第5話 絶望の淵で
「え……。シリ、ル……?」
あまりにも突然で、一瞬の出来事だった。
何が起こったのか、すぐには状況がのみ込めず、私は呆然と足元を見つめた。
そこに横たわっていたのは、上半身を真っ赤に染めたシリルで――。
……シリル……。
え、なに? どーゆーこと……?
どーしてシリルが、倒れて……?
それに、なに……?
なんでこんな、血みたいなもので……赤く……染まっ……て……。
「……い……いやぁあああッ!! シリルっ! シリルぅーーーーーッ!!」
ようやく状況を把握した私は、膝をつき、シリルの体を抱き起こした。
「シリルっ、しっかりして! ねえっ、目を開けてっ!!……シリルっ! シリルってばぁッ!!」
頬を軽く叩き、体を揺さぶる。――それでもシリルの瞼は、ぴくりとも動かない。
「シリル……。そんな、ヤダ……ヤダよ。どうして……どーして、目を開けてくれないの?」
「姫様っ、しっかりなさってください! まだ敵が――っ!」
「……敵……?」
セバスチャンの声に、私はゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、一人の男。
頭と顔の部分を、イスラム教の女性達みたいに黒い布で隠していて……服装は、騎士のものじゃなかった。
とっさにイメージしたのは、暗殺者。
外国のアサシンとか呼ばれる人が、以前読んだ漫画で……確か、こんなような格好をしてた気がする。
それにしても、この人……さっきの騎士もどきの人達とは、凄みというか迫力というか……何もかもが全然違う。
『この人には勝てない』って、本能でわかるというか……。
そこまで思って、ハッとした。
冗談じゃない! シリルをこんな目に遭わせたヤツに、絶対負けてなんか――大人しく殺されてなんかやるもんか!
「あなたは誰っ!? 何の恨みがあって、こんなひどいことするのっ!?」
突っ立っているそいつを、憎しみを込めた目で睨みつける。
するとそいつは、くぐもった声でこう答えた。
「恨みはない。これは仕事だ」
「……仕事?」
「そうだ。俺は、受けた仕事は確実にこなす。……悪いが、あんたには死んでもらう」
少しも感情のこもっていないような冷めた声で、そいつは淡々と言い放った。
つと視線を下に移すと、右手にナイフのようなものを握っている。そのナイフの先からは、血のようなものが滴っていた。
血のようなもの――じゃない。あれは血だ。……シリルの……。
あのナイフで、あいつはシリルを……シリルの体を……!
そう思ったら、頭が――ううん、頭どころじゃない。全身が煮えたぎるように熱くなり、思わず叫んでいた。
「冗談じゃないわ! 誰があんたなんかに――! シリルをこんな目に遭わせたヤツを、私は絶対に許さないッ!! どんな理由があろうとも、絶対に――!!」
するとそいつは、(口元なんて布で覆われていて、見えやしないんだけど)ニヤリと笑った気がした。
「許さない?……それで、あんたに何が出来るっていうんだ? 護衛もいない。武器もない。ただ俺に殺されるのを待つだけのこの状況下で――あんたに出来ることがあるのか?」
――出来ること――?
私はちらりと、そいつの後ろにいるセバスチャンを見た。彼はこくりとうなずくと、私をじっと見つめて……。
「確かに、今の私には――出来ることなんて、何もないのかも知れない。武器すら持ってない、女の私じゃ……大人しく殺されるしか、ないのかも知れない。でも――」
「……でも?」
「私にはまだ、頼れる味方がいる!――セバスチャンっ!」
「はいっ、姫様!」
そう返事した後、セバスチャンが大きな鳴き声を上げた。とたん、四方八方から、大きな鳥達が飛んで来て――その男に、ものすごい勢いで襲い掛かった。
「――っ! な、なんだこれは…ッ!?――クソっ! 離れろっ!……このッ! どこかへ行けっ!」
さっきの小鳥とは、大きさも見た目も全然違う――前いた世界で言うところの、ワシやタカなんかの猛禽類――みたいな鳥達に、一斉につつかれたり、大きな爪で引っ掻かれたりして、さすがのそいつも、苦戦しているみたいだった。
その様子を確認すると、私はシリルに視線を戻し、もう一度呼び掛ける。
「シリル、しっかりして! お願い、目を覚まして!」
真っ白な顔――。
頬に手を当て、何度も何度も名前を呼んだ。
「……シリル……」
言いようのない絶望感が襲って来て、気が遠くなりそうになる。
その時、
「……う……ぅ……」
僅かに、シリルが口を動かした。
「シリル!」
生きてる!
大丈夫。まだ希望はある――!
「シリル、待ってて! きっと助かる。助けるからね!」
そう励ますと、私はぎゅっとシリルを抱き締めた。
助ける。絶対助ける!
シリルをこんなところで――私なんかのために、死なせたりしない!
こんな良い子を……優しいこの子を、死なせて堪るもんか!
きつくつむった瞼の裏に、その時ふいに――彼の姿が浮かんだ。
……そうだ。ギルなら――。
治癒能力のあるギルなら、シリルを助けられるかも知れない。
そうよ。ギルならきっと――きっと何とかしてくれる!
「ギル、助けて。シリルを助けて! お願い……!!」
そう言ったところで、どうにもならないことはわかっていた。
ギルは今、ここにはいない。どんなに呼んだって、想いが届くワケもない。
でも、それでも……彼の名を呼ばずにはいられなかった。
ギル……ギル、助けて!
お願い。お願いだから私を――……シリルを助けてっ!!