第8話 追憶からの……
未だに、向こうにいた頃使ってた言葉が、ちょこちょこ出て来ちゃうんだけど。
……それに気付くたびに、何故だか、しんみりした気持ちにさせられちゃうんだよね。
言葉と同時に、向こうの人達との思い出も、浮かんで来ちゃうからかな……。
『お母さんの作ってくれるサンドウィッチは、美味しかったな』とか、『運動会とかで、よく晃人に横取りされたっけ』……とか。
思い出が、一度に波のように押し寄せて来て……そのせいで、こんなにも胸が苦しくなるのかも。
「リア……?」
頬に当たる手の感触で、我に返る。
顔を上げると、ギルが心配そうに覗き込んでいて……。
「大丈夫かい? 何か、悲しいことでも思い出してしまった……?」
気遣わしげな声に、慌てて首を振る。
「ううん。悲しいことなんて、べつにないよ?……ただ、ちょっとね。前にいた世界のこと、思い出しちゃって……」
「……リア……」
ギルは傷付いたような表情で私を見つめると、突然私を掻き抱いた。
「――ギ、ギルっ!?……ど、どーしたのいきなりっ?」
びっくりして訊ねると、彼は私の耳元で切なげなため息を漏らし、
「……悔しいよ。未だに君の心を、私は独占出来ていない……」
と小さくつぶやいた。
「な……っ、何言ってるの? 独占するも何も……ちょ、ちょっと……ほんのちょっとだけ、向こうの世界の思い出に浸っちゃったってだけじゃない。……も、もうっ。いちいち大袈裟なんだから、ギルは――」
「わかっている! 私だってわかっているよ。この程度のことで……君が少し、向こうの世界にいた頃のことを思い出しただけのことで、こんなにも心をざわめかせるなんてバカげていると。……わかっている。わかっているんだ! それなのに――!」
ギルは私の頭に頬を乗せ、頬ずりするみたいに数回顔を上下させた。
片手で背中を撫でながら、震える声で続ける。
「どうしても不安になるんだ。君が向こうの世界のことを思い出す時――それは、その世界と君の意識が、繋がっている時なのではないかと。君が元いた世界のことを思い出すたび、向こうの世界が君を呼んでいるのではないかと。……そうしてまた、君は……私の前からいなくなってしまうのではと、どうしても、そんな思いに囚われて……怖くて堪らなくなるんだ」
今にも泣き出してしまいそうな、心細げなギルの声に、胸がきゅうっとなった。
『そんなことあるワケないじゃない』――笑ってそう言ってあげたいのに……どうしてだかわからない。声が出せなかった。
笑い飛ばしてしまえないほど、彼の声は真剣で……切なく揺れていて、どう返せば安心してくれるのかわからなかった。
「……すまない。こんなことを言っても、君を困らせるだけだとわかっているのに……。私はたぶん、嫉妬しているんだろうな。君の、向こうの世界での思い出に……」
「嫉妬?……私の、思い出に?」
「そう。君の思い出に……。君が大切にしている人、物、出来事――その全てに、私は嫉妬している。ほんの一時でも、君の心を占める、その全てに」
「……全て、って……。そんな、人だけじゃなく、物や出来事にまで妬いてたら――それこそ、キリがなくなっちゃうよ?」
「ああ、そうだね。……本当に、キリがない。だから毎日、心休まる時がないんだ。君のことを考え始めると、ね……」
少しだけ体を離し、ギルは私の頬に片手を当てて、寂しげに微笑んだ。
「自分でも意外なんだ。君に出会うまでの私は、人や物に固執することなど、まるでなかった。むしろ、何に対しても、淡白なくらいだったのに。……まったく。罪なひとだよ、君は――」
そう言って、ギルはもう片方の手を私の顎に当てて顔を上向かせると、ゆっくりと顔を近付けて来る。
「……ギル……」
目を閉じると同時に、唇に彼の熱を感じ、軽いめまいがした。
もう何度も、こうしてキスを交わしてるのに……未だに慣れることが出来ないのは、どうしてなんだろう。
唇が触れた瞬間、体中電流が走ったみたいにしびれて、熱くなって……気が遠くなりそうになる。
このままどこかへさらわれてしまいそうで、無性に怖くなるのに……その一方で、彼に全てを委ねてしまいたい衝動にも駆られて……。
名残惜しそうに唇を離し、ギルは熱っぽく潤んだ瞳で私を見つめ、小さく名を呼ぶと、再び顔を近付けて来た。
私も彼の想いを受け止めるため、目をつむろうとし――その刹那、視界にある人が映り込み、
「ひぇあッ!?」
……と妙な声を上げて固まった。