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第9話 憂いの涙

 部屋に入ったとたん、私は倒れ込むように膝をつき、ぜえはあと荒い息を繰り返しながら、胸元に手をやった。

 フレデリックさんに正体がバレそうになった時のドキドキと、長い廊下を全速力で走って来たことによるドキドキが合わさって、鼓動の乱れっぷりったら、も~う、ハンパないったらない。



 あー……、危なかったぁ……。

 もしあそこに、偶然ウォルフさんが通り掛からなかったら、完全にアウト。正体バレちゃうとこだったよ。



 ……にしても、マズイなぁ。

 マズイよ。マズすぎるよ。


 フレデリックさんに、思いっきり怪しまれちゃったから、これから室外に出るの、ますます難しくなっちゃったじゃない。

 せっかく、メイド服着て外に出る方法を思いついたってーのに、全部水の泡だわ。



 うぅ…っ、私のバカ。

 どーしてこう、うっかりミスばっかりしちゃうんだろ?

 自分では、もうちょっと学習能力ある方だと思ってたのに……このザマじゃあ、自己評価下げなきゃいけないかな……。



 ――なんて、自己嫌悪に陥りそうになるところをぐっと踏ん張る。



 落ち込んでたって、起きちゃったことはもう、どーしよーもないもんね。

 うじうじ悩んでる暇があったら、次のことを考えよう。――うん。そーしよう!



 鼓動の速さも、ようやくいつものペースまで落ちて来たので、私はよいしょと立ち上がり、ギルが眠るベッドに近付いた。


「ギル……。今ね、弟さんのフレデリックさんに会って来ちゃった。……って言っても、会うつもりは全然なかったんだけどね。ギルが襲われた場所を見に行ったら、そこに偶然、フレデリックさんが現れたの。……フレデリックさんって、ギルとあんまり似てないんだね。見た目もだけど、性格も」


 話し掛けても反応がないことに、ちくりと胸が痛む。それでも私は、無理矢理笑顔を作りながら話し続けた。


「フレデリックさんね、自分がもっとしっかりしてたら、アナベルさんの――あ、『アナベル様』って言わなきゃダメかな? 国王様の正室だもんね。……でもまあ、いっか。ここにはギルしかいないんだし、アナベルさんって呼ばせてもらっちゃうね。――えっと、とにかく……アナベルさんを、あんなひどいことする精神状態にまで追い込んだのは、自分の責任でもあるって、すごく辛そうだったよ。最初は、めちゃくちゃ高慢ちきで、取っ付きにくい人っぽいなーって思ってたのに、アナベルさんの話になったとたん、雰囲気変わっちゃって……。ギャップにちょっと、キュンとしちゃった。……あ! でも、この場合の『キュン』ってゆーのは、特に深い意味はないからねっ? ギャップが激しすぎたから、思わず毒気を抜かれちゃったってゆーか……それだけっ! ホントにそれだけだから、誤解しちゃダメだよっ!? 私が好きなのは、ギルだけな――っ……ん――」



『聞く必要は、ない』



 ふいに、そう言って冷たく突き放されたことを思い出して、ハッと息をのむ。



 そうだ……。私まだ、ギルに誤解されたままなんだ……。

 誤解を解く前に、ギルは……。



 その瞬間、血だらけのギルを目の当たりにした時の恐怖が蘇り、私はそれを追い払うように、大きく頭を振った。



 もう、ヤダ……。

 あんな怖い思いは、二度としたくない――!



 ギルの手を取り、そっと両手で包み込む。


「ギル……お願いだから、目を覚まして? 私まだ……あなたの誤解、解いてないんだもん。誤解されたままなんて、ヤダよ。困るよ。早く目を開けて……私にちゃんと、言い訳させてよ。『聞く必要はない』なんて、言わないで……」


 右手でギルの髪に触れ、何度も撫でながら、同じ言葉を繰り返す。


「ギルが好き。……好き。好き。大好き。世界中で一番……ううん、宇宙中でも、一番好き。誰よりも好き。ギルが……ギルのことが大切なの。失いたくないの! だから……だからお願い。目を――目を覚ましてよぉっ!」



 ……それでも、私の言葉は届かない。

 ギルは目を閉じたまま……その瞼は相変わらず、ぴくりとも動かない。



「ギル……」


 祈るように、唇を重ねた。……微かに伝わる温もりにホッとして、唇を離す。


「……ねえ、お願い。目を開けて?」


 ささやいて、短いキス。


「ねえ、意地悪しないで……」


 目のふちに滲んで来る涙を堪えながら、もう一度。

 唇を重ねながら、切なさに胸が張り裂けそうになる。体が震えて来て、堪え切れずにこぼれた涙が、ギルの頬にぽたぽたと落ちて行く。


「――っ!……ギル……」


 込み上げて来る感情を抑え切れなくなって、私は体を起こし、両手で顔を覆った。



 どーして!? どーして目を開けてくれないの!?

