第7話 第二王子の胸の内
私は大きく深呼吸すると、フレデリックさんをまっすぐ見つめて切り出した。
「フレデリック様は、今回の事件、どうお考えなのでしょうか?」
「――は? どうって……僕の考えはとっくに話したじゃないか。おまえ、聞いてなかったのか?」
「あ、いえっ、聞いてましたっ! 聞いてましたけどっ、あの……私がお聞きしたいのは、今回の事件のことではなく、以前の事件について……で……」
ムッとさせてしまったことに焦りつつ、かと言って、ズバッと訊ねる勇気も出せなくて、私はモゴモゴと語尾を弱めた。
「以前の事件? 以前……って……」
私の言おうとするところに思い当たったのか、フレデリックさんは、ハッとしたように言葉を切った。
「おまえ……新人のクセに、もうそんなことまで……。メイドとしての礼儀作法はちっとも身についていないクセに、噂話の類は、即座に吸収するんだな。……それで? おまえはどこまで知っているんだ?」
ものすごく不快そうに睨みつけられて、一瞬ひるむ。
「え……っと、あの……」
そろそろと視線を外すと、いきなり手首をつかまれ、強い力で引っ張られた。
すごく間近に、フレデリックさんの顔が迫って――。
「安心しろ、責めるつもりはない。ただ、知っていることを全て話せと言っているだけだ」
あ、安心しろって……。
手首をきつく握られてて、痛いし、そんな怖い顔して『責めるつもりはない』って言われても、全然説得力ないんですけど……。
「あ……あの……ギルフォード様は、以前にも数回ほど……お命を狙われたことがある、と……」
「他には?」
「え……っと……」
うぅっ、どーしよー……。
やっぱり言えないよ。『フレデリック様のお母様が、メイドにギルフォード様のお母様とギルフォード様を、殺させようとしたことです』……なんて。
「おまえが言いにくそうにしているのは、それが、僕の母上に関することだからか?」
「えっ? ど…っ」
図星を突かれて、思わず『どーしてわかったんですか!?』と続けそうになり、慌てて口をつぐんだ。
「やはり、おまえも知っているんだな。母上が、セレスティーナ様と兄上に毒を盛って、殺そうとしたことを――」
消え入りそうな声……。さっきまでの強気な態度は、どこへ行ってしまったんだろうと不思議に思えるくらい、打ちひしがれた様子で、彼はふっと、私から視線をそらせてうつむいた。
「あ……、あの、申し訳ございません。フレデリック様を、傷付けるつもりはなかったんです、けど……」
今更謝ったところで、どうにもならないことはわかってたけど、とっさに口にしてた。
だけど、彼は寂しそうに薄く笑っただけで、私を責めたりはしなかった。
「おまえが謝る必要はないだろう? おまえはただ、周囲から聞かされただけにすぎないのだろうし。……それに、その話は本当のことだ。根も葉もない噂ならば、黙ってはいないが……真実なのだから、何を言われても仕方ないさ」
「フレデリック様……」
彼は通路の手すりに近寄ると、両肘をつき――遠くを眺めながら続けた。
「おまえがどの程度まで聞いているのかは知らないが、僕の口から、もう一度教えてやろう。母上は十一年前、セレスティーナ様を亡き者にした。……いや、正確に言えば、『メイドに毒を盛らせて殺させた』訳だが、その後結局、メイドも殺してしまっているのだから、同じことだ。彼女は人殺しだ。兄上は命を取り留められたが……それでも、もう少しで危ないところだったそうだ。僕は、まだ幼かったから、何が起きたのか、その頃は、よくわからなかったけれど……兄上が、しばらくの間伏せっておられたのは、よく覚えている。兄上はいつも、僕に優しくしてくれていたから……僕は兄上が大好きだった。いつも、後をついて回っていたんだ。セレスティーナ様も、僕にすごく良くしてくれた。お優しくて、温かで、上品で……本当に素敵な方だった。幼い僕は、いつもイライラと不機嫌な様子の母上よりも、穏やかで、誰にでも分け隔てないセレスティーナ様の方に、よく懐いていたくらいだった。……でも、今にして思えば、母上は、そのことも許せなかったのだろう。実の子が、自分よりも側室の方に懐いているなど、我慢出来なかったのだと思う。だから……母上を、あのように追い詰めてしまった原因は、僕にもあるんだ。僕がもう少し、母上の気持ちを思い遣ってあげることが出来ていたなら……もしかしたら、あんな悲劇は起こらなかったのかも知れない」
淡々と語っているように見えるけど、心はどうなのかまではわからない。
でも何故か、見た目ほど落ち着いてはいないように、私には思えた。
話が途切れている間、何か言った方がいいのだろうかと、迷ったりもしたけど……。
結局私は、口を挟まなかった。
話が話だけに、何を言えばいいのかなんてさっぱりわからなかったし、彼自身もきっと、そんなものは求めていない気がしたから――。
「母上は、この国では王に次ぐ影響力を持った、由緒ある貴族の家柄の出で――元々、父上の婚約者だったんだ。だから生まれた時から、ゆくゆくは王妃になる人間なのだと、周囲の者達から教え込まれていて……そして母上自身も、父上のことが幼い頃から好きだったらしい。父上の正室になるのは自分で、世継ぎを産むのも自分。だから当然、父上から一番愛されるのも自分なのだと……ずっと、それを誇りと支えにして生きて来たような人だったんだ。けれど正室になってから数年経っても、母上はいっこうに懐妊なさらず……それで周りが騒ぎ出し、側室をという話になった。母上は相当取り乱したらしいけれど、自分が原因ということもあって、完全に拒否することは出来なかった。そして迎えられたのが、小国の姫君であらせられたセレスティーナ様だった――という訳だ」
そこでひとつため息をつくと、彼は更に続けた。
「父上はセレスティーナ様に一目で魅入られてしまったそうだが、それも無理のないことだと思う。彼女は幼い僕から見ても、魅力溢れる女性だった。見目だけでなく、お心も麗しい方だった。父上だけではない――周囲の者も皆、魅了されてしまっていた」
「……それがお母様の――アナベル様のお心を、傷付けておしまいになられたんですか? 今までご自分が、一番大切にされていたのに……周りが一斉に、セレスティーナ様に夢中になってしまったから――」
口を挟む気なんかなかったのに、気が付くと訊ねてしまっていた。
そんな私を一瞥すると、フレデリックさんは小さくうなずいてから、
「もちろん、それもあるだろう。側室を迎えなければならなくなっただけでも、充分傷付いていただろうに……正室の自分よりも側室の方が人気があるだなんて、屈辱だったろうな。――だが、それだけならばまだよかった。彼女の心をそれ以上に深く傷付けたのは、たぶん……セレスティーナ様が嫁がれてから一年も経たないうちに、第一子――しかも男の子をお産みになられたことだったろう。そのことが余計に、母上の誇りを傷付けてしまったんだ。……そもそも側室を迎えたのは、母上がなかなか身ごもられなかったからなのだから、仕方ないことと言ってしまえばそれまでなんだろうが……理屈ではわかっていても、心はそう簡単に納得してはくれなかった。そういうことなんだろう。いつしか母上は、セレスティーナ様と兄上を憎むようになり……そしてとうとう、悲劇は起こってしまったんだ」
またひとつため息をつくと、彼は暗い顔を上げ、睨むように空の遠くを見やった。
私は何とも言えない気持ちでその横顔を見つめながら、再び彼が口を開くのを待った。