第1話 少しでも近くに
ギルの部屋に戻ると、『昼食の時間まで失礼致します』と言って出て行こうとしていたウォルフさんが、ふいに何かを思い出したかのように振り向き、
「申し訳ございません、大事なことを、まだお伝えしておりませんでした。今朝、ザックスから返書がございまして、執事殿――セバス様は、ご無事とのことでございました」
「えっ、セバスチャンから手紙来たの?……そっか。よかったぁ。無事に城まで帰れたんだ」
「はい。事情をしたため、しばらく、お二人にはこの城に滞在していただきますとお伝え申し上げたところ、『姫様とシリルをよろしくお願い致します』と」
「そっか。……ありがとう、ウォルフさん。何から何までお世話になっちゃって」
「いいえ。当然のことをしたまでです。――それでは、私はこれにて失礼致します」
「はい。――あっ。えっと、それから……私のお昼のことなんて、気にしなくて大丈夫ですからっ! ウォルフさんも、お仕事大変でしょうし、あまり無理しないでくださいね?」
人目を気にしてお昼ごはん用意するなんて、結構気を張ることだろうし……。
ウォルフさんが怪しまれちゃったりしたら、それこそ一大事だもん。
一日二食――ううん、一食くらいになったとしても、迷惑掛けてる立場なんだし、我慢しなきゃいけないよね。
ダイエットになってちょうどいい、くらいに思っとけば、そこまで辛くならずに済むだろうし。
ウォルフさんは、『お気遣い感謝致します。ですが、どうかご心配なく。その辺りは、こちらも抜かりございません』と言って出て行った。
有能なウォルフさんに対して、かえって失礼だったかな?
もしかして、プライド傷付けちゃった?――なんてことも、チラッと脳裏をよぎったけど、深く考えないことにした。
うん、大丈夫。
そんな小さいことを気にする人じゃないはず。……たぶん。
気を取り直すと、私はくるりとドアに背を向け、テーブルにセットされている椅子をベッドの脇まで運び、ストンと腰を下ろした。
ここにいれば、ずっとギルの様子を見ていられるもんね。
立ったままじゃ、長時間は厳しいし、ベッドに座って……っていうのも、なんだか気が引けるし。
だからたぶん、ここがベスト。
……って思ったけど、ここからだと、ちょっとギルが遠い……かな。
やっぱり、行儀は悪いけど、ベッドに座って見守ってた方がいいのかも……。
「…………」
ちょ……ちょっとだけ、試しに……座ってみちゃおう、かな?
……いっ、いーよね、べつに。他に誰もいないんだし……。
私はそうっと椅子から立ち上がり、ベッドの端から、赤ちゃんがハイハイでもするみたいな格好で、ギルの側まで近付くと、ちょこんと正座した。
――うん。この方が、ギルの顔が間近で見られていいな。
手を伸ばせば、すぐに髪にも顔にも触れるし、手だって握れる。
……って、べつにベッドに座らなくても、触れることは触れるけど、体勢的には前屈みで、体も伸ばさなきゃいけないから、ちょっと辛いし……。
……あ、いやっ、そもそも体に触れる必要はないっ……ん、だけど……。
でもほらっ、また昨夜みたいにうなされたりしたら、手を握ってあげなきゃいけないしっ!
……って、いやいやっ、昨夜ギルが落ち着いたのは、もしかしたら手を握ってたせいじゃないのかも知れないけどっ!
でもでもやっぱりっ、あれがよかったのかも知れないしっ! だから――っ!
……あーもーっ!
いったい誰に向かって言い訳してるのよっ、私はッ!?
ブルンブルンと頭を振ると、一度大きく深呼吸し、胸の前で両手を重ねて心音を確かめた。
ドックンドックンと、確かに、いつもよりは少しだけ脈が乱れてる気はするけど、大丈夫。この程度なら、すぐ治まる。
そんなことを思いつつ、何度か深呼吸を繰り返し、ギルの方へ顔を向けた。
……心なしか、昨日よりは顔色がよくなってる気がする。
唇の色も赤みを帯びてるし、表情も穏やかだ。
――本当に、今にも目を覚ましそうに見えるのに――。
キュッと痛む胸を片手で押さえ、恐る恐る、もう片方の手をギルの頬へと伸ばす。
一瞬ためらってから、そっと触れると、少しひんやりと感じられ、慌てて手を引っ込めた。
……違う。
冷たく感じたのは、私の手が温かいから。ただ、それだけ。
だから何も……怖がることなんてない。
私はもう一度手を伸ばすと、今度は首元に手を当てた。
……ほら、やっぱり。ここはちゃんと温かい。
……ね? 不安に思うことなんて何もないでしょう?
そうよ。何もないんだから……。
「ギル……」
私はギルの顔を覗き込み、その唇に触れるため、ゆっくりと顔を近付けた。