第5話 ハプニング
「――という訳だ。おまえごときが、偉大な兄上の目に留まる可能性なんて、万に一つもない。諦めろ」
ギルの自慢話を、自分のことのように誇らしげに並べ立てたあげく。
フレデリックさんは、ビシッと私を指差しながら、命令でもするみたいに言い放った。
「あ。今おまえ、側室狙いならなんとかなる――なんて、甘い考えに切り替えただろう? 切り替えたよな? いや、切り替えたに決まっている!……フッ。だが無駄だぞ。兄上は、側室も持たず、亡き正室ただ一人を愛し続けておられるという、隣国のクロヴィス王に、昔から憧れていらっしゃったし……。今のところ、リナリア姫以外に、興味を示しておられるご様子もないからな。おまえが入り込む隙なんて、どこにもありはしないんだ。それがわかったら、分不相応な夢など見るのはやめ、これからは、日々、割り当てられた仕事を忠実かつ迅速にこなすことだけを考え、愚民は愚民らしく、地道に生きて行くことだな」
……なんだろう。
さっきから、めっちゃ好き勝手言われてるのに、反論する気にもなれないなんて……。
なんか、聞いてるだけで疲れちゃったってゆーか……。
これから先のこと考えたら、ホントにもう――ゲンナリするようなことしか浮かんで来なくて、嫌になっちゃったってゆーか。
あー……。なんかマジで、前途多難なんですけど……。
返す言葉もなく、うなだれている私のことなんて、これっぽっちも気にすることなく、フレデリックさんは腕組みしたまま、辺りをキョロキョロ眺めると、
「では、早速働いてもらうとしよう。――そうだな、まず……おまえ、サクラと言ったか。サクラ、まずはあの木に飛び移ってみろ」
目の前にある(それでも数メートルは離れてる)木を指し示した。
「……は? 飛び移る……んですか? 私が?」
「当たり前だろう。他に誰がいる?」
「え……。え~……っと、でも、あの……どーして、ですか?」
いきなり『木に飛び移れ』って言われてもなぁ……。
意味もわからず、そんな無茶なことしたくないよ。
これでも一応、私だって女の子なんだから。
「何故って、兄上は、ここで何者かに襲われたんだぞ? その何者かが、この城内の者でないとするなら、この場に降り立つためには……見回したところ、この木を利用したと考えるのが、一番妥当に思える。この通路の下は回廊だが、回廊からこの通路までよじ登るとすると、石と石の隙間に、指や足先を掛けなければならないが……それにしては、隙間が狭すぎるし、一つ一つの石が結構大きいから、よほど優れた身体能力を持つ者じゃないと、まず不可能だろうしな。――とすれば、やはり、この木を上ってから通路に飛び降りた方が簡単だし、確実という気がする。だから――」
「私に、ためしにやってみろ……と?」
「ああ、そうだ。おまえだって、兄上にあんなひどい仕打ちをした奴など、許せはしないだろう? 一刻も早くそいつを捕まえて、八つ裂きにしてやりたいと思うだろう? 思わないのかっ?」
ぐぐっと顔を近付け、やや興奮気味に詰め寄って来るフレデリックさんを、両手を胸の前に出して制しつつ、私は引きつり笑いを浮かべた。
「それは、その……許せはしませんけど。……でも、こう見えても私、女なので……。あんな大きな木に飛び移れるかどうかも不安ですし、それに……」
「――それに?」
「えっと……あの……」
私はあえて口には出さず、ゆっくりと視線を自分の下半身へと移した。
「……下? 下がどうしたって――」
そこで言葉を切ると、フレデリックさんの顔は見る間に赤く染まって行って……。
「――ば、バカなことを! この僕が、おまえのかっ、下半身を覗くだなどと思っているのかッ!?――ふ、ふざけるなッ!! だ、誰がおまえごときの、かかっ――か、下半身など…っ!!」
