第16話 勇気を出して
……怖い……?
今、『怖い?』って訊いたの……?
そんなの……。
――そんなの――っ!
「怖い、よ……」
自然に口からこぼれ落ちた言葉。
ギルはハッと息をのみ、辛そうに顔をゆがめた。
「怖いよ。怖くないワケ、ないじゃない……。いつも……いつも、こんなことばっかり繰り返して……。こんな風に強引に、体を押さえつけられて。……怖いよ。怖いに決まってる。今だけじゃない。ずっと……ずっと怖かったよ!!」
「……リア……」
彼の体から一気に力が抜け、私の両腕は解放された。
その隙に、彼の視線から逃れるため、両腕で顔を覆う。
「どーしてギルは、こんなことばっかりするの? どーして、そんなに急ぐの? 私達、お互い好きだってわかって……まだまだ、これからなのに。なのにどーして……どーしてすぐ、もっといろいろなことしようとするの?……私は、ギルが好き。好きだから……頭撫でてくれたり、ギュッてしてくれるだけでも嬉しい。すごく幸せ。キスだって嬉しいよ? でも――!……でも、その先は……やっぱりまだ、怖い……。これって、おかしいこと? 好きな人に好きって言ってもらえて、頭撫でてもらえて、ギュッてしてもらえて、キスしてもらえて……それだけでも充分幸せって……そう思っちゃう私は……変、なの……?」
ギルが何か言うかと思って、しばらく待ったけど、彼は黙ったままだった。
その沈黙が怖くて……怖いからこそ、まるで追い立てられるかのように、話し続けた。
「好きだったら、すぐそーゆーことしちゃうのが、当たり前なの? 好きな人と、そーゆーことするのが怖いって思っちゃうのは、異常? 私が変なの? 間違ってるの? 普通の恋人同士は、みんな――みんな急いで、そーゆーことしちゃうものなの?……もっとゆっくりじゃ……ダメ? どーしても、今じゃなきゃダメ? もし……もしも、今ここで、私がギルを拒否したら、ギルは私のこと――っ」
続きを口にしようとして、出来なかった。
だって、その質問をして、もしも肯定されてしまったら……私はいったい、どーすればいいの?
そう思ったら、胸が苦しくて……なんだか、泣きそうになってしまって、結局、訊けなかった。
「ギルが……どーしても今じゃなきゃダメって言うなら……そうしなきゃ不安だって言うなら、私…っ!……私……」
ああ……待って。本当にいいの?
今ここで、ギルの想いを受け入れて……彼の望む、その先に進んでも、ホントのホントに後悔しない?
「ギル……。ギル、何か言って? 私ばかりに話させないで、何か言ってよ。……ずっと黙ってるなんて、ズルイよ。ギルの……あなたの本当の気持ちを聞かせて? 私はどうしたらいい? ギルがホントに、心の底からそれを望むなら……私、頑張るから。怖いけど……やっぱりまだ、ちょっと怖いけど……ううん、すっごく怖いけどっ。……でも、ギルが絶対そうしたいってゆーなら、私……」
そこで大きく息を吸って、深く、長く息を吐くと、勇気を振り絞って伝えた。
「いいよ。しよう?……いいよ。ギルの好きにして。……それにね、考えてみたら、私……あなたが目覚める前、自分と約束しちゃったの。『あなたが目覚めてくれるなら、あなたが望むこと、なんだってする』……って。だから、ここであなたが望むことを拒んだら……自分との約束、破ることになっちゃうの。……ね、ギル。あなたの望みを教えて? ちゃんと言ってくれたら……私もう、迷わないから。ギルが心から望むこと……何でも、する……から……」
やっぱり、最後の方は声が震えた。
自分でそうするって、決めたことだけど……。キスの先って、頭では、なんとなくわかってるけど……。
でも、私にとってそれは、まだまだ未知のことで……。
