第3話 傍若無人な王子サマ
ギルが倒れていた場所は、すぐにわかった。
左に左にって覚えてたから、方向音痴の私でも、さすがに迷うことはなかったし。
ウォルフさんが言ってた通り、ギルのものと思われる血溜まりの痕が、まだ通路の床や、手すりなどに残されていた。
それらを目にしたとたん、足が止まる。
「こんなに、血が……」
改めて思い知る。ギルが本当に、危険な状態だったんだってことを――。
ギルに治癒能力がそなわってて、ホントによかった……。
でなきゃギルは――ギルの命は……。
そう考えたら、急に震えが来て、思わずぎゅうっと、自分の体を抱き締めた。
朝の冷気が肌を差す。風もまだ冷たくて、身を縮めてしまうくらいだけど……震えてるのは、寒いからじゃない。怖いからだ。
ギルを失うことが怖いから――何よりも恐ろしいから。
「ギル……。昨夜、何があったの? どうしてあなたが、狙われなきゃいけないの――?」
思わずつぶやいた、その時。
「兄上を軽々しく『ギル』などと呼ぶ、おまえは何者だ!? メイドふぜいが、無礼であろう!」
「――っ!……え?」
恐る恐る振り向くと。
そこには、絵に描いたような王子様――金髪碧眼の美少年が立っていて、一瞬、目を見張った。
えっと……もう少し詳しく説明すると、美しい巻き毛のブロンドに、ちょっとツリ目気味の目。
瞳の色は、澄んだ青空を連想させるディープスカイブルーで、体型は痩せ型。
背はそれほど高くなくて……たぶん、私より数センチ上、って程度だと思う。
その美少年が、両手を腰に当て、私を真正面から睨みつけてるんだけど……。
この人って、どー考えても……。
「フ…っ、フレデリック王子――っ!?」
そーよ、間違いない!
聞き覚えのあるこの声といい、ギルを『兄上』って呼んでることといい……それ以外考えられない!
……マズイっ!
まさか、こんなに早く、この城の偉い人に遭遇しちゃうだなんて――!
「おい、そこのメイド。何をボーっと突っ立っている? 僕が誰だかわかっているクセに、頭も下げないとはどういう了見だ?」
……ハッ!
そーだった!
「もっ、申し訳ございませんっ!!……えっと、その……まだ新人なものでっ! たっ、大変失礼致しましたっ!!」
とっさに新人だなんてごまかして、私は深々と頭を下げた。
「新人だからといって、無礼すぎるだろう! 必要最低限のことも教育されないうちに、よくも平気で、城の中を歩き回れたものだな。……しかもおまえ、兄上のことを、馴れ馴れしく『ギル』だなどと呼んで、いったいどういうつもりなんだ? それだけでも、充分、処分の対象になるぞ。今すぐ、ここで僕が、解雇通告してやろうか?」
すごく不愉快そうな声色で、フレデリックさんは、ねちねちと責め立てて来る。
私は慌てて、
「そっ、そんな! 滅相もないっ! 私は決して、『ギル』などとは、お呼びしておりませんっ! フっ、フレデリック様の、聞き間違いでは――ご、ございませんでしょーかっ!?」
つい言い訳なんかしてみちゃったけど、それがますます、フレデリックさんをムッとさせちゃったみたい。
「なに? 僕が聞き間違えたと言うのか?……おまえ、この僕に口答えするとは、いい度胸じゃないか。覚悟は出来ているんだろうな?」
などと、冷たく言い放たれ……。
「も、申し訳ございませんっ!! お気を悪くされたのなら謝りますっ!! どうか――どーかお許しくださいませっ!!」
わーんっ、お願いだから見逃してーーーーーッ!!
こんなところで、こんなに早く、問題起こしてる場合じゃないんだってばーーーーーッ!!
私に何かあったら、ホントに、国際問題になっちゃうかも知れないんだよーーーーーーッ!!
部屋から出て、十分も経たないうちに、こんな事態を引き起こしてしまってる自分の運のなさを、心底嘆きたくなる。
まだ何もしてないのに――ただ、事件の現場に立ったってだけで、強制的に捜査終了――なんて、あまりにもお粗末すぎるっ!
「フン。まあいい。気に食わないが、今回は大目に見てやる。……だが、その代わり――」
……へ?
……『その代わり』……?
「おまえ、今日一日、僕の助手を務めろ。僕の言うことは何でも聞くと、ここで誓うなら、今までの非礼の数々も、見逃してやってもいい」
「……え?」
「まさか、嫌とは言わないだろうな? この僕が、助手にしてやると言っているんだ。ただのメイドにしてみれば、この上なく光栄なことだろう?」
フフン、といった感じで、居丈高に笑うフレデリックさんの顔が、自然に頭に浮かぶ。
お辞儀したままだから、表情なんてわからない。でも、たぶん……きっと、私の想像は間違ってはいないだろう。何故か、そう確信出来た。
この人ホントに、ギルの弟なんだろーか……?
母親は違うにしても――ギルはもっと、うちのメイドさん達にも優しくて……少なくとも、こんな高圧的な態度は、一度も取ったことなかったけどなぁ……。
「おい、メイド! 返事はどうした? いつまでボケッとしているつもりだ? 助手になるのか、ならないのか!? さっさと選べ!」
「はっ、はいっ」
反射的に返事をし、私は冷や汗を浮かべながら、仕方なくこう答えた。
「よ……喜んで……助手を務めさせていただきたいと……思い、ます……」
ここで断ったら、どうなるかわからないもん。
とりあえずは、フレデリックさんの機嫌を、損ねないようにしなきゃ……。
彼は私の返答に満足したのか、頭上でこう言い放った。
「まあ、当然だな。一日中この僕の側にいることを、僕自らに許されたんだ。生涯の誇りとして、心に刻みつければいい。ハハハハハハっ!」
頭上から響いて来る高笑いに、唖然としつつ。
私は、フレデリックさんの助手を引き受けてしまったことを、しみじみ後悔していた。