第2話 傷痕
「な――っ、……なん……だって……? 君の、君の下半身が……むき出しに――?」
ショックを受けたようなギルの声に、私は焦って訂正する。
「むっ、むき出しじゃないってばっ! 一瞬! ほんの一瞬、スカートがめくれちゃっただけっ! すぐ体勢立て直したから、ホントのホントに、すっごく短い間だけだよっ!」
「……だが、一瞬と言えど……フレディは目にしてしまったのだろう? 君の、その――」
「そ、それはそーだけど……。でもっ、厚手の白タイツ穿いてるんだし、直接肌をさらしたワケじゃないからっ」
「しかし、その程度だとしても――まだ十五のフレディにとっては、かなり刺激的なことだったと思うよ。……そうか。それほどまでに衝撃的なことが起これば、忘れようとしても気になってしまうか」
ギルは納得したようにつぶやくと、そのまま沈黙してしまった。
「ギル……?」
ギルの様子を確かめたくて、そろりそろりと両目を開け――瞬間、ドキッとする。
彼はさっきと同じ距離から、私を真剣に見つめていた。――ううん。真剣と言うより、ちょっと怒ったような、不満げな顔で……。
「ギ……ギル?……ど、どした……の?」
「どうしたの、ではないよ! ひどいじゃないかリア。私という恋人がありながら、他の男にそんなあられもない姿をさらすだなんて――!」
「あ、あられもないって……。しょーがないじゃないっ、事故なんだから! 私だって、見せたくて見せたワケじゃないよッ!!」
あんなとこ見られて、顔から火が出るほど恥ずかしかったのは私なのに!
それをまるで、裏切ったみたいな言い方したりして……ひどいのはギルの方じゃない!
相変わらず、頬を両手でがっしり挟まれてて、逃げ出すことも出来ない私は、睨むようにギルを見上げた。
そんな私を、ギルも厳しい目つきで見返し、ほとんど睨めっこ状態になってしまっている。
「……まったく、君という人は……。どうしてそう、たちどころに他人を魅了してしまうんだ? 君がそんな風だから、私は常にやきもきさせられ、気の休まる暇がないんだ」
ギルはそう言って私を抱き寄せると、
「本当に、困ったひとだ……」
こめかみ辺りに唇を寄せ、ため息まじりにつぶやいた。
「もう! 魅了なんてしてないってば! どーしてそーやって、いちいち大袈裟にゆーのっ!?」
ギルの体を両手で押しやろうと必死になりながら、私は大声で彼の言葉を否定した。
ああもうっ! やっぱりこれっぽっちも動きやしないっ!
どーしてこの人、こんなに頑丈な体してるのよっ!? 昨夜殺され掛けた人だなんて、とても信じらんな――っ。
「あ……」
その瞬間、昨夜の出来事がフラッシュバックみたいに襲い掛かり、体から一気に力が抜けた。
「――リア!?」
その場にくずおれそうになった私を素早く抱き留め、片手を頬に当てながら、ギルは心配そうに覗き込む。
「リア! どうしたんだ、リアっ!?」
「……な……なんでも、ない……。ごめんね。ちょっと……昨夜のギル、思い出しちゃって……」
ギルに体を預けるようにして起き上がると、問題ないという意味も込め、やっとのことで笑顔を作った。
「昨夜の、私――?」
「……うん。昨夜のギル、血だらけだったし……。今のギルがあんまり元気そうに見えるから、忘れちゃってたけど……。ねえ、ホントにもう大丈夫なの? ちゃんと治ってるのかなって、今更ながら不安になって来ちゃった」
そう言って見上げる私の頭を、ギルは優しく撫でてくれる。それから安心させるように微笑むと、明るい口調できっぱりと言った。
「大丈夫だよ。傷口はすっかりふさがっているしね」
「……ホントに? ホントにもう、治ってるの? 無理してるんじゃなくて?」
「本当だよ。……ふふっ。昨夜もそうだったけれど……君は意外に心配性なんだね」
「だって……」
誰だって心配になるよ。あんなに大量の血に染まったところ、目の当たりにしちゃったら――。
今、こうやって普通にしてるのが、奇跡みたいに思えるもの。
ギルはからかうようにくすっと笑うと、
「そうだ。そんなに心配なら、自分で確かめてみるといい」
そう言って、体に巻かれた包帯をするすると解き始めた。
「えっ!?――ちょ、ちょっとギルっ!?」
焦って止めようとした時には手遅れで――ギルはあっと言う間に包帯を解くと、足元にぱさりと落とした。
「ほら、見てごらん。傷口が塞がっているのがわかるだろう?」
いきなり目の前で半裸の状態を見せつけられ、動揺した私は慌てて目を逸らす。
「リア? 横を向いていては確認出来ないよ? 私の体が心配だったのではないのかい?」
……声の調子で、面白がってるのがわかる。
まったく、人の気も知らないで……。
こんな時でもこうやってからかって来るところが……もうっ、憎らしいったらありゃしない!
「リア、どうしたんだい? 傷口の状態を確かめなくていいの?」
しつこく訊ねられ、カッとなった私は大声で言い返した。
「わ、わかってるってば! 見ればいいんでしょっ、見ればっ!?」
顔を正面に戻し、睨むようにギルの上半身を見つめる。
たくましく引き締まった体にドキッとし、何故かその瞬間、いつだったかどこかで見た、ミケランジェロのダビデ像なんかが頭に浮かんで……ハッと我に返る。
――ち、違う違うっ!!
確認するのは傷口だからっ! ダビデ像とか、全然関係ないからっ!
ダビデ像の残像を慌てて頭から追い出し、昨夜見た傷の記憶を頼りに、じっと目を凝らし、その箇所を探した。
――やっぱり何度見ても、体のあちこちにある傷跡が痛々しい。
目をそらしたくなるのを必死に堪えながら、私は傷跡のひとつひとつを確認した。
「……うっすらと痕は残ってる、けど……傷は完全にふさがってる……」
呆然とつぶやくと、ギルは再びくすりと笑う。
「だから言ったろう、大丈夫だって?」
「でもっ、あんなに深い傷……。まさか、一晩で完全にふさがっちゃうなんて、誰だって思わないじゃない! いくらギルに治癒能力があるってわかってたって、回復の仕方が驚異的すぎるもん!」
「……まるで『化け物』のように?」
「――っ!……え?」
自嘲するような笑みを浮かべ、自分を『化け物』だなんて茶化してみせるギルに、私は愕然とした。