「リア……」
ギルはようやくそれだけつぶやくと、顔を覆っている状態の私の腕をつかみ、どかそうとし始めた。
「ちょ…っ!――やっ、ヤダっ! やめてよギルっ! 腕どかさないでっ!」
「いいや、やめない。君の顔が見たいのに、この腕が邪魔だ」
「顔見られたくないから、隠してるんだってばっ! だからそんな――っ!……い、痛いっ! 痛いよっ」
必死に抵抗したけど、彼の力に敵うはずもなく――私の腕は、易々と顔の両端に移動させられ、押さえ付けられた。
「……やっと見えた。君の可愛い顔」
ふっと笑って、彼は何とも言えない表情で、しばらくの間、私の顔を凝視していた。
「ヤダ……。そんなに見ないで……」
恥ずかしくて目をつむると、額に唇が触れる感触がした。
「ダメだよ、目をつむっちゃ。君の顔が見たいって言ったろう?」
「……だ、だから……。見られたくない……んだってば」
「ダメだ。私は見たい」
「ヤダ! 見せたくないっ」
「見たいよ」
「見せたくないっ」
「見たい」
「見せないっ」
そんなやりとりの後、しばしの沈黙。
「……っぷ――!」
どちらともなく吹き出すと、私達は声を上げて笑った。
互いの笑いが治まるのを待って、数秒……何も言わずに見つめ合う。
「……大好き。ギル……」
「ああ。私もだ」
どちらともなく目をつむると、私達はゆっくりと唇を重ね、ついばむようなキスをし合い、それから、深いキスへ――。
そうして幾度もキスを受けるごとに、私の意識は遠のいて……うっとりと沈んで行く。
体の力が抜けて……ふわふわと漂う感覚だけに、意識が侵食されて……。
「――っ!」
『恋人の印』を残されたところに、しびれるような刺激が走った瞬間、彼は体を起こした。
まだぼうっとしている私の頬を、手のひらで優しく撫でる。
「……ギル……?」
てっきり、その先をするものと思っていた私は、問うように彼の名を呼ぶ。
彼は優しい笑みを浮かべ、
「いいんだ、リア。今はまだ、私の望むことなら『何でもする』――そう言ってくれた、君の気持ちだけで充分だ。辛い想いをさせてまで、己の想いを遂げようとは思わないよ。だから……もういいんだ」
「……ギル……」
胸が詰まって、言葉が出て来なかった。
ホッとした気持ちと……それから、ほんの少しだけ、肩透かしを食らった気分で、泣き笑いみたいな顔になってる気がする。
ギルはそんな私の頭を、何度も繰り返し撫でてくれて……。
ふいに、私の両腕を引いて起こすと、ギュウッと抱き締めた。
「ありがとう、リア。……すまなかったね。激情に駆られて、また傷付けてしまうところだった」
「ううん、いいの。私こそ……いつまでも思い切れなくて、ごめんなさい。きっとすごく……待たせちゃってるんだよね?」
「……そんなことはないさ。君を傷付けてしまうくらいなら、いつまでだって待つよ。君が心から、私を求めてくれるまで。……きっと、ね」
そう耳元でささやくと、髪をすくように、幾度も幾度も撫でてくれる。
「だが……さすがに、数ヶ月や、年単位で待たされるのは辛いな。出来るだけ早く、心の準備を進めていてほしいものだけれど……」
「う――。が……頑張り、ます……」
くすっと笑う声がして、ギルは柔らかく、私のこめかみにキスをする。
たったそれだけでも、くすぐったいくらい幸せで。このまま、何時間でもこうしていたいと願ってしまう。
傍から見たら、私達はどんな風に映るだろう?
……きっと、バカみたいに見えるんだろうな。
何やってるんだろって、呆れられちゃうかも知れない。
……『恋』って、人を『バカ』にしちゃうものなのかな?
そう考えたらおかしくて、私は恋人の腕に包まれながら、くすくすと一人笑った。