第1話 甘い夢から醒めて
夢を見ていた。
……うん。……たぶん、これは夢。
だってギルが……ギルが笑って、私を抱き締めてくれてるから……。
あんなにひどく傷付けてしまった後で――まだそれほど時も経ってないうちに、こんなに素敵な笑顔を私に向けて、〝ぎゅ〟ってしてくれるワケないもんね……。
だから夢だ。――夢だよね、これ……。
……ああ……この夢が、このままずっと続けばいいのに……。
そんなとろんとした気持ちで、ギルの胸に体を預けてると、ふいに彼の両手が私の肩をつかみ、そっと引き離した。
私はまだ腕の中にいたかったから、拗ねて彼を見上げる。
そんな私に、彼はくすっと笑って……優しく髪を撫で、左手を頬に当てると……一瞬触れる程度の、軽いキスを落とした。
いつもだったら、それだけでも赤面ものなのに、夢の中の私は目を見張るほど大胆で。――なんと、ギルの首に両腕を絡ませて、キスをねだるように目を閉じたのだった――!
あわわわわ…っ。なっ、何してるのよ、夢の中の私っ!?
いったいいつからそんな――っ、そんな……自分から『キスして欲しい』みたいな態度、取るようになっちゃったワケっ!?
いつの間にか、夢の中の私の意識は、二つに分かれていて……。
キスをねだる私と、それを恥ずかしく思う私とで、対立していた。
でも夢の中では、キスをねだる私の方が強いみたい。おねだりポーズのまま、これっぽっちも引いてくれる気配がない。
ギルはギルで、要求に応えるように顔を近付けて、もう一人の私の意識なんかお構いなしに、何のためらいもなく、請われるままに、唇を重ねてしまっていた。
その夢は、自分のキスシーンを自分が眺めてる……ってゆー、めちゃくちゃ恥ずかしいものだった。
逃げ出したいのに、金縛りに遭ったみたいに動けず、目の前でどんどんエスカレートして行くキスシーンから、全く目をそらせない。
焦る私をよそに、二人はどんどん、熱烈なキスシーンに移行してって……。
ちょ…っ! ヤダヤダっ!
こんなの知らないっ、見たくないっ!!
なんなのよ夢の私っ!? なんでそんなに積極的なのっ!?
ギルもギルよっ!
そんな…っ、見たこともないよーなこと、私にしないでーーーッ!!
ヤダヤダヤダヤダッ!! 違うもんッ!!
こんなの私じゃないっ!! こんなの知らないッ!!
違うっ、違うのッ!!
……違うんだってばぁあああーーーーーーーッ!!
「ふゃ…っ?」
奇妙な声を上げ、私はぱちりと目を開いた。
……よ……よかった。やっぱり夢だった……。
あんなのが現実だったら、どーしよーかと思っちゃったよ……。
ホッと胸を撫で下ろし、何気なく口元に手をやると、
「あれ?……濡れてる……」
何故か、唇や口の端までが濡れていて、思わず首を傾げる。
……ハッ!
これはもしかして…………よだれ?
……いや。
この場合、どー考えたってよだれか……。
うぅ…っ、恥ずかしい。
よだれ垂らして眠ってただなんて、乙女の風上にも置けない所業だわ。
――って、マズイっ!!
慌てて隣に目をやると、ギルはまだ眠ってて、私はほぅっと安堵の息を漏らした。
助かった……。
ギルに、よだれ見られなくて済んだ。
早く目覚めては欲しいけど、こんな醜態はさらしたくないもんね。
……しょーがないじゃないっ、乙女心はデリケートなのっ!
そんなことを思いつつ、口元を手の甲で拭き拭き、ギルの顔を改めて覗き込む。
「……よかった。穏やかな顔――」
あれから、悪い夢は見なかったんだよね?
こんな私でも……ちょっとは役に立てたのかな?
しみじみ見つめてたら、じんわりと愛しさが込み上げて来て……。
おずおずと手を伸ばし、彼の髪に触れる。数回撫でてから、頬に手を添え、おはようのキスをしようと、顔を近付け――。
「おはようございます、リナリア様」
「――っ!」
いきなり降って来た声に心臓が跳ね上がり、慌てて顔を上げて振り返った。
「うぉ…っ、ウォルフさん!……お、おはっ――おはよう、ゴザイ……マス……」
……あー……、びっくりした……。
どーしてウォルフさんって、こう……毎回毎回、神出鬼没なんだろう?
足音どころか、気配すら感じなかったんですけど……。
まだバクバクしちゃってる胸を押さえながら、ベッドの上で固まってると、
「申し訳ございません、一応ノックはしたのですが……。お邪魔してしまったようですね。どうか、私のことはお気になさらず、先をお続けになってください」
……なんて、さらっと言われてしまい……。
んな…っ、『先をお続けに』とか言われたって、続けられるワケないじゃないっ!
ウォルフさんが見てる前で、改めて『おはようのキス』……なんて……。
「さ……先? 先って何のこと? わっ、私はべつに、何もしてないし、しようともしてなかったっ……けど?」
どうにかしてごまかそうと、白々しくも、すっとぼけてみる。
「……さようでございましたか。私の勘違いだったのですね。これは失礼致しました」
ウォルフさんは、私の言うことを鵜呑みにしたかどうかまでは不明だけど、とりあえず、反論はしなかった。
頭まで下げさせちゃって、ちょっと胸は痛むけど……そこはスルーさせてもらっちゃおう。
……ごめんね、ウォルフさん。
「それでは、朝の身支度を整えてください。昨夜言付かった品も、ご用意してございます」
「言付かった品?……あっ、メイド服?」
「はい。新しい下着もございますので、あちらの部屋でお召し替えください。申し付けていただければ、洗濯も私が――」
「いやっ、それはダイジョーブっ! 自分で洗いますからっ、どーかお気遣いなくっ!!」
ウォルフさんの口から“下着”って単語が出るなんて、思いっきり予想外で、一気に顔が熱くなってしまう。
「しかし、姫様に、そのような雑務をお任せする訳には――」
「いーんですホントにッ!! お願いですからそれだけはっ、私の好きなよーにさせてくださいッ!!」
だからもーっ! どーしてわかってくれないかなぁ?
下着を家族以外の人に洗われるなんて……そんな恥辱に耐えるくらいなら、自分で洗った方がよっぽど楽だってゆーのにっ!!
「じゃ、じゃあ……早速着替えてみるから、服貸してくださいっ」
ベッドから抜け出し、ウォルフさんからメイド服一式を受け取ると、私は逃げるように、隣の部屋へと駆け込んだ。