第6話 甘いひととき
ギルは昨夜、私を部屋に残して出て行ってから、しばらく外の風に当たろうと、あの襲われた場所に向かったそうだ。
あそこなら滅多に人も通らないし、一人で頭を冷やすには丁度いいと思ったんだって。
……でも、それってどーなの?
人目につきにくい場所だからこそ、ちゃんと見張り立てとかなきゃいけないんじゃないの?
ギルだって、自分が常に狙われてる立場の人間だってわかってるクセに、どーしてそーゆー場所に、たった一人で行ったりするのよ? 用心が足りなすぎるってもんでしょ!
思わずそう指摘すると、『それは確かに、そうなんだが……』と苦笑して、
「あの通路の先に、別棟があるだろう? そこから更に奥へ行ったところに、あの人が幽閉されている部屋があるんだ。だから、城内の者達は、あまりあの先へは近付かない。あの人には、専属のメイドも見張りも付いているしね。あそこに見張りがいないのは、そのせいもあるんだ」
「あの人……って、アナベルさんのこと?」
「……ああ、そうだよ」
ギルの表情が一瞬暗く沈んで見えて、焦った私は、彼の気をそらすために、他の話を振った。
「そ、それはともかくっ、ギルってば不用心だよ! いくら一人になりたかったからって、あんな寂しい場所に一人で行くなんて。せめて、ウォルフさんに付き合ってもらえばよかったのに」
「……君にそれを言われると辛いな。何せ、あの時の私は、普段の精神状態ではなかったものだからね。そこまで気を回す余裕がなかったんだ」
微かな笑みを浮かべた後、すぐに私から視線をそらしたギルを見た瞬間。
昨夜のことが鮮やかに記憶に蘇り――『あ…っ』と声を上げそうになった私は、慌てて口元を押さえた。
普段の精神状態ではなかった、って……。
ギルを傷付けて、そんな状態にしちゃったのは……他の誰でもない、私だ。
「ご……ごめんなさい……」
一気にしゅんとなってうつむくと、ギルは優しく私を胸元に抱き寄せた。
「リアが謝る必要はないよ。……君が私に伝えたかったことは、今朝ウォルフから聞いた。カイルを選んだと、勝手に誤解したのは私だ。誤解して――君にひどいことを言ってしまった。謝らなければいけないのは、私の方だ」
「……ギル……。でも、私……。私がカイルとキス――しちゃったのは、ホントのことだし……。それについては、何も言い訳出来ない。全部私が悪いの。私が……気持ちもハッキリしないうちに、カイルのキスを受け入れちゃったりしたから……」
罪悪感に息が詰まる。私は、ギュッと自分の胸元をつかんだ。
……そう。完全に私の責任だ。
ギルは当然悪くないし、カイルだって悪くない。
私があの時、ちゃんと拒むことが出来ていたら……カイルだってきっと、あれ以上のことはして来なかったと思うもの。
カイルの精神状態は、確かにちょっと不安定に思えたけど……でも、私が心の底からやめてってお願いしてたら、絶対やめてくれてた。
私がもっと、彼のこと信じてあげられてたら……こんなことにはならずに済んでたんだ。そんな気がする……。
「リア……もういいんだ。そのことは忘れよう。いや、忘れて欲しい。そうでなければ、君は……それを思い出す度に、カイルのことを想うだろう?」
「そ、そんな――っ! 私…っ」
「すぐに忘れてくれなどと、無理を言っているのはわかっている。わかっているが……せめて私といる時だけは、私のことだけ想っていて欲しいんだ。……嫉妬深い男だと、呆れられてしまうかも知れないが……情けないけれど、それが本音なんだ」
「ギル!……私、ギルが好きだってわかってからは、カイルのことそんな風に……好きな人として、心に思い浮かべたことなんてないよ? 私が好きなのはギル――っ、……ギルだけ、だよ……?」
それだけはどうしてもわかって欲しくて、顔を上げ、目をそらさずに――祈るような気持ちで、彼を見つめた。
私が好きなのは、ギルだけ。
カイルには、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだけど……。でも、今更どうにもならない。
気持ちは、走り出してしまったから。
ギルに向かって――ギルだけに向かって、まっすぐに。
「リア……。すまない。君の気持ちを疑っている訳ではないのに、我儘を言ってしまっているね。――だが、わかって欲しい。たとえそれが、特別な気持ちではないにしても……君の心に、一瞬でも他の男の影がちらつくのは、我慢出来ない。どうしようもなく器の小さい男だと、軽蔑してくれて構わない。私といる時だけは、私のことだけ想っていてくれ。お願いだ――!」
ギルは私の頬に両手を当て、瞳を覗き込みながら、熱い眼差しで懇願する。
「……わかった。ギルといる時は、ギルのことしか考えない。ギルだけを見てるし、想ってる」
素直にうなずいた刹那、彼は泣き出しそうな顔をして……でもすぐに笑顔を浮かべると、小さな声で『ありがとう』と言った。
そして片手を私の頭上に持って行くと、かぶっていたキャップをそっと外し、ウォルフさんが結んでくれたリボンをするりと解いた。まとめていた髪がぱさりと落ち、私は彼の意図がつかめぬまま首をかしげる。
「ギル?……どーして、髪を?」
彼は幾度か指先ですくように髪を撫でると、
「まとめ髪の君も新鮮で、それはそれで可愛かったけれどね。……私はやはり、普段の君の方が好きだ。こんなに綺麗な黒髪を隠してしまうなんて、もったいないとは思わない?」
にこりと笑い、髪の束をすくい上げてキスする。
褒められて悪い気はしないけど……でもやっぱり恥ずかしくて、私は両手を頭に持って行きながら否定した。
「そっ、そんな、もったいないなんて言えるほど、綺麗でもないよ。こんなの普通だよっ」
「――普通? このしなやかでまっすぐで……しっとりと輝く髪が?」
ギルはそんなことを言いながら、私の髪をすくい上げ、目の高さまで持ち上げては離し、持ち上げてはまた離す――というような動作を繰り返してから、再び私を抱き寄せた。
「この髪が普通だなんて言ったら、他の女性達の立つ瀬がないよ。謙遜するのも結構だが、ほどほどにしておかないと……」
何度か頭を撫でてから、『いらぬ敵を作るよ?』耳元でささやき、耳たぶにキスをする。
「け、謙遜なんて――っ。……そ、そんな、つもりっ、は……」
言っている間にも、頬に、顎に、首筋に――ギルは優しくキスをして行き、そのたびに、くすぐったいような、軽くしびれるような……その何とも言えない感覚を、ギュッと目をつむってやり過ごした。
「ギルっ。……あ、あの……。まだ、は……話の、続きっ、……ん……」
「ああ……。こちらの用が済んでから、ね……」
「よ、用って……んぁ…っ!」
首筋に唇を押し当てられたまま軽く吸われ――初めての甘い刺激に、めまいがした。
「や…っ、ちょっと、ギル――っ?」
「静かにして、リア。もう少しだけ――」
そう言って押し倒されたところで、ノックの音が響き――二人の間に緊張が走った。