「い、いえっ! 決してそのようなっ! わ、私はただ、このような姿で木に登るだなどと、もしものことがあったら、その…っ、お、お見苦しいものをお見せしてしまうのではないかと、それを心配してのことでっ!――フ、フレデリック様が覗くおつもりだなどと考えていたワケでは、決して――っ!」
「だっ、だからっ! 僕は絶対そんなこと――っ、覗きだなどと、卑しい真似をするつもりはないッ!!……こ、ここまで言っても信用出来ぬのなら、ほらっ! こうして、おまえがいいと言うまで、顔を背けておいてやる! そのうちに、さっさと木に飛び移れッ!!」
「――は、はいっ!」
フレデリックさんは、真っ赤な顔のまま、ギュッと目をつむり――これでもか!――というくらいの角度まで、顔を背けた。
……あー……。
なにもそこまで、思いっきり背けなくても……。
その無理な体勢じゃ、首の筋がどうかなっちゃうんじゃないかって……かえって、そっちの方が心配になって来ちゃうよ。
「どうだっ!? もう木に移れたかっ!?」
不自然な体勢のまま、フレデリックさんが訊ねる。
「あっ、いえ――。ま、まだですっ」
「さっさとしろっ!! いつまで僕に、こんな格好をさせておくつもりだ!?」
「は、はいっ! 申し訳ございませんっ!!」
私は慌てて通路の手すりによじ登ると、目の前の大きな木を見据えた。
木登りは得意だけど……飛び移るとなると、この距離は……。
う、うぅ~ん、どーだろー? ちゃんと出来るかな?
「どうだっ? もういいかっ?」
フレデリックさんの声に急かされ、私は仕方なく覚悟を決めた。
「も、もう少々お待ちくださいっ!」
キッと木を見上げると、飛び移りやすそうな、太い枝を探す。
――よし、あれがいい!
私は素早く身を屈めてから、大きく両手を振り上げると、その枝目掛けて思い切り跳んだ。
「――っ!……ハァ……。なんとかここまでは成功、っとぉ……」
枝に両手を掛け、ぶら下がりながらつぶやくと、今度は大きく足を前後に振り、勢いをつける。
大車輪の要領で、体を上に持ち上げ――、
「ぅわ…ッ!?」
「――え?……キャっ!?」
枝の上で逆立ち状態になった瞬間。
フレデリックさんと目が合い、私は思いっ切りバランスを崩した。
「ひゃ…っ!」
「危ないッ!!」
枝から手がすべり落ちそうになったところを、どうにか踏ん張り、体勢を立て直す。枝の上に両足を乗せ、素早く幹に抱き付いて、私はホーっと息をついた。
それから、フレデリックさんに向き直り、じとっとした目で見つめると。
「……見ましたね?」
「み…っ! み、み……っ、見たくて見たんじゃないッ! おまえが『なんとか成功』とか言うからっ! も、もういいのかと思って、だな……。だ、だからおまえのせいだっ!! 僕は悪くないッ!!」
「な――っ! 『なんとか成功』って言ったのは、『木の枝に飛び移るまでは、なんとか成功した』って意味で言ったんですっ! フ、フレデリック様は、『おまえがいいと言うまで顔を背けておいてやる』って、おっしゃったじゃないですかっ! 私は一度も、『もういいです』とは言ってませんよっ!?」
「う……うるさいうるさいッ!! おまえが紛らわしい言い方をするからいけないんだッ!! 僕は断じて悪くないッ!! 悪くないからなッ!?」
あくまでも言い張るフレデリックさんに、私は呆れてため息をついた。
もういいや……。
見られちゃったと思うとめっちゃ恥ずかしいけど、忘れることにしよう……。
「わかりました。今のことは忘れます。ですからフレデリック様も――」
「あっ、当たり前だっ! こんな屈辱的で忌まわしい記憶、長く留めておくものかっ! すぐにでも忘れてやるッ!!」
く、『屈辱的で忌まわしい』って……。
むぅ~……。それはこっちのセリフだっつーの。
フレデリックさんは、まだ真っ赤な顔してそっぽを向いている。
そんな彼を、半ば呆れ、半ば腹立たしく思いながら……私はもう一度、大きなため息をついた。