第7話 来訪者
「兄上! フレデリックです!」
――げっ! フレデリックさんっ!?
どっ、どど――っ、どーしようっ!?
当分戻って来ないって話じゃなかったっけ!?――とパニクりそうになった私は、救いを求めるようにギルへと視線を走らせた。
「落ち着いて、リア。私はまた眠っているふりをするから、君はフレディが出て行くまで、ここに隠れてじっとしているんだ。声を上げてはいけないよ? いいね?」
ギルは小声で告げた後、私がこくこくとうなずくのを確認すると、私の頭上まで掛布をすっぽりと被せ、仰向けに横たわった。
「兄上!……ああ、まだお目覚めになられないのですね。……ウォルフ! ウォルフはいないのか!?」
再びフレデリックさんの声がして、『昨夜はノックもせずにズカズカ入って来たのに、今日はちゃんとしてるんだなぁ……』と感心しそうになったけど、
……あ。そっか。昨夜、『最低限のマナーは守っていただかないと』とか何とかって、ウォルフさんに注意されたんだっけ。……だからか。
でも、言われたことをちゃんと守るなんて、意外に良い子な部分もあるんだ……。
なんてしみじみしてたら、
「兄上、ご就寝中申し訳ございません。入室させていただきます」
という声が聞こえ、ドアが開く気配がして……。その拍子にバクバクと暴れ出した心臓を、必死に両手で押さえつけ、私はひたすら息を殺した。
「……まったく。兄上がこのような状態の時に、誰もお側に置いておかないなんて、不用心にも程がある!――ウォルフめ、後でキツく叱ってやらなければ」
こっちに近付いて来ている間にも、フレデリックさんはぶつぶつと文句を言い続けていた。そしてベッドの前辺りまで来て足を止めると、
「兄上、お加減はいかがですか?……あ。いいはずがないですよね。申し訳ございません」
フレデリックさんは驚くほど優しい声色で、ギルに語り掛けていた。さっきまでの私への傲慢な態度とは大違いだ。
ギルの前では、きっと、いつもこんな感じなんだろうな。
猫かぶってるってゆーか……嫌われたくないから、ひたすら良い子を演じてる、みたいな?
でも、不思議……。
自分のお母さんが殺したかも知れないって人の息子に、ここまで懐いてるなんて。
いくら父親は同じって言っても、罪悪感から近付かないようにするとか、なんかこう……もっとギクシャクしてても、おかしくない間柄だと思うのに。
……それだけ、ギルが気を遣ってたってことなのかな?
小さなフレデリックさんには罪はないからって、優しく接したりしてたのかな?
だからフレデリックさんも、そんなギルを心から慕って……感謝してたりするのかな?
……だとしたら、やっぱりすごいな、ギルは。
前も思ったけど、私がもし、同じ立場だったとしたら。
きっとそんな風に、優しくは出来ないと思う。
頭では、フレデリックさんに罪はないって、わかってたとしても……何事もなかったかのように接するなんて、きっと出来ない。
だって、フレデリックさんを見るたびに、どうしたって思い出しちゃうもの。
目の前で、自分の母親が死んで行った光景を……。その最期の瞬間を。
ああ……考えただけでも、胸が締め付けられる。
そんなひどい経験を、たった九歳で味わわなければいけなかったなんて……。
――いけない!
今、涙ぐんではなでもすすったりしたら、フレデリックさんに気付かれちゃう。
落ち着いて……もっと他のこと考えよう。もっと他の……もっと大事なことでも……。
……って、ん……?
そーだ。大事なことって言えば……私まだ、ギルから肝心な部分の説明、受けてなかったよね?
とっくに起きてたクセに、どーして寝たふりなんかしてたのか、とか……。
それをまた、フレデリックさんの前でも続けなきゃいけない理由って、いったい何?
フレデリックさんとは仲がいいって、ギル言ってたし……フレデリックさんの態度見てても、ギルのことが本当に大好きなんだなってわかる。なのに、そんな彼まで……どーして騙さなきゃいけないんだろ?
……もう!
ギルが途中で、キスなんかして来な――っ、きゃ……。
そこで一気に、さっきのしびれるような感覚が蘇り、私の顔は一瞬にして熱くなる。
ギルの唇の感触が、キスされたところに、まだ残ってる気がして……。鼓動が、激しくリズムを刻んで……。
うわわわわ…っ!
こんな時に、何考えてるのよ私ってばっ?
バカバカっ!
思い出しちゃダメっ! 思い出しちゃダメなんだってばッ!!
……平常心。今必要なのは、平常心を保つことっ!
ぎゅーっと目をつむり、両手を胸元で握り締める。
ドキドキどころじゃなく、バックンバックンバクバクバクドッドッド……と更にスピードを増すリズムに、息苦しさが頂点にまで達しそう。
あーもぉっ、ギルのバカーーーッ!!
ギルが余計なことしなければ、こんな状態にならずに済んだのにッ!
ホントにまったく、この王子は……『キス魔』なんかじゃ、まだ全然、表現がヌルい気がする。
……そーよ、『エロ』。
『エロ魔王』だわッ!
今度から、『エロ大魔王』って呼んじゃうんだからねーーーーーッ!?
一人でぐるぐるしちゃってたら、『……あれ? そー言えばさっきから、フレデリックさんの声が全然聞こえて来ない……?』ってことに思い至り、僅かに首をかしげた。
フレデリックさん、どーしちゃったんだろ?
ギルの様子を、じっと見守ってるのかな?
……あ。
昨夜ウォルフさんに、『静かにしていないと傷に障る』とか言われちゃったこと気にして、黙り込んでるのかな?
「……兄上。これから、少々無礼を働きます。どうかお許しください」
あ、やっとしゃべった。
……んん?
でも、『無礼』って……?
疑問が浮かんだ瞬間。
掛布がガバっとまくり上げられ――私の時が止まる。
…………え?
全身が凍り付いたと感じるくらい、ヒヤリとした空気が流れ……それ以上に冷たい声が響いた。
「おまえ……。こんなところで何をしている?」
びくびくしつつ見上げると、フレデリックさんが真っ青な顔、射るような眼差しでこちらを見下ろしていた。
(こ――っ、……殺されるっ!)
ただならぬ殺気に恐れをなし、私はごくりと喉を鳴らした。