 姫が王子のキスで目覚めるんなら、その逆があったっていいじゃない!!


 なのにどーして!? どーしてなの――!?



 ……私じゃ、ダメってこと?

 私には、その役割を担う資格がない――ってことなの?



 ――だったら、誰ならいいの!? 誰ならギルを目覚めさせられるの!?

 ふさわしい人が他にいるってゆーなら、今すぐここに連れて来てよ!!



 ……ギルが目覚めてくれるなら、目の前で他の人がギルにキスしても……我慢するから。

 辛いけど……苦しいけど、耐えてみせる。だから――!!


 だから早く……早くっ、早くっ! その人をここに連れて来て――っ!!



 ……我ながら、滅茶苦茶だって思う。

 こんなこと、くだらない戯言(ざれごと)でしかないって、わかってる。


 わかってるけど、でも……どんなにバカなことでも、気休めにすらならないことでも、考えずにいられない。

 何か考えてないと不安で……恐ろしい思いに囚われて、そのことばかりに、心が支配されてしまいそうで……。


 そんなことに囚われ続けてたら、いつかそれが本当になってしまうんじゃないかって、怖くて心細くて堪らないの……。



 ……ああ、ダメ――。こんなこと考えちゃダメ!

 このままギルが目を覚まさなかったら、なんて――そんな恐ろしいこと、考えちゃダメなんだってば!!



「リナリア様――」


 名を呼ばれ、肩に手を置かれた感触で我に返る。


「……ウォルフ、さん……」


 顔を上げると、いつの間にかウォルフさんがいて、私をじっと見つめていた。


「また、泣いていらしたのですね」


 心なしか、沈んだ声色で問われ、私は慌てて、手の甲で涙をぬぐった。


「ご、ごめんなさいっ。もう弱音吐かないって決めたのに……。ギルがこのまま目覚めなかったらどーしよう、なんて――またバカなこと考えちゃって。……そ、そんなことあるワケないですよねっ。私ったら、放っといたらろくなこと考えなくて……ホント、嫌になっちゃう」


 あははと笑い飛ばそうとした私の背に、ウォルフさんの手が伸ばされ――そのまま優しく、抱き寄せられた。


「――っ!……ウォルフ……さん?」

「どうか、そのように切ない笑顔を、お見せにならないでください。……無理に笑わずともよろしいのです。不安で堪らないお気持ちを、我慢なさらずとも……。私の胸でよろしければ、いつでもお貸し致します。お気持ちを吐露(とろ)する相手をお望みなら、いついかなる時でも、お呼びくだされば、どこへなりと参ります。……リナリア様は、我が主の最愛のお方――。ならば、この私にとっても、大切なお方です。他のどんなことを差し置いても、あなた様を第一に考えるのが――今の私の役目なのですから」

「……ウォルフさん……」


 びっくりしたけど、その気持ちが嬉しくて……。

 私は子供みたいに、彼の胸にすがって、わんわん泣いた。


 ウォルフさんは、そんな私の頭と肩に、優しく手を置いて、何も言わずに寄り添ってくれる。



 この世界に来て、私はすっかり、泣き虫になってしまった。


 ……ううん。正確には、恋をしてから。

 恋ってものを、知ってしまってから……。



 自分に、こんな弱い部分があったこと、今まで気付きもしなかった。


 好きな人を失うかも知れないと思うだけで、こんなにも怖くなるなんて……こんなにも、苦しくなるなんて。


 ……知らなかった。

 私はこれまで何にも知らない……恐れすら知らない、ただの子供だったんだ……。



 ぽろぽろと途切れることなくこぼれ落ちる涙は、頬を伝い、床に落ち、服に落ちて染み入り……あるいは、唇で止まった。

 自分の涙のしょっぱさを、嫌と言うほど噛み締めながら。

 私は完全に恋をしていると――改めて思い知った。

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