第8話 万能執事は侮れない
からかい半分で言ったつもりの、『ドアの外にいても、中の声なんて、結構聞こえちゃったりするんじゃないのぉ?』という私の問いに、ウォルフさんはあっさりとうなずいた。
私は聞き間違いであることを願いながら、
「……え?……聞くことが……出来る、の?」
恐る恐る、もう一度訊ねてみる。
「はい。あくまで『聞こうと思えば』――ですが。意識を集中させなければ、そこまでハッキリと聞き取ることは出来ません」
……そっか。
でも……『聞こうと思えば』、ハッキリ聞こえちゃうんだ……?
そう考えたら、冷や汗がつつぅー…っと背中を伝うのを感じた。
え……聞こえちゃうの?
ドアの外でも聞こえちゃう……ってことは、やっぱり……。
いつもいつも、ギルの妖しい猛攻から、タイミングよく私を救い出してくれてたのは……。
「偶然じゃ、なかった……の……?」
思わず口からこぼれ落ちた言葉に、ウォルフさんは相変わらずの涼しい顔で。
「はい?――いかがなさいました、リナリア様?」
「…………」
……ダメだ。
この人を敵に回したら、きっと恐ろしいことになる。
これからは充分、言動には気を付けなきゃ……。
引きつり笑いを浮かべつつ、私は強く心に誓った。
「それでは、申し訳ございませんが……シリル様は本日のみ、こちらにてご静養くださいますように。ギルフォード様が湯浴みを済まされましたら、そのようにお伝え願えますでしょうか?」
シリルをギルのベッドに寝かせ終わると、ウォルフさんは私に向かって言った。
「伝えるのは構わないけど……。どーして『本日のみ』なの?」
「それは……」
困ったように口ごもる彼を見て、思い出した。
「あっ、そっか! 満月の夜は、部屋に籠らなきゃって話だったっけ? それって、一人きりじゃなきゃいけないんだ?」
「……いえ。いけないという訳では、ないのですが……」
やっぱり、この話のことになると、いつものウォルフさんらしくなくなっちゃうなぁ。
全然煮え切らなくて、事情を聞いてなかったら、イライラしちゃってたかも。
「ああ、ごめんなさい。深くツッコんじゃいけないよね。……とにかく、わかりました。シリルのことは、今日は私達に任せてね」
「はい。申し訳ございません。よろしくお願い致します」
深々と頭を下げられて、ちょっと慌てる。
「いやっ、そんな! シリルのこと、無理にお願いしてるのはこっちなんだし。ウォルフさんが頭下げる必要なんてないってば!」
――そうだよ。
本当は全部、主である私が、面倒見なきゃいけないことなのに……。
ギルにもウォルフさんにも、甘えすぎてるよね、私……。
「いいえ。主の大切なお方をお守りするのは、執事であり、ギルフォード様のお目付け役でもある、私の使命でございます。それを、一時的とは言え、主にお任せしなければならぬなど……恥以外の何ものでもございません」
「そっ、そんな! 恥なんて……」
ん~……。
こーゆー、いちいち大袈裟なところは、主従揃って似てるよねぇ……。
「と、とにかく、シリルのことは大丈夫! ウォルフさんは安心して、今夜は部屋に籠っててね」
「はい。そうさせていただきます。――それでは、私は、ひとまず失礼させていただきますが、また後ほど、ご夕食とお着替えをお持ち致しますので……どうか、それまでお待ちください」
そう言って一礼すると、ウォルフさんは部屋を出て行った。
彼を見送った後、私はベッドに崩れるように腰を下ろし、深々とため息をつく。
ハァ……。
なんか、どっと疲れた……。
ウォルフさんは大人で、包容力あって、穏やかで、素敵な人ではあるんだけど……。
同時に、隙がなくて、秘密もいっぱいありそうで……たまに、見てるとちょっとだけ疲れちゃう。
万能執事もいいけど……やっぱり私には、セバスチャンくらい間が抜けてる(失礼?)執事の方が、お似合いなのかもね。
……セバスチャン、会いたいなぁ……。
あのもこもこほわほわの体に、思いっ切り抱きつきたいよ。
「……ね、シリル。私達、いつザックスに戻れるのかなぁ?」
眠り続けるシリルの髪をそっと撫でながら……私はここに来て初めて、『ザックスに帰りたい』と、強く願ってしまっていた。