第3話 翻弄されて
「ひ…っ!」
ぞくっとして身を引くと同時に、私はありったけの力でギルを突き飛ばしていた。
「――っと。ひどいな。いきなり何をするんだい?」
言葉では責めつつ、顔には意味ありげな笑みを浮かべながら、彼が小首をかしげる。
出た……。
とうとう出た。ギルの十八番、『余裕たっぷりおねだり攻(口)撃』――ッ!!
私は恐怖し、彼から出来るだけ離れるため、じりじりと後退した。
すると彼は、またくすりと笑って。
「どうしたんだい、リア? そんなに離れて」
「だっ、だってギルがっ!……また変なこと、考えてるからっ」
「――私が? 私が何を考えているって?」
「そ……っ、それは……。わからない、けど……」
言いよどむ私を見て、彼はくすくす笑いながら、ゆっくりと近付いて来る。
「まったく、ひどいな。私は、君が言っていたことの答えを訊ねただけだよ?……まさか、自分が何を言ったか、忘れてしまったのかい?」
「わっ、忘れてなんかないっ!……けど……。でもっ、あの……。ってゆーか、なんでこっちに来るんですかっ!?」
「何故って、君が離れるから」
「離れたいから、わざわざ後退してるんですッ!! 勝手に距離を詰めて来ないでッ!!」
「どうして? 私が側に行くと、何か不都合なことでもあるのかい?」
「あっ――ある……ってゆーか、きっとこれから、不都合なことが起こりそう……ってゆーか……ですっ! だから、こっち来ないでってばっ!!」
じりじりと後退し続ける私と、ゆるゆると近付いて来るギル。
距離がどんどん縮まるごとに、私の鼓動はバクバクと激しくなって行く。
「来ないでっ!! ヤダッ、来ないでってばぁああーーーーーッ!!」
後退するスピードを速めたとたん、何かに足を取られた。
「え…っ?」
想定外のアクシデントに、とっさに体が反応出来ず、私は仰向けに倒れそうになって――。
「リアっ!」
床に後頭部を打ちつける寸前で、ギルの右腕が頭と床との間に入り込み、私は危ういところで難を逃れた。
「ああ……よかった、間に合って。どこか痛むところはない?」
「は――、は……い……」
「そうか。……本当によかった。君に何かあったら、私は正気ではいられない……」
さっきまでとは打って変わった真剣な声色で、頬に掛かった髪を優しく払い……ギルは切なげな瞳で私を見つめる。
「しょ、正気では、って……。また、そんな大袈裟なこと――」
「大袈裟ではないよ。以前にも言ったろう? 人の世は、いつ、何が起こるかわからないって。ほんの些細なことでも、大事になる可能性は、充分にあるんだよ」
まるで聞き分けのない子を叱る母親のように……ギルはどこか寂しそうな顔で、私の頭を何度も撫でた。
「わ……わかった。わかりました、から……そろそろ、どいてくれません……か?」
倒れたところを、すんでのところで救われた私は、覆い被さるように横たわった、ギルの真下にいた。
「どく?……そうだな。どうしようかな……?」
……また、面白いおもちゃを見つけた時みたいな顔して……。余裕たっぷりの笑顔で。
「ど、どーしよーかなって、どーゆーことですかっ? ただ、どいてくれればいーだけでしょっ?」
焦って言うと、ギルは左手で私の頬に触れ、ささやくように訊ねた。
「……どうしても、どいて欲しい?」
「あっ、当たり前ですっ! 早くどいてくださいっ!――こ、この姿勢、苦しいですっ!」
「……苦しい?」
「そーです苦しいですっ! ギルが邪魔でッ!!」
くすくす笑いが本格的な笑いに変わりそうな勢いで――ギルはさもおかしそうに、私の上で笑っていた。
それから、どうにか笑いを抑えると、
「そうか。私は邪魔か。……君はやはり、ひどい人だね。助けてもらった相手に対し、そこまで冷たいことが言えるなんて」
「う……っ」
痛いところを突かれて、言葉に詰まる。
「本当にひどい人だ。さっきまで君のために、少年の命を救おうと必死になっていた相手に――今こうして、君の頭を床から守った相手に対しても、そうやって、冷たい言葉を投げつけることが出来るのだから……」
ギルは私の髪をすくように撫で、たまに毛先を指に巻きつけたりしながら、柔らかい口調で私を責める。
ダメ……。引っ掛かっちゃダメ。
どーせまた、私を罠に掛けようと……あれこれと策略を巡らせてるに決まってる。
私だって一応、学習能力はあるんだから。
もう二度と、似たような手に引っ掛かったりしないもんねっ!!
「ひ――、ひどいと思うなら、ひどい人で結構です! だからさっさとどいてくださいっ! わ、私はもうっ、ギルの思い通りになんか、ぜ、絶対っ、なってなんか、あ、あ――あげないんだからッ!!」
つっかえつっかえながらも、一気に思いを伝えると、ギルはちょっと驚いたみたいに目を見開き、じぃっと私を見つめた。
ほ、ほら――!
私だって、反撃する時はするんですからねっ!……罠に気付かず、うっかりハマってばっかじゃないんだからっ!
どーだ、参ったか!? なんて言いたい気分で、ギルを得意げに見上げる。
今ので降参して、私の上からどいてくれるだろう。――そう思ってた。
……なのに……。
あ……あれ?
おかしーな……。なかなか、どいてくれない……。
ちょ――っ、ちょっとギル? 今のは完全に、私の勝ちでしょ?
負けを認めて、さっさとそこをどい――て……?
え……あれ?
……う……うぅ……?
ま……マズイ……。なんか、とてつもなく……マズイ雰囲気……なんです、けど……?
……だから、どーして……。
どーしてそこで笑うのよぉおおおおッ!?
「リア……」
「ひぇ…ッ?」
ギルの左手が、また私の頬に触れ、そのまますべるように撫で……指先が、顎の下で止まった。
「そう言えば、まだお礼を言っていなかったね。約束を守ってくれて……ありがとう」
「――え?」
その刹那、私の思考は凍り付き――心臓がどくんと跳ね上がった。