、君を抱くことが出来ないのは……ひとえに、嫌われたくないからだ。君に嫌われたら……少しでも疎まれようものなら、私は生きて行けない。……君の体を力ずくで手に入れることなど、たやすいことだ。だが、そのせいで――君の心が私から離れてしまうようなことになっては、意味がないんだ。私は、君の心も体も、両方欲しいのだから。どんなに苦しくても、切なくても、君の許しが得られないうちは……乱暴なことなど出来やしない」
「――っ」
叩いてやろうと握り締めていた手が、彼の体に触れる寸前で止まる。
てっきり、強引に迫って来るつもりなんだと、身構えてしまっていた私は、見事に気勢をそがれた形で、ゆっくりと拳を下ろした。
「それに、その指輪。それが目に映ると、どうしても行動に抑制が掛かってしまう。なんだか、母にたしなめられているようで……落ち着かない気持ちになるんだ」
「……ギル……」
この指輪に、そんな効力があったなんて……。
じゃあ、今度から、迫られそうになった時には、目の前にこの指輪をかざせば……!
ギル自身の口から、危機回避のヒントをつかみ、私の心は一気に晴れ渡った。
これでもう、どんなに強引に迫られたって、怖がる必要ないんだと思うと、心底ホッとした。
「だからね、リア。もし君が、私に全てを委ねる気になってくれたら、指輪を外して、ひとときだけ、私に預けて欲しいんだ。私はそれを受け取ることで、君の決意が固まったことを知ることが出来る。……ね、いいだろう?」
髪をすくようにして、何度も何度も、ゆっくりと頭を撫でられ……その心地よさに、恍惚としてしまう。
飼い猫が、ご主人様の膝で、頭や体を撫でてもらう時も、こんな感じなのかな?……なんて、ちょっと思ってしまったりして……。
「リア? どうして黙っているんだい? 私の願いは、聞き入れてはもらえない……?」
不安げなギルの声に、夢見心地な状態から現実へと引き戻され、私はふるふると首を振った。
「うっ、ううんっ。そんなことないっ。……え、と……わかった。心の準備が出来たら、ギルに指輪……渡せばいいんだよね?」
「ああ、そうだ。……その時が、なるべく早く訪れてくれるといいんだが……」
くすりと笑って、ギルは耳たぶを唇で挟むと、舌先でちろりと舐めた。
「――っ!」
瞬間、ザワザワっとした感覚が背筋を走り、ギュウっと彼の服をつかんでしまった。
「ギ、ギルっ?……まだ、指輪渡してないけどっ?」
カッとなって抗議の声を上げると、
「あれ? キスまでは許してくれているのではなかったのかい?」
不思議そうに顔を覗き込まれ、はたと思考が止まる。
「え……あれ?……えっと、今のも……キス、なんだっけ?」
「そうだよ。キスまでは許してくれるだろう?」
「う……? う、うん……」
戸惑いつつ返事すると、彼はまた、例の魅惑的な笑みを浮かべ、
「では、遠慮なく――」
そう言って首筋に唇を当てると、チュッと音を立てて吸いついた。
「ひっ?……あ……。ちょ――、ちょっと、ギルっ?」
「これもキスだよ。もうわかっているよね?」
「そ、れは……そう、だけど……」
「だったらいいじゃないか。……ね? もう少し……」
彼は甘い声でささやき、鎖骨の辺りまで唇をすべらせた。そしてなぞるように、ゆっくりと舌を這わせ……。
「ひあっ……あ、あ…………あ?」
薄目で彼の様子を窺うと、いつの間にか、毛布が肩からすべり落ちていて、大きく開いた胸元が……。
瞬間、体中がわなないて、
「い……っ、イヤぁああああーーーーーッ!!」
私はギルを突き飛ばした後、大きく腕を振り上げ――勢いつけて振り下ろし、彼の頬を打った。